少女と花火と口癖と
会える時に会っておきなさい。
謝れる時に謝りなさい。
これは、俺のばーちゃんの口癖だった。



「まーちゃん、遊ぼー!」
「今行くー! お母さん、宿題は帰ってからするから!」
「こら、正志! あーもう、今日こそちゃんとしなさいよ!」
 騒がしく出て行く息子、正志を見送りながら、母、美佐子は大きくため息を吐いた。
 明日する、明日すると言って、結局二十日以上宿題を放置している小学生の息子は、今日も当たり前のように近所の友人達と出て行ってしまった。
 何か対策を考えないといけないな。腕組みをしながら考えていると、麦わら帽子を被った老人が、美佐子に挨拶をする。
「まー君、今日も元気だねえ」
「元気すぎて困るくらいですよ。宿題もろくにしませんし」
「まあ、あれ位の年の子ならあんなもんだよ。それに、まー君も色々あるんだろう」
「そう、ですね……」
 二人が見上げた空は、田舎ならではの濃い、濃い青。
 ここは都会の喧噪とは無縁の、平和な村。人よりも、猿や鹿の方が多く、道を歩いても人に出会うことはまず無い。特に、今のような夏場は。
 少子高齢化の余波がゆるりと近付きつつあるこの辺境の地であるが、そこに育った子ども達は、異様にたくましくなることがある。
「よっしゃ! ノコギリゲット!」
「まーちゃんまたー? 僕、カナブンしか取れないのに……」
「うわわ、やばいまーちゃん! かずくん! スズメバチでた!」
 逃げろー! との合図と共に、雑木林のブナ林から三人の少年達が飛び出してきた。
 カチカチと警告を発するスズメバチから、文字通り脱兎の如く逃げ出した三人は、近くに停めてあった自転車に飛び乗ると、慣れた様子で舗装されていない道を走り抜ける。
 谷村正志、大野和也、落合洋二。この三人は村では有名な悪ガキ三人組である。しかし、悪ガキと言っても彼らが故意に他の人に迷惑をかけることはまずない。どちらかというと、三人が何かをした結果、偶発的に思いがけぬ自称が発生し、それが周囲に迷惑をかけるのだ。
「あー、びっくりしたなー。まあ、ノコギリ取れたから良いけどさ」
「やっぱ昼の虫取りは危ないよ。数も少ないし。ミヤマ取れただけでも儲けものか」
「あー、あれだけ頑張ってカナブン五匹かぁ。割に合わないよ……」
 スズメバチから逃げ延びた三人は、川で涼みながら今回の成果を報告し合う。
 木陰に置いたカゴの中を見て、和也がしみじみと呟く傍らで、何かに気づいた洋二が上流にある橋を見てあっと短く声を上げる。
 何だと正志がその視線の先を辿る。橋の上には、七十ほどの老人の後について歩く、正志達と同い年程であろう少女の姿があった。
 しばらく見ていると視線に気づいたのか、少女がこちらを見る。が、少女は眉間にしわを寄せた後、すぐにソッポを向いてしまった。
 明らかに好意的でないその動作に、三人は唖然としながらその姿を見送ることしかできなかった。
「ななななんだよ、俺等何かした!?」
「見に覚えは無いけど。でも、二次被害に巻き込んだって考えると、していないとは言い切れないかな」
「にじさいがい? 何それ」
「でも可愛いよね」
「え?」
 洋二の言葉が理解できず、説明を求める正志の隣で和也がぽつりと、聞かれても居ない少女への気持ちを口にする。
 直後、違う! と否定するが、茹で蛸のように真っ赤になっている辺り、先ほど言ったのが本心で間違いないだろう。すっかり気が動転し、何を思ったのか川に飛び込む和也を追いかける。
 先ほどの少女は清水涼香。夏休みを利用して、祖父の家があるこの田舎に帰省してきた、言わば都会の少女である。
 今まで物心付く前から一緒にいた幼なじみ達とは違い、どこか大人びた同じ年頃の少女というのは、彼らの好奇心を強く惹いた。
 しかし、一方で彼らは彼女の楽しそうな顔を見たことがないことを不思議がっていた。

