13
「プシッ……」
 男が最後の一匹を倒すと、周囲には静寂と地に倒れる魔物の遺骸だけが残った。その中心には男とセツが立っている。
「大丈夫そうだな」
 呆然と立ち尽くすセツに男が短剣を回収しながら話しかける。セツは放心状態でただ男の話を聞いている。
「いくら目覚めて久しいからといって、お前はあの程度には負けない。念のため崖を降りておいたしな」
「念のため?」
 ここでようやくセツは口を開いた。その顔には先ほどの無表情が信じられない程、苦し気な表情で溢れている。
「ああ、崖を降りる事が鍛錬になっている。その証拠に体が随分軽くなっていただろ?」
 苦しそうな表情から一転して、セツの顔がぽかんと間の抜けたものになる。
 言われてみれば、戦っていた時の身のこなしは以前と比べ物にならない程軽くなっていた。さらに、魔物を五匹程倒したが息切れすらしていない。
「確かにそうかも……」
「そろそろ行くぞ」
 呟くセツに短剣を回収し終えた男は声をかけた。はっと男に視線を戻してみれば、男はすでに歩き始めていた。
「いきなりすぎるんだって!」
 去っていく男の背中を見ながら、セツは大急ぎで荷物を背負い直して、魔物の遺骸を踏まないよう注意しながら男を追いかけた。

 ・

荒れ地を抜け出して、いくらかの木々が見えるようになった頃、不意に男が足を止めて道の横の木に近付いた。
 その姿をセツは、何も言わずに眺めていた。
「これをやる」
 黙ったままのセツに、男は何かを投げ渡した。辺りはすでに薄暗くなっており、何を渡されたか理解できないセツは慌てて手を伸ばして受け取った。
「お前が昔使っていた物だ。少し傷んでいる物もあるだろうが気にするな」
「あ……ありがとう」
 ぎこちなく笑いながら、セツは男に礼を言った。
 布に包まれた荷物を抱えたセツは、思い出したように男に話しかける。
「あ、短刀ありがとう」
「返さなくて良い、俺からの餞別だ」
 男の言葉を聞いたセツは目を丸くして顔を上げた。物は壊れるまで使い続けるセツにとって、こんな高価そうな物を簡単に他人へあげる事は考えられないことだった。
 金魚のように口をパクパクさせるセツに男は鼻で笑った。
「今まで何を気にしていたのか知らないが、そんな風に間抜け面をしている方がお前らしい」
 落ち込んでいた事を見破られたセツは、恥ずかしくなった。なるべく態度には出さないようにしていたが、男にはお見通しだったようだ。
「……俺は用があってお前と一緒には行けない」
「え?」
 間抜け面について、これは誉め言葉なのか? と悩んでいたセツは男の言葉に素っ頓狂な声を上げた。
 これから一緒に旅をすると思い込んでいたセツにとって、それは衝撃的すぎる言葉だった。
「セツ、お前は一人で何も出来ない奴では無いだろ?」
「当たり前!」
「なら大丈夫だ、俺も後からお前達と合流する」
 ついつい見栄を張ってしまった自分を密かに恨みながら、セツは男が言った"お前達"という単語に疑問を持った。
 また顔に出ていたようで男はそこに説明を付け足した。
「この道を真っ直ぐ行けば、小さな集落に出る。そしてその集落から少し進んで、分かれ道を右に曲がるとガファスと言う町に着く。そこにクサカという仲間がいるはずだ」
 忘れないよう、何度も男の言ったことを復唱するセツを見た男は先に歩き始めた。
「……分かれ道まで道は一緒なんだがな」
 その言葉を聞いたセツは、内心「じゃあ今言う事無かったんじゃ」と思いながら、復唱する事を止めて小走りで男に着いていった。

