〇恋するカリー/5




傘を片手に、総士は雨で泥濘るんだ道を駆けていた。勢い良く跳ねる水しぶきが制服の裾を濡らしていくのが分かったが、切迫感に後押しされ、なりふり構わず足を前へ出した。汗や雨で湿った肌に張り付く自分の長髪が、この時ほど欝陶しいと感じたことはないだろう。
総士は似つかわしくない軽やかな動作で石段を駆け登り、一騎の自宅である器屋の軒下へと入った。さしている意味のなかった傘を律儀に畳みながら、乱れる呼吸を落ち着かせる。
衝動的にここまで来たはいいが、いざ家に到着してしまうと、扉を叩くことが出来なかった。決して怖じ気付いたわけではなく、濡れ鼠となった体が、今更ながらに自分の行動が無謀な勇み足だったのだと訴えてきたからだった。
からかって悪かった、と謝るつもりで此処へ来た。しかし、その言葉は余計に、一騎を傷つけるのではないだろうか。
扉の前で悶々と思い悩み、総士は立ち尽くす。
握り締められた手だけは拳を解くこともせず、未だに一騎に謝ることを急かしているようだった。幾度もノックをしようと扉に手を添え、実行することなく手を下げる。

「…騎……だよ…」

人の声を近くに感じて、総士はびくりと大袈裟に反応した。
雨の打ち付ける音に混じり、扉の先から僅かに話し声が聞こえてくる。総士は無意識のうちに耳を澄ませていた。
磨り硝子越しに淡く写るシルエットは、見覚えのある人物のものだった。

「……、それじゃあ、私帰るね」

中から扉に手をかけた姿が見えて、総士は慌てて裏手に逃げ込む。別段、悪いことをしているわけではないのに、こうして物陰に隠れていると、疚しいことをしているような気になった。

「送っていくよ」
「いいよ、まだ明るいし、雨振ってるから」

がらりと音を立てて出て来たのは、遠見真矢だった。
先程まで自分がいた軒下で、傘を開く。見目鮮やかな朱色は、雨でくすんだ景色に良く映えた。
扉に向かって手を振っているのは、恐らく一騎に対してなのだろう。そうして後ろ髪を引かれるように歩き出そうとした真矢の手を、一騎が慌てて掴んだ。

「遠見!あ…えっと…今日は、ありがとう」

身を乗り出して真矢を引き止めたことに、まるで自分が驚いているような口調だった。裏腹に、その顔には柔らかな笑みを湛えている。

「私も、楽しかったよ」

一騎が咄嗟に離した手を、真矢はしっかりと握り締めながら笑った。その微笑みは彼女の気持ちを存分に出したもので、少なくとも自分は、見たことのないものだった。

「じゃあね、一騎くん」
「ああ。また明日」

二人がそのような別れの挨拶を交わし、一騎が扉をぴしゃりと閉めた瞬間、総士の体は脱力した。抗うことなく、壁にずるずると凭れ掛かり、掻き乱された頭を抱える。
あんな二人は見たことがない、いや、見てはいけないものを見てしまった。そんな背徳感が総士を包んでいた。

「…付き合ってるのか…?」

ともすると、自分は単に気にしすぎただけだということで、親友とも呼べる友情を、取り違えていただけだったのだ。
しかし、そう言葉にすることを躊躇してしまうほど、その事実は総士にとって恐ろしいものだった。



←4 6→




戻る








「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -