30
 町を足早に回ったセツは町はずれの崖にやってきた。
 気持ちを切り替えて観光を楽しもうとしたのだが、女性と一緒にいたクサカの姿が脳裏にちらついて楽しみ切れなかった。目の前には今まで見たことも無い光景が広がっているのに、それを楽しめない自分が嫌で、セツは一人でゆっくりできるこの場所にやってきたのだった。
 崖の上に生えている木背を預けて座ると、辺り一帯を眺める事ができた。上から青空、赤茶色の山々、そして下方に広がる緑。
 ああ、綺麗だ。心は確かに目の前の光景に感銘を受ける。だが、落ち込んでいる心を完全に癒すことは叶わなかった。
 ――私、何の為に旅をしているんだろう。傷ついて、傷つけて。そもそも仲間のはっきりとした目的だって知らない。それに、クサカだって……。
 乾燥した風に吹かれながら考えるは、この旅の意味。思えば、仲間たちに会ってそこから何をするかを聞いていない。それに加え、あのクサカの荒れっぷりだ。はたして自分は彼らと共にいて良いのだろうか? 遅すぎる疑問が、浮かび上がった。
「何か見えますかな?」
 考え事をしている最中に背後から声をかけられたセツは文字通り飛び上がって驚いた。
 バクバクと喧しく騒ぐ鼓動を押さえながら振り返ると、そこには懐かしい人物がいた。
「ゆ、ユーシキさん!?」
 驚いた拍子に名を口にすると、緑と白の服に身を包んだ老人、ユーシキは以前と同じ優しい笑みを浮かべて首を傾げる。
「おや、私を知っておいでで?」
「あ、え……? あ、そうか……」
 予想外の返答に、セツは忘れられたのか、と少々落ち込む。しかし、ノシドで出会った時とは自分の姿が変わっていることを思い出し、どうやって弁解しようかと思い悩む。
 初めは「知り合いと間違えました」と他人の振りをしようとしたが、名前を口にしてしまった手前、それは難しい。驚いたからとはいえ、軽率な行動を取ってしまった自分を、セツは心中で罵倒した。
「ああ、これは失礼。あなたは確かユキさんですな? しかしどことなく雰囲気が……」
 顎に手を当てて唸る目の前の老人に、セツは目を丸くする。
 ユーシキはセツの事を"ユキ"と呼んだ。この体になってまだ日が経っていない為、ユキの名残がまだ残っているのだとしても、今の姿はユキとは似ても似つかない。よって誰も"ユキ"とは判別できない筈だ。
 疑心が生まれると共に、これで誤魔化し通せると考えたセツは数少ない自分を知る者との繋がりを断つことに心を痛めつつ、口を開く。
「いえ、私はセツです。ああ、どうやらお互い勘違いしていたみたいですね」
「そうですか、これは失礼をしました。ですがあなたは、私が先日訪れたノシドにいた少女に似ている。いや、似ていると言うよりはそっくりでして」
「えー、ノシドって、神話上に出てくる空想の場所でしょう」
「そう思っている方が殆どですからなぁ。そう思われても無理はないです。けれど、あの地は本当にあるのですよ。緑が豊かで、とても穏やかで美しい、言わば楽園と言っても良い場所でした。ああ、勿論嘘を吐いていると思われてもよろしいのですよ」
「あ……ありがとうございます」
「えっ?」
「あ」
 とぼけてみるも、ユーシキの嘘偽りのない言葉に圧されたセツは罪悪感に悩まされる。それと共に、故郷を誉められて嬉しくなったセツはうっかり礼を言ってしまう。
もはやとぼけることが出来ないと悟ったセツは照れ隠しに咳払いを一つすると、思い切って尋ねてみることにした。
「例えばどこがそっくりなんですか?」
「うーん、そうですな。言うならば気ですな」
「へ、木? 外見とか仕草じゃなくて?」
 セツの問いかけにユーシキは楽しそうに笑うと、これは失礼しました。と再度謝罪をして被っていた帽子を取った。
 ここで初めて露わになったユーシキの目に、セツは思わず息を呑む。
「私は、はっきり目が見えんのです」
 ユーシキの目は白く濁っており、ちょうど白内障のようになっていた。
 白く濁った緑の目をセツに向けながら、ユーシキはゆったりとした口調で続ける。
「ですから、私は外見で物事を見ることができんのです。ですが、生物というのは逞しい物でして、例え目が失われようと、他の器官がそれを補ってくれるのです。お陰様で私は、体全体で物事の気を感じられるようになりました。私があなたをユキさんだと思ったのは、あなたの気が、心がユキさんと同じだったからです」
 説明を終えたユーシキは、白濁色の目を細めて笑って見せた。その笑顔を見たセツは心の重りが少し、取れたような気がした。しかし、その一方で疑ってしまった自分の心が恥ずかしく思える。
「あの、すみません。その……」
「いいえ、気にしないでくださいな」
「ありがとうございます。あの、本当に……変わって無いんですか」
 肯定してもらいたいという思いを胸に、セツはユーシキにすがるように尋ねた。
 自分はもう何も知らずに笑っていたユキではない、この手でたくさんの魔物の命を奪ってきた。
 そんな自分があの平和ボケしていたときと、変わっている筈は無いとは分かっているものの、誰かに「そんな事は無い」と言ってほしかった。嘘でも何でもいいからセツにはその言葉が必要な気がした。
「ええ、芯は何も変わっていません。あなたはノシドでいた頃と同じ、純粋な心を持っていらっしゃる」
「でも、でも私は……っ!」
 あれだけ求めていた"変わっていない"という言葉、だが欲求とは裏腹にセツの口はその言葉を否定した。
 セツ自身も何故自分の口が否定したのか分からなかった。気付けば口が勝手に動いていたのだった。
「あ、すみません……。いきなり大きな声を出してしまって」
「お気になさらず。……これはあくまで私的な見解なのですが、今貴方は迷っているのではないですか? このままでいいのか、一人で歩むべきか迷っている」
「……ユーシキさん占い師?」
「まさか。良く似た方を知っているのですよ。気が遠くなる程昔の話ですがね。その方もあなたと同じく破天荒で、陽気な方だった。出会ったばかりで何もわからない私にも、とても親切にしてくださって……。おお、すみません。老いぼれの思い出など聞かせてしまい」
「気にしないでください。むしろ、良かったらもっとその人の事教えてくれませんか?」
 自分に似た人。その人の話を聞けば、何かヒントが得られるかもしれない。そう考えたセツは遠慮なしにユーシキに話をせがんだ。
 ユーシキとしてもその願いでは思っても無い事のようで、その顔にくしゃくしゃの笑みを浮かべる。どんな話が良いかを尋ねると、セツは迷いなく「全部」と答えた。
「その方はとても思いやりが深かったのですが、同時に物凄く頑固な一面があり、常に仲間や上の者と諍いを起こしていました。ああ、跳ねっ返りが強かったのも理由の一つですな。あまりに度が過ぎた場合はパートナーである私に「痛めつけてやれ」と命令が来た程です」
「ユーシキさん、思っていたよりアグレッシブなんだね」
「ええ、若い頃はブイブイ言わせていたクチです。で、その方なんですが、傷付けられ、迫害され、追い詰められても信念を決して曲げなかった。そして最後の最後には行動で自分の正しさを証明されたのです。本当に、凄い方です」
 嬉しそうに、それでいて誇らしげに語るユーシキの顔は今までに無いほど生き生きとしていた。その人の事が余程好きなのだろう。
「そっか、凄く強い人なんだね。その人」
「その方は傷つくたび、迫害されるたび一人で泣いていました。でも弱みを見せたくないので、皆の前では強がる。そしてまた一人で泣く……。本当は、とても弱くて、繊細な方だったんです。きっと、あのまま孤立していたら、あの方は信念を貫き通すことは出来なかったでしょう。あの方が貫き通せたのは……」
「仲間が、いた?」
 何の気なしに言うと、ユーシキは「ええ」と言って優しく微笑む。
「一人だけ、考えを共にする方が出来たのですよ。最も、初めは火と油で一番揉めていましたが、繰り返すごとにお互いの思いを知り、やがてかけがえのない友になったのです」
 ユーシキの尊敬する人とその友のように、自分もクサカと分かり合えるだろうか? 友と言えるような、そんな間柄になれるだろうか? いや、恐らく無理だろう。クサカと自分の間にはもはや修復出来ぬ溝がある。
「セツさん」
 もはや前向きに等考えられぬ関係に思いつめていると、不意に名を呼ばれた。
 慌てて顔を上げると、そこには相変わらず穏やかな表情のユーシキがいる。その顔を見た途端、セツの中の封じていた思いが溢れ出た。
「わた、私、もうどうしたらいいのか分からなくて……っ。何をし、ても悪い方にば、ばかりいっちゃうし……。甘えちゃ駄目って、分かっているのに、心のどこかで助けてって……もう、クサカとも、前みたいには戻れな……っく! ご、ごべんなさい」
 言葉と共に溢れた涙は止まることをしらず、ただはたはたとセツの眼から零れ落ちる。
「大丈夫、大丈夫です。誰にも言えないのはさぞかし辛かったでしょう。今は沢山泣いて、吐き出してください。そうしたら、貴方はもっと強くなる」
 ユーシキの言葉に、セツは幼子のようにうずくまって泣く。
言っちゃ駄目だ、自分は弱音なんて吐いては駄目だ。なまじ自分に厳しいため、抱え込むしかなかった弱音を吐きだしながら、セツはひたすら泣く。その肩にそっと手を置き、ユーシキはただ優しく彼女を見守っていた。