 ・

 翌日、和也と洋二は橋桁で釣りに興じていた。
 そこに珍しく正志の姿は無い。
 何故かウグイばかり釣り上げる和也を、洋二がぎょっとして見ていると、頭上の橋の上から「あ」と言う声が聞こえた。
「清水涼香……?」
「……何で私の名前知っているの?」
 思わず名を口にすると、年不作応な冷たい目をした少女はやや不服そうに口を尖らせた。
 昨日話題になった少女が目の前にいる。それも、ゴキブリを見るような目で見ていた自分たちに、声をかけている。
「有名だからね。ここ、狭いからすぐに誰かが来たら話が広がるもん。あ、僕、大野和也。で、こっちが」
「落合洋二」
 何事もなかったかのように淡々と自己紹介する和也の言葉につられ、洋二は単調に自己紹介をする。
 二人の名を聞いた涼香は、知っている。と興味なさげに言うと、一番うるさい人は? とこれまた素っ気なく聞いてくる。
 日々何かと騒ぎを起こす悪ガキ三人組の話は、嫌が応でも耳に入っていたため、涼香は三人の名をとっくの前から周知していたのだ。
「え? ああ。まーちゃん? あー、まーちゃんはね……」
「二人ともお待たせー! って、清水涼香あああぁああ!?」
 正志の所在を口にしようとした正にその時、自転車を爆走させながら正志がやってきた。
 洋二と同じく涼香の名を口にした正志は、ハンドル操作を誤って土手へと転げ落ちていく。
「うわぁ! まーちゃん大丈夫!?」
「もー、何やってんだよ」
 釣り竿を放り出し、正志の元へ駆け寄る二人を見ながら、涼香はまたフルネーム。とぽつりと呟く、が、てんやわんやの三人の耳には入らない。
「ごめんごめん。で、何で清水涼香がいる訳? もしかして!」
「何のもしかしてか知らないけど、清水涼香が偶然来ただけだよ」
「ふーん。あ、そうだ。飴食う? ばーちゃんにもらったんだ」
「欲しい!」
「清水涼香も食べる?」
「何でフルネーム呼びなの!?」
 現れるなり自分のペースで周囲を巻き込み始めた正志に、しばし蚊帳の外にいた涼香が吠える。
 彼女としては面識がない(あると言えばあるのだが)相手に、何故かフルネームで呼ばれることが爵に触るようだが、言われた本人はあっけらかんと、
「だって清水涼香だろ? なら良いじゃん。で、飴食べる?」
 全く悪びれる様子も無く言ってのける。
はあとため息を吐き、涼香は橋から下りて三人の元に進む。
 透明のナイロンに包まれたビー玉大の半透明の茶色の飴を手渡され、涼香はしばし飴を見つめる。このような飴を食べたことがない為、少し抵抗が生まれたのである。
 が、三人が美味しそうに頬を膨らませながら飴を頬張っている姿を見、心を決めてえいと口に放り込む。途端、口に広がった独特の甘みに、涼香は目を見開いた。
「美味いだろ? 俺のばーちゃんのイチオシだからな!」
「初めて食べた……。これ、不思議な味。でも、美味しい……」
 怪訝な表情から、見る見る内に笑顔になっていく涼香の姿に、三人までつられて笑顔になる。
「あ、そうだ。俺、谷村正志。清水涼香、よろしくな!」
「清水涼香。……よろしく」
 これをきっかけに清水涼香と悪ガキ三人組は、毎日のように遊ぶ仲となったのであった。

 ・

 明けない夜はない。
 けれど、沈まぬ日もない。
 どんなに楽しい時間でも、必ず終わりは来る。
 楽しくて仕方の無かった夏休みもあと五日となり、常時脳内麻薬が分泌しているのではと疑いたくなるような三人にも、幾らか陰りが見え始めてきた。
「なー、まーちゃん、宿題……」
「言うな!!」
 逃避し続けていた「夏休みの宿題」の締め切りから尚も逃げようとする正志だが、幾ら韋駄天と名高い正志でも、これから逃げることは叶わなかった。
 ちなみに、洋二、和也は殆どの宿題を終えている。が、それに対して、正志が終えている宿題と言えば、ラジオ体操の参加だけだ。
「清水涼香ちゃん。どうしたの、そんな暗い顔をして。宿題、まーちゃんみたいに貯まっているの?」
「馬鹿だなー、かずくん。清水涼香がまーちゃんみたいな訳ないだろ?」
「よーちゃん、それどういうことよ」
 言葉通りだよと煽る洋二の言葉を遮り、涼香は意を決したように口を開く。
「私……、明後日帰らなきゃならないの」
 途端、三人の顔から表情が消えた。
 すっかり馴染みになっていたため、失念していたが、涼香はここの人間ではない。夏休みを利用して、祖父母の元に帰ってきた。その為、夏休みが終われば、家のある町に帰らねばならない。
 夏休みが終わる。それは、この楽園のような生活の終わり、宿題の悪夢、そして、涼香の居ない生活の訪れであった。
 何と声を掛けていいのか分からず、口ごもる三人の前で、涼香は「でもね」と、無理に明るくしたように言葉を続けた。
「でもね、私、帰らなくても良いかも! ほら、私のお母さん、怪我しているじゃない。だから、今帰ってもお母さんの邪魔になるかもしれないし……。だったら、こっちでいてさ、お母さん治ってから帰れば良いんじゃないかなって」
 涼香の母は今、交通事故で負った怪我の療養をしていた。その都合で彼女は父方の祖父母の家に預けられていたのだ。
 涼香の母は夏休みの頭に退院し、自宅療養をしていた。最初の一週間程は母も涼香も久しぶりの再会に喜び合っていた。しかし、幾ら手が掛からない涼香とはいえ、自分一人の世話が精一杯の母がずっと生活を共にするとなると、精神面に暗雲が立ちこめてきた。
 涼香の少しのミスに苛立ち、また自分の体にも憤りを感じ、やがてそれらの激情の行く末が涼香に向けられそうになった時、涼香の母は涙ながらに夫に打ち明けた。
 これ以上あの子といたら、私が私だけでなくなってしまう。あの子に危害を加える前に、あの子と引き離して。と。
 それは賢明な判断であった。
 しかし、母のことを心底好いていた涼香にとっては、残酷な言葉であった。
「って言うかさ、私、お母さんにとって邪魔なの。だから、もういっそこっちに引っ越してさ……」
「駄目だ」
 拒絶の言葉に、涼香の大きな目が見開かれる。
 慕っていた母に拒絶され、心に傷を負っていた少女は、底抜けに明るく、自由に生きていた地元の少年達によって、以前のような明るさを取り戻していた。
「清水涼香は帰るべきだ。お前の場所は此処じゃない」
 しかし、塞がっていた筈の傷は、あろう事か傷を癒した当人の言葉によってまたもや開かれる。
「何で……っ」
 声が、震えた。
 あの日。夜中に水を飲もうと思って立ち寄った台所。そこで「あの子とは一緒にいられない」と言っているのを聞いた時と同じように、足の力が抜けていく。
 拒絶の言葉を発した少年は、手を付け始めた宿題から目を離し、此方をじっと見つめている。その目には、いつもの笑みは無い。
「まーちゃん何でそんなこと!」
「もう良いよ!」
 洋二が正志につかみかかった直後、涼香は大声でそれを制した。
 しんと、沈黙が訪れる。扇風機が風を送る音だけが響く中、涼香は畳からゆっくりと立ち上がり、ズボンの裾を叩く。
 薄いカルピス、毎日出されるスイカ、すり切れた畳、欠けた食卓、いつまでもフルネームで呼んでくる友達。そのどれもが涼香にとっては初めて遭遇するものであり、愛おしい存在であった。
「そうだよね、私、ここの人じゃないもんね。勝手に馴染んだと思って、友達になったような気になって、馬鹿みたい……」
 しかしそれも今日まで。
「清水涼香……」
「今までありがとう。……じゃあね」
 今までの感謝と、別れの言葉を口にし、涼香は正志の家から飛び出していった。
「おいまーちゃん!!」
 あまりに冷たい態度の正志に洋二がつかみかかる。涼香を追いかけようとした和也だが、今にも殴りそうな洋二の姿に、踵を返して仲裁に入った。
「あの言い方はあんまりだろ! 清水涼香がどれだけ傷ついたか分かってんのかよ! 少しは清水涼香の気持ちを考えろよ!」
「だったら清水涼香の母ちゃんの気持ちは考えなくて良いのかよ!?」
 思いがけない返答に、洋二の拳が止まる。
「確かに、清水涼香は此処にいたら幸せだ。でも、母ちゃんは幸せじゃない。いつまでも謝ることも出来ない。仲直りも出来ない。そっちの方が辛いだろ」
「でも清水涼香のお母さんは清水涼香を傷つけたんだぞ!?」
「誰だって自分の中で気持ちを抑えられないこと、あるだろ。腹が立ったら、俺たちも死ねって言ってしまう。でも、落ち着いたら、何でそんなこと言っちゃったんだろう。って後悔するじゃん。そりゃ、清水涼香を傷つけたことで間違いない。でも、好きで言った訳じゃ無いだろ」
 ようやく正志の真意が理解できた洋二は、掴んでいた手を離し、ごめんと小さく謝った。その姿を見、間に入っていた和也はほっと一息つく。
 が、ここで一つの問題が浮上する。
「清水涼香ちゃんさ、まーちゃんが自分のこと嫌いだって思ってんじゃないの?」
「あ」
 すぐさま三人は清水涼香を追いかけた。
 が、案の定否定されたのと思いこんでいる涼香が彼らに会おうとする気は一切無く、無情にも清水涼香が帰る日が来てしまった。