 ・

 日もどっぷりと暮れた頃、男と不機嫌な顔をしたセツは集落を過ぎて分かれ道までたどり着いていた。
 セツは集落で初めて見るノシド以外の人々の暮らしを見て大興奮だったが、男が長居をしたくなかったようで忙しく辺りを見渡すセツを引っ張り、ほぼ無理やり分かれ道まで連れてきたのだった。
「じゃあ俺は行くからな」
「はいはい、さいなら」
 集落を無理やり連れ出されたセツは、よほど見る事を邪魔された事が悔しかったのか適当に返事をした。
「……変わったな」
 不機嫌を露わにするセツに男は小さく呟いた。聞き取れなかったセツが尋ね返すが、男は「何でもない」と言ってごまかすと、セツとは別の道を進み始めた。
「そういや名前何て言うの?」
 足を進める男にセツは振り向いて尋ねた。今まで名前を聞こうとしたことは何度かあったが、その度にタイミングを逃したり、忘れていたりで結局の所セツはまだ男の名前を知らない。
「……今度な。それと、お前。わざと魔物を殺さなかっただろう?」
「気づいていたんだ……」
「お前が相手した魔物には一切刀傷が無かったからな。無益な殺生をしないというのは見上げた心がけだが、その甘い考えではいずれ死を招くぞ」
「甘いだって……っ!?」
「ああ。そんな考えは十分な力を持った者が言えることだ。今のお前の力はひよっこどころか卵……いや、精子レベルだな。ああ。お前は精子だ」
「誰が精子だ!!」
「何だ、不服か? ……卵子の方が良かったか」
「違うっつーの!!」
 淡々ととんでもない事を悪びれることなく言う男を前に、セツの怒りは見る見るうちに消えていく。
「もういいや。とにかく次にあんたに会う時はもっと強くなって、さっきの言葉撤回させてやるから。そんじゃ、さいなら」
「楽しみにしておく。俺ももう少し上手い例えを考えておく」
「いらんっつーの!」
 いらぬおせっかいに血圧を上げながら、セツは男とは別の道を足音荒く歩いていく。しかし、十メートル歩いたころであろうか。不意に立ち止まり、
「ありがとう……感謝してるよ」
 直接言うのはどこか気に触るので、セツはなるべく小さく、けれど素直な感謝の言葉を呟いた。
 聞こえていたら少し恥ずかしいと思いながら、ぎこちなく一歩一歩地面を踏みしめて歩く。
「どういたしまして」
 「聞こえていなかったか」とセツが安心した頃、不意に男の声がした。同時にセツの心拍数は上がり、顔に熱がカァーっと集まる。
 男はセツの感謝の言葉を聞く少し前から立ち止まっており、セツの感謝の言葉をまともに聞いて笑いを堪えていたのだった。
「ささささよなら」
 聞かれていた事がどうも気恥ずかしく、居ても立っても居られなくなったセツは、半ば叫ぶ様に言うとガファスに通じる道を走り去って行った。

「お前なら思い出せる筈だ」
 遠ざかって行くセツの足音を聞きながら男は夜空を見上げて呟いた。夜風が男の言葉に応じるように強く吹いた。

「お前もそう思うだろ? ……ヒワ」

 そう言うと男は今まで被ったままだったフードを脱いだ。夜風が男の黒髪を揺らし、それに対して男は気持ちよさそうに目を少し細めるとゆっくり足を進み始めた。
――どちくしょー!!
 遠くからセツの叫びが聞こえてくる。セツの事だ、顔の火照りが治まるまで走りつづけるのだろう。
 セツの叫びを聞いた男は口元を緩ませると、ゆっくり進めていた足を早めて歩きだした。

 ・

 数時間後、セツは走る事を止めて木にしがみついていた。別に疲れた訳ではない。走るだけでは物足りなくなり、木にしがみついて愚痴をこぼしていたのだった。
「いつも無視するクセに、何であの時だけ……ああぁあぁ……」
 思い出されるのは先ほどの自分の失態。しがみつくだけでは物足りなくなったセツは、何を思ったのか木に登り始めた。しばらく木の上で座り込んで後悔の波に押されていたセツだったが、だんだんと近付いて来る足音に気が付き、下げていた頭を起こす。
「……ら……な……」
「ば……言う……!」
 足音の主は複数いるようで、しきりに何かを言いながら徐々に近付いて来ている。
 出ていってはまずい予感がしたセツは、男から渡された荷物をギュッと抱えながら待機していた。
「……クサカ……な」
 "クサカ"という単語に反応したセツは、歩いてくる人の会話を、悪いとは思いながら聞き漏らさないように耳をそばだてた。近付いて来るにつれて会話もはっきりと聞こえてくる。
「こ、今度はどんな女を用意してるんだろ?」
「さあネ、それはあの人次第だろうヨ。なんにせヨ、次回も今日みたいな上玉だと思うけどネ、上玉は高値が付くから好きだナ」
 近付いて来た二人組の会話を聞いたセツは話の内容に目を見開いた。
 二人の内のガリガリに痩せた男が持っている大きな袋から、チャリチャリと金属製の物がぶつかる音がしている。音からしてお金だと分かったセツは、話の内容から何を売ってできた物か分かり、ショックを隠しきれなかった。
「じゃ、じゃあ、今日も飲み明かそう」
 もう一人の太った方の男が嬉しそうに言うと、痩せた方の男も楽しそうに笑ってそれを了承した。
 ――許せん……!
 生きている者を金に代え、悪びれもせずにいる二人を見たセツに怒りが芽生える。
「ヘイザイッ!」
 怒りに燃えたセツはノシド語で叫びながら、二人組の頭上へと飛び降りた。いきなり頭に衝撃を受けた二人は、それぞれ情けない声を上げて地面へ倒れる。
 着地に失敗して尻餅をついたセツは、ぶつけた箇所をさすりながら気を失っている二人組を見つめる。

『……クサカ……な』

 遠くて良く聞こえなかったが、二人組が"クサカ"という名を出していた。
――もしかすると、クサカが人買いに関与しているかもしれない。
 そう考えたセツは少し気が重くなった。
 重い足取りでセツが去った後、夜が明けて偶然通りかかった集落の人が起こしてくれるまで、二人組は道端で気を失ったままだった。


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