光の海で
 既に桜は散り、けれどまだ冬のような寒さが残る春の夜。僕と幼なじみは近所で有名な桜の名所に訪れていた。
 疎らに生えた葉が木を彩っている小道を、僕等は展望台目指してひたすら歩く。ちなみに、僕達が訪れている場所は夜景の名所でもある。だけど僕達が来た理由は両方違う。

「ちょ、淳。寒い! マジで寒い何これ!? 無理無理マジで無理」

 花見でも、夜景観光でもない。だったら何故僕達はこんな寒い中、わざわざ展望台まで歩くのか。その理由は隣で喚きながら歩いている、賢治という名の馬鹿にあった。

「行こうって言ったのは賢ちゃんだろ? 今更弱音吐くなよ」
「淳!」

 さっきから馬鹿の一つ覚えのように寒いと連呼する賢治をそうたしなめると、彼は突然僕の名を口にして人差し指をチッチと揺らした。

「高三でちゃん付けはウケないゾ!」

 この非常に鬱陶しい発言をしている男は賢治という。僕がこんな寒空の下で展望台を目指して歩いているのも、全てこの外見不良のせいだ。
 この先の展望台には縁結びの神様が祀られている。お察しの通り、賢治は想い人との恋を成就させる為、わざわざこんな寒い夜更けに町外れまで来たのだった。
 何とも乙女チックな考えだが、心が新築のトイレのように清い賢治はこの参拝に全てを掛けているのだ。ただ、そんな賢治の外見は金に近い茶色の短髪に、耳には複数のピアス。乙女チックとは口が裂けても言えない風貌である。
 話を聞く限り賢治の想い人、愛美ちゃんは読書を好む清楚な大和撫子タイプである。神頼みより先に、脱色した髪色を戻したり口調を直した方が良いと思うのだが、この幸せ馬鹿はそれに全く気付かない。
 更に賢治が通う高校は成績重視の学校なので成績が良ければ、脱色しようとも特に何も言われない。そう言う訳で昔から学年トップの成績である賢治は誰に咎められる訳でもなく、このスタイルを貫いているのである。

「見ろ、俺と愛美ちゃんのキューピッド! お待ちかねの展望台はすぐそこだぞ!」

 キャッキャとはしゃぐ賢治に無性に腹が立ち、咄嗟に拳を握って振るう。しかし、既に賢治はスキップ混じりに階段を駆け上がっており、僕の拳はただ虚しく空を切るだけだった。
 恥ずかしさと苛立ちを胸の奥底に仕舞い込み、僕は賢治の後を追う。階段を全て上がりきった時、視界に広がったのは墨汁のような空と対を為すように光り輝く町のネオン。と、目下に広がるその光景にはしゃぐ賢治の姿。

「淳、淳、凄くね!? 町って上から見たら綺麗なのな! パチ屋特に凄ぇ!」

 懐中電灯を振り回してはしゃぎながら、縁結びの神の社を素通りして一望出来る高台へ向かう。きっと、今の賢治の頭には恋愛の事などこれっぽっちも無いのだろう。
 やれやれと溜め息を吐きながら僕も高台へと向かう。
 社の前を通った時、嫌な視線を感じて咄嗟に振り返る。だけどそこにあるのは暗闇の中に佇む古ぼけた社のみ。
 気のせいか。そう思いながら高台へ足を運ぶ。だけど何故か嫌な予感は拭い切れなかった。

 ・

「高い所から見たらもっと凄ぇー! 淳、俺も輝いてる? ゴージャスな男に見える?」

 ポーズを取って同意を求める賢治をさりげなく流し、僕は彼の数歩後ろから街の光りを眺めた。
 高台から見下ろす夜景はまるで光の海のようで、星が全て地上に集まったかのような錯覚を与える。柄にもなくロマンチストな事を考える自分に苦笑を漏らし、僕はゆっくりと賢治へと視線を移した。途端、僕の心臓はドキリと飛び上がった。
 賢治が柵に手を掛け、身を乗り出していたのだ。熱中するあまり、上半身のほとんどは柵から出ており、手を滑らせでもしたら真っ逆さまに落ちてしまうような状況だ。
 あまりに危ないその体勢に、僕は賢治に悟られないよう足音を殺して接近する。
 十分な範囲まで寄ると、そろりそろりと彼へと手を伸ばす。賢治は呑気に鼻唄なんて歌っているが、此方にそんな余裕はない。ただドクドクと心臓が暴れるだけだ。
 もう少しで触れられる。そんな時、僕は自分自身の目を疑った。
 僕が伸ばした手の先には賢治がいる。それは疑う事の無い当然の事実だ。問題は僕の手。いや、正確に言えば腕になるか。……ともかく、そこに黒い蔓のような物体が巻き付いているのだ。
 蔓のような不気味な物体はヌラヌラと街の光を映しながら、蛇かミミズのように僕の腕をゆっくりと締め付ける。あまりに不気味で、不可解なその現象に僕は悲鳴を上げる事も出来ずに伸ばしていた腕を引っ込めた。
 再度あの不気味な存在を目にしたくなかった僕は、引っ込めた右腕を左手で恐る恐る触れてみた。すると左手にはいつもと同じ感触があるだけで、おかしい所は見受けられなかった。
 戸惑いつつ視線を落とすも、そこには普段と何ら変わり無い右腕があるだけであった。

「うわっ! 淳近っ! いつの間に居たんだよ」

 裏返したり持ち上げたり、色んな角度から腕の異常を確認していると、ようやく僕に気付いた賢治が驚きの声を上げる。それにより手が滑り、賢治の身体はバランスを崩す。

 危ない!

 頭の中で誰のかも分からない声が響く。
 だが賢治は持ち前の運動神経で何とか体勢を持ち直し、危うい所で転落せずに済んだ。

「い、今のは危なかった。……マジで死ぬかと思った」

 地面に座り込んで冷や汗を拭う賢治を前にして、思わず溜め息が漏れる。そして同時に邪魔をしたあの不気味な蔓に、恐怖ではなく怒りを覚えた。
 あれが邪魔をしなければ賢治は……。

「淳? どうした、顔色悪いけど」

 気付かぬ内に拳を固く握っていた僕の顔を懐中電灯で照らし、賢治が心配そうに覗き込む。
 賢治に心配されるなんて、予想外だ。そう思いながら大丈夫だという旨を伝えると、賢治はそっかと屈託の無い笑みを浮かべた。幼い頃から変わらぬ笑みに安堵を覚えると共に、早く終わらせなければと焦りが生まれる。

「それより、お参りは……」
「はっ! そうだった。おい淳、ダッシュ。鬼ダッシュ!」

 やっぱり忘れていた賢治はしまったという表情を顔一杯に浮かべると、社へ向かって走り出す。
 やれやれと思いつつも、僕は走りながら少し気になっていた疑問を彼の背に投げ掛けた。

「何でこんな夜中に参拝しようと思ったんだ?」
「何言ってんだよ。誘ったのは淳じゃん。家族旅行をわざわざ抜けて来て、参拝行くぞって俺ん家に……。って、それより今は参拝!」

 社の前まで来た賢治は身だしなみを少し整えると、賽銭箱に五円玉をピッチャー宜しくと言った調子で投げ入れた。
 愛美ちゃんとラブラブになりますように。呪詛の如く念を込める賢治の後ろで、僕は覚えの無い記憶を整理する。
 僕は確かに家族旅行に行っていた。一泊二日の毎年恒例の家族旅行。確か今年は有名な岬に行って……。そこまで考えを整理した時、僕は前方から起こった凄まじいまでの圧迫感に考えを中断して顔を上げた。
 視線の先には賢治が、そしてそのもっと奥には社がある。あろう事か、固く閉ざされている筈の観音開きの社の扉は七分開きになっていた。
 何故扉が? そんな考えは社の中から現れた、先程僕の腕に巻き付いていた不気味な蔓によって停止する。
 蔓は蛇のように鎌首をもたげ、一心不乱に恋愛成就を念じ続ける賢治を見下ろす。このままでは賢治が危ない。危機感を抱いた僕は蔓から引き離そうと、手を伸ばす。
 けれど手が触れるより早く、蔓は賢治から僕に狙いを変えて先程のように腕に巻き付いた。ヌラヌラと鈍い光を放ちながら、腕に巻き付いた蔓は胴体、首と勢力を伸ばす。
 恐怖より、未だ気付かずに熱心に祈る賢治に腹が立った僕は彼へと声を掛けようとした。その瞬間、僕の頭にある光景が浮かんだ。

 目下に広がる断崖絶壁とそれに当たって砕ける白波。そして風に飛ばされて行く小さな赤い帽子。
 帽子を取ろうと、小さな女の子が柵を乗り越えた。小さな体は不意に起こった風に耐えきれずバランスを崩す。それに対して僕は無我夢中で手を伸ばして……。次に映るは上下が逆になった景色と、沢山の人の悲鳴。そして間近に迫る白波……。

 そうだ僕は旅行先の岬で、転落しかけた女の子を助けて……。

「そうか……」

 何故今まで忘れていたのだろう。あまりの愚かさについつい笑いが漏れる。真実に気付いた事を理解したのか、蔓は僕の体を解放してゆっくりと社へと戻り始めた。蔓は賢治に害を為そうとしたのでは無かった。むしろ賢治を大切に思うあまり、無意識の内に連れて行こうとした僕から守っていたのだ。
 そして蔓と入れ替わるようにして真っ黒な靄を纏った人影が社の横に現れた。迎えが来た。本能が僕にそう告げる。

「よし、淳。そろそろ帰ろうぜ」

 一通り祈り終えた賢治は何も知らないまま、満面の笑みを浮かべて僕を見る。だけど、彼に返事が出来なかった。
 僕はもう彼とは一緒にいられない。僕等の世界は違うのだから。

「あ、先に帰ってて。……待ち合わせしているんだ」
「? 分かった、気をつけろよ。また明日な!」
「ごめんな。……また明日」

 へらりと笑って手を振る賢治の背を見つめながら、僕は彼が思う物とは違う意味の謝罪と、決して守れぬ約束を口にした。
 賢治がこの場から去った後、靄を纏った人物が痩せ細った手で静かに僕の腕を掴む。痛みと凍えるような寒さが実体の無い僕の体を襲い、そして僅かに残っていた意識を奪う。
 ごめんな、賢ちゃん。
 最早届く事の無い謝罪を胸に、僕の存在は光の海を見渡すこの場から、この世から、消えた。

 この世で僕が最後に口に言葉。それは、最も大切な友人への真っ赤な嘘だった。


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