 ・

 夏休み最終日。
 この日は村の祭りであった。
 小さい村ながら、祭りには力を入れ、屋台や盆踊り、そして最後には花火が打ち上げられる。
 祭りの話は噂に聞いており、つい最近までは心待ちにしていた涼香だが、先日のいざこざでそんな気持ちは梅雨と失せ、今は祭り囃子の音さえ不快に感じる。
 畳で寝ころび、しばらくは触れることさえしていなかったゲーム機をいじり、涼香は重々しくため息を吐いた。
 今まで楽しく思えて仕方なかったゲームは、外で遊ぶ楽しみを覚えてしまった今ではただ単調な動作を繰り返すだけのものとしか考えられない。かと言って、外遊びを共有する仲間を失ってしまったため、幾らつまらないとは言え、ゲーム機を離すことも出来ない。
 正志に否定されたあの日から、三人は毎日涼香の元を訪れた。しかし、彼女はそれを望まず、三人は門前払いとなっている。
 今更何の用。否定したくせに。私のこと嫌いなくせに。会いたい。嫌い。仲直りしたい。
 複雑な心境のまま、涼香はこの五日を過ごしていた。
「涼香、お父さん来たぞ」
 祖父の声に、涼香はゲーム機を折り畳んで鞄にしまう。
 既に荷物は纏められており、いつでも帰ることが出来た。
「久しぶりだな、涼香。祭り、見て行かなくて良いのか?」
「……うん。行く相手、いないし」
 久しぶりに父の姿を見たせいだろうか、少し泣きそうになる。
 それをぐっと堪えて、涼香は纏めた荷物を手に取り、戸口を出る。
「お母さん、会いたがっていたよ」
 その言葉に、足が止まる。
 本当に、お母さんは会いたがってくれているのだろうか? そうだとしたらとても嬉しい。しかし、同時に恐ろしかった。また、拒絶されたらと思うと。
 今までは、祖父母の家という逃げ場があった。けれど、その場所にも拒否された今、母に拒絶されたとすると、涼香の逃げ場所はもう、無い。何処にも、無いのだ。
「涼……うわ、何だこれ!」
 俯いたまま動けなくなった涼香に、父が声を掛けた直後、丸い物体が地面に転がると同時に、周囲は煙に包まれた。一寸先も見えぬ視界の中、涼香の手が誰かに握られる。
 突然の襲撃に叫ぼうとするも、それより先に耳をつんざく破裂音が響きわたり、彼女の抵抗は無と化した。
「清水のじーちゃん、ごめんね、清水涼香ちゃん借りるよ!」
「清水涼香、走って!」
 爆竹による破裂音の合間に聞こえた、今となっては懐かしい声に、涼香の表情は不覚にも和らいだ。
 無数の煙玉が生み出した煙の向こうに見える、自分の手を引き、パニックになる祖父と父に謝る二人の少年。それは、涼香が会いたくて、会いたくなかった友人達の姿だったからだ。

