12
「おおー、思ったより湿気て無い」
 意外と快適な岩穴内でセツのテンションは高まっていた。入るなり背負っていた風呂敷の結び目を解いて中身を乾かそうとしている。幸い、風呂敷の中の荷物は木箱に入れられており、濡れてはいなかった。
「こっちに来い」
 木箱を眺めて「お母さんナイス」と密かに思うセツに、男が来るように言った。
 何事かと寄ってみれば、男の手の上には灰色の石が乗せられていた。
「あ……その石、私も持ってますよ」
 ごそごそと、ズボンのポケットを探った彼女の手には薄緑の石が乗せられていた。
「当たり前だ、俺がお前の部屋に置いておいたのだから」
 男の言葉にセツの顔から笑みが消える。「不法侵入」等では無く、男の不審さにようやく気が付いたからである。
 今思ってみれば立ち入り禁止の聖域で、あれほどタイミング良く人と出会う可能性は低い。それに男の言う通り、もし男がセツの部屋に石を置いたのなら、それは何か明確な目的があったからに違いない。

 その明確な目的とは何か?
 男は石を彼女の部屋に置き、聖域で魔物に狙われていた彼女を救った。
 次に男は彼女を聖域の奥まで導いた。ここで気になるのは男が夜で見通しが悪く、魔物に追われているにも関わらず慌てる素振りも見せず、更に迷うこともなく結界に囲まれた古い石柱まで走り抜けた事。
 普通ならまず聖域から抜け出すだろう。
そして男は古い石柱がある場所まで来ると彼女を突き飛ばし、彼女の事を追って来なかった。それは男の役割が終わり、その先は男が見ていなくても彼女が目的の場所にたどり着くという確証があるからではないか。
「自分の結晶はどうした?」
 悶々と男が危ない人物か否かを悩むセツへと男が話をふる。
「自分の結晶?」
「お前が入っていた結晶の欠片だ」
 首をひねるセツに男は手短に説明をする。手のひらにあるものは石では無く、結晶らしい。
「それよりあんた何者?」
 溜まりに溜まった疑問を、セツはストレートに告げる。その問いかけに、男は答えなかった。
「人の家に上がり込んだり、タイミング良く助けてくれたかと思えば突き飛ばしてみたり、あげくに外に連れ出したり……」
 今ここで見知らぬ人と共に居ることを危険に感じたセツは、少し早口で言う。
「あれだ、結局は怪しい人か安心できる人か……どっち?」
 考えるのが面倒臭くなったセツは、最終的にほぼやけくそ気味に尋ねた。
「安心できると言ったら?」
「そりゃ今まで通りついて行くよ」
「怪しい奴だと言ったら?」
 男の問いかけに、セツは少し首を傾けて考えると答えた。
「うーん……ついて行く、ね。あんたには恩があるし、借りを返したらとっとと逃げるよ」
 "どちらでもついて行く"その答えを聞いた男はしばしの間黙り込んだ。男のローブから滴る水滴を眺めながら、セツはあぐらをかいて男の答えを待った。
「さあ、どっちだろうな? しいていうなら、お前と俺達は仲間だった」
 どっちつかずな男の返事にセツは少し不満を感じたが、男がセツと仲間だったということを聞き、何だか嬉しい気持ちになった。
「で、自分の結晶はどうした?」
「ああ、家族にあげましたよ」
 男の問にセツは飄々と答えた。男の事を何となく"安心できる人"と認識して、一応敬意を払って敬語を使っている。セツの答えに男は大きくため息をついた後に、セツに話しかける。
「お前……結晶はこれから旅に出るにあたって必要な物だ。自分の結晶を持っていないと力を完全に出し切れない上、仲間を探すのにも苦労する」
「そんなの聞いていなかったから知りませんよーだ」
 結晶がそんなに大事な物だと知らずにあげてしまったセツは、少し眉にシワを寄せて答えた。セツの言う通り、結晶が重要な物だと知っていたら、「これ綺麗!」と結晶に飛びついた母にあげることは無かっただろう。
「まあ良い、薄緑のをよこせ」
 相変わらず無愛想な男の態度に、多少カチンとしながらもセツは立ち上がって薄緑の結晶を手袋をした男の手に置いた。
「見ていろ」
 またまた無愛想な言いように「へいへい」と、適当に返事をしたセツの目の前で、二つの結晶が呼応するように輝き始めた。灰色と薄緑、二つの結晶の光が岩穴の中を照らし始める。
 セツは目の前のこの光景を知っていた。
 セツがまだ"ユキ"だった時、彼女が持っていた薄緑の結晶が、岩の中のセツの結晶と呼応し合い、岩を吹き飛ばした時もこのような光が出ていた。
「俺達は一人一人異なる色の結晶を持っている」
 光を発する結晶を食い入るように見つめるセツに、男が説明をし始めた。光は男のフードの中もぼんやりと照らしていた。
「先に話した通り、結晶は俺達の力を引き出したり、このようにお互いを呼び合い、光を発する。もちろん常に光る訳では無……」
「すみません」
 男の説明を遮ってセツが口を挟んだ。男は顔を上げずに「なんだ」と短く尋ねた。
「いや、なんか凄く光っているんですが……」
「だからお互いを」
「違いますって! それじゃ無い、顔を上げてくださいよ」
 どこか戸惑った様子のセツの声に男はゆっくり顔を上げた。
「それは……」
「ね、凄く光っているでしょ?」
 男の目に入ってきたのは困った表情で立つ、セツの胸元で薄い真珠色に輝く光だった。
 セツの首にかかっている首飾りから光っているようだが、光が強くてよく見る事ができない。
「それはセツ、お前の結晶の光だ。しかし……儀式の前に何か渡されたか?」
 男が結晶の乗っている手にぐっと力を入れると、結晶の光は嘘のように掻き消えた。
 光が消えると同時にセツは胸元の首飾りを首から外してじっくりと見た。
「あ゙!!」
 首飾りを確認したセツは、何とも色気の無い声を上げた。薄暗い岩穴内でもわかる程、顔色が悪くなる。
「これ……おじいちゃんがユキに渡したお守りだ」
 祖父から預かった物、しかも代々家に伝わる家宝のような物を持ち出してしまった事により、目覚めたユキがどのような仕打ちに遭っているか……。
 そう考えたセツは体が冷えているにも関わらず、汗が止まらなくなった。家宝を無くしたとなれば祖父だけでは無く、父、母そしてそれに便乗した二人の姉もユキを叱り飛ばすだろう。
「どっどど、どうしよう? ユキが危ない!」
 パニックに陥り、数年前に父が大事にしていた皿を割った時の罰が蘇ったセツは、岩穴の外へ飛び出そうとした。
「待て」
 飛び出してそのまま崖の下へ落ちていきそうな勢いのセツの肩を掴んだ男は、そのままぐるんとセツの向きを変えた。
「落ち着け、渡されたお守りはどんな物だったか分かるか?」
「おっお守り袋の中に入っていて、確か……紐がついた薄い木の板」
「板だけか?」
「はい」
 少し落ち着きを戻したセツは、何度も首を縦に振った。
「なら、それは渡された物ではない。よく見て見ろ」
 そう言われてセツは改めて首にかかる板を見た。落ち着いて見てみれば、板の上下と板を挟むように紐の部分に薄い真珠色の小さな結晶が着いている。
「あ、本当だ」
 違うという事が分かったセツは、ユキが木で逆さに吊り下げられたりしない事に、心底安心した。