「どうも、お見苦しいところを見せてしまい申し訳ありません……」
「いいえ、すっきりしたでしょう」
 ひとしきり泣き終えたセツは真っ赤になった目のままユーシキに深々と謝罪する。
 冷静になってみれば、なんてみっともない真似をしたのだとのた打ち回りたくなるが、ユーシキの言う通りすっきりとした上に、なによりユーシキならば見られても構わないと思った為に良しとする。
 もうそろそろ行かなくては。クサカとの待ち合わせがそろそろだろうと考えたセツは重い腰を上げてユーシキに別れを告げる。
 先ほどのセツならば行きたくないと思っていただろう。だが、ユーシキに話を聞いてもらった今は違う。
 貴方が相手に壁を感じるのは、貴方が先に壁を作っているからです。
 泣き止んだ後にユーシキがセツに諭した言葉。確かにセツは心のどこかでクサカに遠慮し、本音を言わない節があった。気付いていなかったが、それがクサカとの壁を作っている一因なのは間違いないだろう。
「ユーシキさん、今日は本当にありがとう。私、まだ信念ってのがないけど、諦めずに進んでみるよ」
 握手を交わし、セツはゆっくりとその場を離れる。
「ダンザネ」
 彼女の姿を見えなくなるまで見送ったユーシキは彼女の故郷のノシド語で言葉を送り、そして消えるようにその場から立ち去った。
 "頑張れ"
 小さく応援の言葉を呟いて。


30/ 91

prev next

bkm

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -