「ナマエが独り立ちってのは、兄ちゃん寂しいなー」

 何とか魔の三者面談を終え、家に帰ってなおその言葉を繰り返す兄さんに内心辟易としながら同じ返事を返す。内容はサスケに言ったものとほぼ同じ。何時までも兄さんの脛かじりもどうかと思うし、私ももう子供じゃないのだから。けれどそれを何度言っても兄さんは「でも」だとか「だって」と渋るのだ。

「兄妹でずっと一緒にいられるはずないじゃない」

 だから私はちょっと冷たい言い方で兄を突き放してしまった。今まで私の事を第一に考えて何時も優しく明るく見守ってくれていた兄に対して、こんな嫌な言葉を吐いてしまった。自身の発言にハッとしてももう遅い。兄さんは驚いた顔をするとそれでも何時ものようにニカッと笑って「そうだよな」と私の頭を叩いた。自分で言いだした事なのに私の方が泣きたくなった。

 その日の夜、私は夢を見た。緑豊かな穏やかな空気の流れる街を子供の私が走っていた。誰かを探しているらしくしきりに辺りを見渡しては「いない」「ここにもいない」と不安がる。何だか懐かしい気持ちだ。私も小さい頃は兄さんがいないと何もできなくてよく不安になったから。そう、それで兄さんに会えないと何時も、

「ナマエ」

 背後から少年の柔らかい声が聞こえた。振り返る。逆光で顔は見えないけれど笑った口元が記憶のどこかへひっかかる。子供の私は眼に涙を貯めてその人の腕の中に飛び込んだ。そして何度も存在を確かめるように呼んでいる。

「兄さん、兄さん」

 でもおかしい。その人は多分、シスイ兄さんではない。私の兄さんはもっと大きく口を開けて笑う。そんなに優しく髪を撫でてくれたりしない。撫でられる度櫛で整えないといけないくらい何時だってぐしゃぐしゃにさせられるのに。

「大丈夫、そばにいるよ」

 そう言って抱きしめてくれたのは、誰だ。




 夏休みに入り、自由な時間が増えた。学校がある時はどうしても手抜きがちだった家の掃除もきっちりこなし、受験に備えて勉強をする。アルバイトも週に何度か入ってはいるがそれでも出来てしまう暇な時間。ミンミンと蝉の声が煩くて段々と苛立ちを覚えるも、それでも窓は閉めない。クーラーはあまりつけず、なるべく扇風機や自然の風で我慢すると言うのが我が家のルールなのだ。
 地球温暖化を食い止める!なんて昔兄さんは笑っていたけれど、我が家だけそうした所で果たして食い止められるのかは謎である。まあ、十中八九幼い私を笑わせるための兄なりの冗談だったのだろうけれど。

 扇風機の生暖かい風を浴びている内に意識が遠のくのが分かる。時刻は十六時を過ぎた。少し眠っても夕飯の支度は余裕で済む。ああ、でも眠ったらまたあの夢を見るのだろうか。それは少し嫌だなあ。この暑い日に誰だったのか悩んでもやもやしたくない。

「ナマエ」
「…え」

 開けっぱなしの窓の向こうに見えたその人にまどろんでいた意識が一瞬にして覚醒する。机から飛び起きて窓へ駆けよれば、手に持つコンビニの袋を揺らされた。

「アイス、食べるだろ?」
「イタチさん…兄さん仕事ですよ」
「ああ、知ってる。今日はナマエと話したくて来たんだ」

 そのままあがってもいいか?何て聞いてくるのが少し意地悪だ。帰ってくださいなんて言えるはずがない。

「うわ、ダッツ…!」
「新発売と書いてあったから、ナマエが気になっているかもと思って。あ、クーラーつけるぞ」
「あ、はい」

 悲しいかな、我が家のルールなどダッツ様の前では簡単に破られる。急いでスプーンを持って戻ればイタチさんは黒のティーシャツを手で煽いでいた。そりゃこの真夏日に真黒い格好していたら熱を吸収して暑いだろう。ああ、そう言えば夢で見た人も全身真っ黒だったな。

「県外に出るんだって?」
「サスケに聞いたんですね。怒ってたでしょ?」
「すまないな、あいつなりに心配しているんだ」
「いえ…ちょっとむかっとはしたけど、サスケにも何か訳がありそうだったし」

 一人だけ何でも忘れて、その言葉を今になって不思議に思う。イタチさんにスプーンを一つ差し出して新発売だと言うダッツを開ける。ほどよく溶けたそれを一口食べれば口の中に高級な甘みが広がった。さすがはダッツ、そこらのアイスとは味が天と地の差だ。

「…ど、どうかしました?」

 私が噛み締める一方で、イタチさんはスプーンを持ったまま頬杖をついてじっと私を眺めている。そして微かに唇を持ち上げた。

「幸せそうに食べるから、買ってきて良かったと思ってな」
「…この前の我儘の続きですか?」
「そうだな、お前の幸せそうな顔が見たかったオレの我儘だ」

 何故私の幸せそうな顔がイタチさんの我儘になるのだろう。やはりわからない。その優しい、けれど寂しそうな笑みも、何もかも。

「昔、シスイがいなくて泣きそうなお前を慰めた事があっただろう」
「覚えてます。両親を亡くしたばっかりで、寂しくて、兄さんを探して家を飛び出した時の事ですよね」
「しかも一度や二度じゃない。その度にオレはお前を見つけて連れ戻していたんだ。いつの間にかお前を見つけるのがオレの役目になっていた」

 何時になく饒舌なイタチさんは続ける。いつの間にかスプーンは机に置かれて、私も手放してその話を聞いていた。夢と重なる、その話を。

「お前は寂しがりで、一人には出来ないから、だから」

 夢とは違う、大きな男性の手が机に置かれたままだった私の手を包み込む。そしてぎゅっと握りしめられた。微かに汗ばんだ手に視線を落とせば、見せつけるように益々力が込められた。

「「大丈夫、そばにいるよ」そう言って慰めたんだ」

160627