 暫く走り続け、全員が息切れし始めた頃、三人は走ることを止めてゆっくりと歩き始めた。
 そこでようやく頭が冷静になってきた涼香は、今更何の用? とぶっきらぼうに質問をする。本心では、最後に会いに来てくれたことが嬉しくて仕方ないのだが、斜に構えがちな性格の影響が災いし、天の邪鬼な発言をしてしまう。
「嬉しいくせに」
 が、二人の友人は涼香の見え透いた嘘をいとも簡単に見破る。
「そんなこと……っ!」
「じゃあ何で着いてきたのさ。嫌だったら手をふりほどけば良かったのに」
「まあまあ、よーちゃん。ずっと会わなかった手前、照れくさいんだよ」
「だからっ!」
「良いから良いから。これから帰んなきゃならないんでしょ? 時間あまり無いだろうし、早く行こう? まーちゃん待ちくたびれるよ」
 正志の名を聞いた途端、涼香の顔色が悪くなる。
 無理もない。正志の言葉は涼香の塞ぎかかった心の傷をまた広げてしまったのだから。
「まー……正志くん、いるの?」
「清水涼香連れだそうって言ったの、まーちゃんだから」
「一番面倒な連行は僕たちに任せたけどね」
「正志くんいるなら、私、行かない」
「はあ?」
「だって、正志くん、私のこと嫌いなんでしょ」
「あー、もう面倒くさいな! 嫌いなら誘い出す訳ないじゃん!」
「でも!」
「なんなの、まーちゃんが嫌いって言えば満足なの!?」
「そんな訳じゃ……!」
「でも、清水涼香、俺たちが幾ら違うって言っても信じる気無いでしょ? 嫌いって言わなきゃ納得しないだろ? その癖言われたら傷つくんだろ? どうしてほしいの?」
 これでもかと言うほど図星を突かれ、涼香は押し黙らざるを得なかった。
 その内、意地を張り続けている自分が惨めになってきて、涼香はその大きな目からポロポロと涙を流す。
「だって、だって、私……!」
「な、何だよ、泣くなよ」
「泣いてなんかいないもん」
「泣いてんじゃん……。かずくん、頼んだ。俺、まーちゃん所行ってくる」
「え? ちょっと……もー」
 母に拒絶されても泣かなかったのに、何故こんな時に泣いてしまうんだろう。それも、年の近い男の子の前で。
 色んな思いが交差し、自分でも何故泣いているのか分からなくなった状態の涼香の手をひき、面倒な役割を押し付けられた和也は歩き出す。そして昔話をするように、ある内緒話を始めた。
「まーちゃんのお婆ちゃんね、去年の冬に倒れたんだ。それから前みたいに喋ることが出来なくなったんだって」
「え?」
 突然の告白に、涼香が顔を上げる。
 正志の祖母は今年の冬に倒れていた。
 幸い、倒れてから病院に担ぎ込まれる時間が早かった為、命に別状は無かった。しかし、その代償なのか、言語障害が残された。
「お婆ちゃんが倒れた時、まーちゃん、お婆ちゃんと喧嘩して家にいなかったんだ。すぐに謝れば良かったのに。謝れば、倒れる事もなかったかもしれないのにって、いつも言っていたよ」
 意識が戻った祖母に、正志は涙を流しながら謝った。
 それに対し、祖母は無言で頭を撫でてくれた。それが「気にしなくていい」という意味だとは十分理解していた。しかし、こんな事を言う資格が無いのは分かっているけど、それを直接聞くことが出来ないのが、辛い。もう叱ってもらえないのが寂しい。真冬の学校からの帰路に、正志が涙ながらに言った言葉が蘇る。 
「会える時に会って、謝れる時に謝る。これ、まーちゃんのお婆ちゃんの口癖だったらしいよ。清水涼香ちゃんは今、それが出来る。だから、まーちゃんは家に帰るべきだって言ったんだよ」
 言い方が悪いから、全く伝わらないけどね。と苦笑を浮かべ、和也はある方向を指さす。
 そこには薄墨色の空を背に立つ正志と洋二の姿があった。
 あ、と涼香が声を上げると共に、正志はこちらに手を振り、二人の元に走り寄る。
 涼香が何か言うよりも早く、正志は彼女の手を取って、あらかじめ木に掛けておいた梯子を上っていく。
「まさ、まーちゃ……わた」
「良いから上る! 喋ると舌噛むぞ!」
 窘められ、大人しく正志に続く。
 三人と仲良くなってから、毎日のように野山を駆け回った涼香にとって梯子を上ることなど動作もなかった。
「清水涼香、何て言うか……ごめんな」
「ううん。だって、その通りだもん。私、お母さんとちゃんと会う。それでいっぱいお話する。私こそ、まーちゃんのお婆ちゃんのこと知らなくて……」
「え、何で知ってんの?」
「かずくんから聞いたよ」
 あのお節介。と呆れたような表情を浮かべる正志に、思わず笑みが漏れる。
 やがて屋台の食べ物を買ってきた洋二、続いて何食わぬ顔でやって来た和也と合流し、四人はそれぞれ枝に腰掛けて空を見る。
 座って五分ほど経った頃であろうか。ヒュルルルという甲高い音が響き、それに少し遅れて濃紺の空に大輪の花が咲いた。
「わ、綺麗……」
 間近で見る花火に見惚れる涼香を見、三人は顔を見合わせて喜び合った。
 どうせなら一番綺麗な場所で花火を見て欲しい。そう思い、宿題そっちのけで必死に場所を探していただけに、三人の喜びは一塩であった。
「なあ、来年も来いよ。今度は母ちゃんも連れてさ」
「うん、絶対来るよ。約束」
 そして四人は出会ったときのように、堅く握手を交わした。
 朗らかに笑う四人を、夜空に咲き乱れる大輪の花々が照らし出す。彼らの友情を祝福するように、何度も、何度も。

