「「あ」」

 土砂降りの雨の降る街中で見事に声が重なりあう。うん、さすがは兄妹と一人関心を抱くが、それよりもまずは傘を差し出す事が先決だろう。つい梅雨に入り、最近買ったばかりの赤の傘を兄へ差し出せば濡れてしんなりとした黒髪を掻きながら「悪い」と人好きのする笑顔で言われた。

「何で傘持って行ってなかったの?」
「いやーそのなー」
「寝坊して慌てたんでしょ。私が出るまで兄さん部屋から出て来なかったもの」
「…あ、明日からは起こしてくれると助かる」

 兄であるシスイは二十五歳。対して私は十八歳。私がうんと小さい頃に両親は他界したらしく(らしくと言うのは記憶があまりないからだ)親戚の援助を受けながら兄と二人ここまで生活して来た。今となっては兄さんも社会人で私も高校三年生。兄は言わずもがな、私だってアルバイトもしているから生活はそう厳しくはない。
 それでも節約癖はそうそう抜けるものではないらしい。兄さんの手にあるスーパーの袋の中身は今日の特売品たちだ。近所の奥さま方との戦争に勝った戦利品たちの中には卵もあるので出来ればもっと優しく扱ってほしい。

「あ、そう言えばナマエ」
「ん?」
「お前今日、連絡したか?」
「誰に?」
「誰ってお前…」

 おい、何だその呆れたような視線。自慢じゃないが親戚からはずっと「お兄さんよりしっかりしてるわねえ」とずっと言われて来たんだぞ。

「今日何日だ」
「六月九日」
「誰かの誕生日じゃなかったか?」

「…あ!!」

 脳内に浮かぶ綺麗な顔に後悔すれどもう遅い。時刻は夜の七時を回り、今からプレゼントを買いに行こうにも通帳は家で財布の中身もそう多くない。
 やってしまった。あちらの方は私の誕生日になるといつも十二時きっかりに電話をくれるしプレゼントを届けてくれる。それなのに私ってやつは、兄さんに言われるまで忘れていたなんて。

「ナマエ、シスイ?」

「…噂をすればだな」
「!?」

 背後から聞こえた低い声に肩がびくっと震えた。それがあからさますぎたせいか背後と横で笑い声が聞こえる。むかつくから兄さんは足を蹴っておいた。

「お前たち兄妹で相々傘もいいが、その傘だと狭くないのか?」
「あーまあな」
「ナマエ、こっちへおいで」
「ええ!?」

 いつもだったら恥ずかしいけど素直に従う。何でか知らないけどこうちはイタチと言う男性の言葉は逆らえない何かを感じる。けれど今回が無理だ。申し訳なさと恥ずかしさとで近寄るなんて出来そうにない。

「に、兄さんが入ったら?」
「男二人で相々傘はなあ」
「オレも遠慮したいな」

 苦し紛れな提案に二人そろって苦笑される。そして再度「おいで」と言われればもう逃げるのも無理なわけで。

「お、お邪魔します」
「どうした?今日はえらく大人しいんだな」
「そ、そうでもないですよ」

 ふと前を見ればやや速足で歩いて行く兄さんの後ろ姿が目に留まる。あいつ私たちを置いて先に帰る気なんだ。

「ちょっと、に…」
「ナマエ」

 突然頬に当たった冷たい感覚に視線を横へ向ければ、長身を僅かに屈めてこちらを見る綺麗な顔がそばにあった。もう今にも鼻の先が当たりそうなほどに近い距離。

「ようやくこちらを見たな」
「あ、相変わらず睫毛長いですね」
「ありがとう。でもお前の方が長いだろ」

 指先が睫毛の先をくすぐって、ようやく距離が離れる。と言っても相々傘状態だからそう離れるわけでもなく、肩先が触れ合う距離だ。

「イタチさん」
「……なんだ?」
「その、遅くなったけどお誕生日おめでとうございます。すみません、私してもらってばっかりで、プレゼントもちゃんと準備できてないんです」

 雨音がうるさい。街ゆく人々の声さえも掻き消す中ちょっと声を張り上げてのお祝いの言葉と謝罪は最後段々は小さくなって果たして彼に聞こえたかは定かでない。
 ぴちゃんと水滴が革製の学生鞄に当たって跳ねる。つーと流れ落ちる水滴を祈るような気持ちで眺めていると横から小さく笑い声が聞こえた。文字で表現するならくすくすと言った感じの品の良い、本当に小さな声。

「ありがとう、言葉だけで充分だ」

 予想通りイタチさんは綺麗な顔に笑みを浮かべていた。

「オレがナマエの誕生日を祝うのはしたくて勝手にしてるだけであって、同じ事が出来ないからと言ってお前が気に負う必要はないんだよ」

 イタチさんの笑みは二種類ある。シスイ兄さんと話している時に見せる年相応な屈託のない楽しそうな笑顔と、今回みたいな子供を見守るような優しい笑顔。でもその中に一抹の切なさを何時だって覚えるのだ。だから私はその笑みが小さい頃から少し苦手だった。

「イタチさんって、甘やかすの上手ですよね」
「母さんにも言われた。サスケをあまり甘やかしすぎるな、だそうだが…そんなにオレは甘いか?」
「サスケに対してはもちろんだけど、その…私に対しても甘い気がします」

 サスケはイタチさんの弟で、私は兄伝いに仲良くなっただけの親戚にすぎないから甘やかされてると自分で言うのはちょっと躊躇いを覚える。何となく気恥しくなって視線を斜め横へと向ければまた名前を呼ばれて視線を戻される。

「オレに甘やかされるのは、嫌か?」
「別に…ちょっと恥ずかしいけど、こうしてお話したりするのは嫌いじゃないです」
「なら良かった」

 心底安心したとでもいうような声と言葉だった。なら良かった、短い一言なのにそれが何度も耳でリフレインする。
 イタチさんはもう私を見てはいなかった。正面を見て私よりも確実に長い睫毛を震わせて形の良い唇を動かしている。

「お前を甘やかすのは紛れもなくオレの我儘だ。だからもう少しの間だけ…」

 そこから先は車のクラクションの音にかき消されて聞く事は叶わなかった。意味は理解できなかった。イタチさんは頭の良い人だから、凡人の私では理解できないんだ、きっと。
 雨が段々と小ぶりになる。住宅街に差し掛かり見慣れた一軒家が見える頃には重たい雲の隙間から明るい太陽が小さく顔を覗かせていた。

150614