「兄さん、お願いいかないで」

 満月の光だけが唯一の明かりだった。人の気配のしない真っ暗な集落の中心で血まみれの刀を持つ少年と涙を必死に耐える少女の視線がかち合っていた。
 一方は血のように赤い瞳、もう一方は闇を閉じ込めたように真黒な瞳。全く違う色の二つであるがそこにある感情は近い。悲しみ、その言葉が両方とも当てはまる。先に揺れたのは黒い瞳だった。耐えられなくなった涙が溢れたのだ。長袖のワンピースの袖で涙を拭って少女はもう一度大きく少年を呼ぶ。しかし相手は答えない。ただ痛みをこらえるように唇を噛み締めて今にも大きな嗚咽を零しそうな少女を見つめていた。

「…失せろ。お前に用はない」

 瞬きする間に表情から痛みも悲しみも消し去り、冷たく言い放った言葉が少女の胸を抉る。また大粒の涙を流して少女が一歩踏み出す。するとピッと音がして頬に痛みが走った。何が起こったのかなど振り返らずとも分かる。少年は手からクナイを放ったままの状態でこちらを睨みつけているのだから。

「に、さ」
「来るな」
「にいさ…」
「来るなと言っている」

 一歩一歩ゆっくりと、しかし着実に縮まる距離に何度クナイを放った事だろう。コントロールされた刃は何度も少女の白い肌を切り裂き、血を流させた。あと数歩、その距離まで来て少年は大きく舌打ちをして背負っていた刀を引きぬき、少女の首に宛がった。時間がない。誰かが来る前にこの少女を何とかせねばならなかった。

「これ以上近寄れば殺す」

 あと数ミリ、指先を微かに動かすだけで少女は動かなくなるだろう。もう何も話さず、その場に真っ赤な血を流して倒れ込むだろう。そこまで予見し、少年は一度眼を閉じる。そして決心したように指先に力を込めた時だった。

「に、さ…そばにいてくれるって、言ったじゃない…っ」

 恐怖と闘い、それでも無理に絞り出した声が彼の指を止めた。その隙に少女の体が刀を押しのけて硬直する少年の体へと倒れ込む。あまりに予想外の出来事に受け止める事も出来ず、少女の体はその場にうずくまるようにして倒れた。しかしその手は少年の足を掴み離れない。どれだけ力を込めようときっと、離れはしない。

「………」

 その場に足を折り傷だらけの頬に触れるが既に意識はなかった。掴んだまま離れない手はきっと執念だ。何時の日かに交わした約束が少女にこうさせている。そう考えると掴まれた足、触れた頬から伝わる温もりが苦しみを増幅させるようだった。先ほど弟を振り払った時に枯れ果てたはずの涙が今にも頬を伝いそうだった。
 押し殺したはずの感情が揺れる。今すぐにこの手を振り払い一人闇の中へ進まねばならないと脳は指令を下すのに、感情がそれを躊躇する。そうしている間に第三者たちの声が集落に響き始める。生存者を捜すべく動く無数の気配はすぐにこちらへ気付くだろう。そうなれば戦闘は避けられない。しかし精神的にも肉体的にも疲労している今無駄な戦闘は避けたい。そうするにはこの手を払いのける必要がある。

選択の時は迫っていた。





 逸らしていた現実を見れば、あの日必死にしがみついていた少女が今度は自分の元から離れようとしていた。我儘になれ、弟の言葉に後押しされて今度は少年であった彼の方が少女の手を掴んで離すまいとしている。力強く手を握り、強くそう告げれば眼の前の顔が一瞬にして真っ赤に染まった。その様子に思わず苦笑してしまう。記憶がないと言うだけでこうも人間は変わるものなのかと。

「サスケからもっと我儘に生きろと言われてな。だからもう少し我儘を貫いてみようと思うんだ」

 真っ赤な顔でこちらを凝視する少女に微笑みかける。そして数秒後、その笑みを消し去るとイタチは静かに口を開いた。

「ナマエ、どこにも行くな…ずっとそばにいてほしい」

 それは紛れもない本心。ずっと遠い過去から、他人のため自身の想いを封じて来た青年にとって、やっと言えた真実の言葉に違いなかった。

150920