 勘違いから数十分後、セツは男が言った"仲間"について男に質問をしていた。
 何でも、男の他にもかつてセツと共にいた人がいるらしく、その人たちに会ってセツの記憶を戻す事がこの旅の目的らしい。
「何人いるんです?」
 仲間がいた事に喜びを隠しきれないセツは、結晶の光でぼんやり明るい岩穴で、目を輝かせて男に尋ねた。
「いずれ分かる」
「へぇ、名前は?」
「いずれ分かる」
「ほぉ、性別は?」
「いずれ分かる」
「で、どんな人たち?」
「いずれ分かる」
 端から見ればかなり適当にあしらわれているが、仲間がいることによってノシドから離れた事を癒してくれる気がしたセツは、ニコニコと笑いながら質問を続けていた。
「それより、濡れた衣服のままだと体調を崩す。替えの服は持っているのだろう? 着替えて寝ろ」
 男の言葉で、セツは自分がずぶ濡れな事、疲れ果てている事を思い出した。思い出した事により体が急に重くなった。
「着替えるって……ここで?」
 いくら子どもっぽくても一応年頃の娘、何となく知らない男の人の前で服を脱ぎ散らかすのは気が引けるセツは、気まずそうに尋ねた。
 見たところ岩穴に隠れて着替えられそうな場所は無い。
「着替えている間は外でいよう」
 言うや否や、男は外へととっとと出ていった。

「すみませんでした、どうぞ」
 最初に着ていた紺の浴衣のような衣服に着替え終えたセツは、外にいた男を呼んだ。
 ちなみに今日着てみて分かったのだが、昨日のセツは死に装束の着方をしていた。軽く洒落になっていない。この服はどう着れば良いのか全く分からなかったが、やはり体は覚えているもので、あれやこれやの内に何とか着れたのだった。
「なんです?」
 入ったきりじっと自分を見つめたまま動かない男に、セツは怪訝そうに尋ねた。
 男はそれに答えず、奥へと歩いた。
「着替えるんですよね? 外に出ましょうか」
 「無視にはもう慣れた」そう思いながらもカリカリとした心境でセツは尋ねた。
「着替えたのに外に出てどうする? また濡れるぞ。俺は着替えなくて良い、このローブは防水だからな」
 言うなりローブを脱ぎ始める男を見て「セコい」と、思いながらセツは不意に男に背を向けた。