 ・

 蝉の声が止み、ひまわりが枯れてコスモスが咲き乱れ始めた初秋の頃ーー。
 宿題がラジオ体操以外壊滅的であった正志は、罰として一人理科室の掃除をしていた。
 担任、両親、祖父にはげ上がるのではと危惧するほど叱られ、宿題を全て完成させてから、二学期中、理科室の掃除を命じられた正志はあからさまに不服そうな表情で掃除をしていた。
 仲間である洋二と和也が掃除を手伝ってくれると思ったが、二人は頑張れと言うだけで一切手伝ってくれない。
「まーちゃん、頑張って……何してんの?」
「見れば分かるだろ! 内蔵詰めてんだよ!」
「その経緯が分かんないよ。それよりもこれ」
 暇つぶしに人体模型を触り、内臓の雪崩に遭ってしまった正志に苦笑を漏らし、洋二と共に様子を見に来た和也が写真を手渡す。
 小腸を詰める手を止めてそれを見ると、見る見るうちに正志の不機嫌そうな顔が綻んでいく。
「清水涼香、上手くいったんだな」
 写真には、母と映っている涼香の姿があった。
 その写真の中の涼香は、恐らく四人で見たであろう花火の絵を持って、幸せそうに微笑んでいた。
ーーー
志信さんの出産祝に書かせて頂きました。
お題に花火と愉快という、個人的にどストレートな題材を頂き、そこに田舎、夏休みと、さらに好きな要素を詰め込ませて頂きました。
志信さん、本当におめでとうございます!


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