「どうした?」
 いきなり自分に背を向けたセツに、男は当然ながら疑問を抱いた。その疑問にセツは背を向けたままで答えた。
「私はまだあなたを安心できる人だと認めた訳じゃないです」
 ――ほぼ信じているけどね
 心の中でこっそり呟きながらセツは続ける。
「だからもしあんたが……男前だったら、何となく腹立つから顔は見ません」
 そう言うなり、セツは男に背を向けたまま地面に寝ころんだ。
 端から聞いていればふざけた事だが、セツにとっては真面目な考えだ。
 何もセツとて男の素顔を見たくない訳ではない。むしろその反対、見たくて仕方がないのだ。
 しかし強くて、頼りがいがあり、頭もそこそこ切れるであろう男に容姿端麗が加われば完璧な人間になってしまう。「完璧な人間などいない」そう考えていたセツにとって、それはどうしても阻止したかったのである。
 結局の所セツは、男が完璧な人間である事を認めたくないだけで、男が安心できる人であろうとそうでなかろうと関係ないのである。
「お前がもし少しでもそう思うのなら……」
 男が言った後に水を含んだ服が地面に落ちる音がした。恐らくローブを脱いだのだろう。
 その音に反応したセツの好奇心が意地を押し始める。負けないよう懸命に堪えるセツに男は続けた。
「俺に敬語を使うな、敵に敬語を使っても役に立たないからな」
「わかった! おやすみっ!」
 今にも好奇心が意地を張り倒してしまいそうなセツは、半ば叫ぶように返事をした。
 見たいが見たくない、複雑な心境の彼女は無理やり眠りにつく事によって、好奇心を封じることにした。
 目を閉じると「待ってました」と言わんばかりに襲いかかる睡魔に身を任せながら、セツは意地があとどれくらい踏ん張りきれるか心配になったのだった。

 ・

 翌日の夕暮れ前、セツと男は無事に崖を降りる事ができた。最も、最後の最後にセツは崖から滑り落ちていたが。
「着いたー!」
 崖から落ちた体制のまま、セツは初めて見るノシド以外の景色に思わず声を上げた。
 セツのテンションが上がっている理由は、これだけでは無い。降りる途中であまりの落差の為、滝が霧に変わった所を見てから徐々にテンションは高まっていた。
「それにしても……いやー何もないね!」
「当たり前だ」
 目の前に広がる苔だらけの荒れた地を見てセツはわはは、と豪快に笑った。
 そんなセツに、追い付いた男は相変わらず無愛想に突っ込んだ。
 セツが何もないと言うのも無理は無い。年中霧が降り注ぐこの地は、ごろごろと転がる岩の至る所に苔が生えているだけの場所だからだ。
 しかし、そんな何もない光景を見てもセツは楽しそうに笑っていた。
「ここはお前が住んでいた土地に上がる以外に道は無い。当然そんな所に行く者など滅多にいない。……戦った経験は?」
 今し方降りたばかりの崖を見上げて男は言った。男の言うとおり、こんな先の見えない崖を登ろうとする者は殆どいないだろう。
「ん? 戦いっていうのかな? 狩猟なら何回もしているよ」
 男から話を振られたセツは、突拍子もなく変わった話題に多少戸惑いながらも答えた。
 セツが住んでいたノシドは自給自足の生活が基盤だった。よって食料が少なくなる冬には、セツは山に入って獣を狩っていたのだった。
「なら大丈夫だな、これを持っておけ」
 納得したように頷くと、男は懐から短刀を出してセツに渡した。
「何これ、貰っていいの?」
 黒い鞘に収まっている短刀を受け取ったセツは手に取った短刀を鞘から出してまじまじと眺める。短刀は片刃で、獲物を解体する際に使っていた物とよく似ており、思わず故郷を思い出して何とも言えない気持ちになる。
「来たぞ」
 男の声に顔を上げたセツはあからさまに不快な表情になる。魔物の群れが姿を現したからだ。
 魔物の容貌は、人が四つん這いになって頭を亀に、そして体をずんぐりとした獣に変えたようなモノだった。
「これからの旅にアレと戦う事は避けられない。今のうちに慣らしておけ」
「うえ、私ら食べる以外は無駄な殺生しないんですけど……」
「なら、あいつらの餌になるしかないな」
「残念ながら自殺願望も無いんだよねぇ」
 マイペースに会話を続ける二人に、群れの内の二匹が向かってくる。それに気が付いた二人は会話を止めると、魔物の方へと向きを変えた。
「まぁ、やりますか」
 言いながら、セツは迫ってきた一匹を横に避けた。避けられると思っていなかった獣は頭から岩にぶつかった。
 横から耳をつんざくような悲鳴が聞こえ、そちらを見てみれば短剣を投げつけて魔物をしとめている男が見えた。
「えげつない……」
 腹に数ヶ所短剣が刺さり、痙攣している魔物を見たセツの口から思わず言葉が洩れる。
「私も本気でやらなきゃね」
 四方から迫ってくる魔物を見たセツは気を引き締めた。
 この状況がどこか懐かしいと感じがしたセツは、短刀を構えると飛びかかって来た魔物を横に避けながら、首に短刀の柄を思いっきり打ち付け、痙攣する魔物を無視して次の獲物に走り出す。
 その顔はいつものふやけた表情では無く、感情が全く感じられない、ぞっとするほどの無表情になっていた。


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