ペディキュアの魔法 

バスタブに浮かぶふわふわの泡から覗く爪先にはカラフルなネイルカラー。



それはまるで…



ケーキにデコレーションされたフルーツ?



ドーナツにふりかけるチョコスプレー?



ジェリービーンズにマーブルチョコ?



スイーツのような甘い時間を過ごすために、少しだけ力を貸してね?




ペディキュアの魔法の足で彼の元まで駆けてゆくから。



















ちゃぷん…




湯気で煙るバスルームには眉間に皺を寄せた沙耶がバスタブに身を沈めている。



足をいっぱいに伸ばしても余裕に広いバスタブからは沙耶の鼻から上と爪先がわずかに覗いているだけだ。



(…まさか泊まる事になるとは…)




お湯に沈んだ口から漏れる独り言でブクブクと水面が泡立つ。








――――…………………………………………









久しぶりのデートでやって来た動物園はいつもより少し遠出した高原。
写真に夢中になっていたために乗り遅れた電車はそれを逃せば日帰りは叶わないという電車だったわけで。




『大丈夫。一部屋あいてるって。』




普段は物静かでのんびりしているのに、こんな時の栗巻はまるで別人のような行動力を見せる。
今日中に帰れない事が分かると、携帯でどこかに電話をかけると、あっという間にホテルの宿泊予約を取ってしまったのだ。




地方都市とはいえ、週末の観光地は人で溢れている。駅から程近い場所にあるこのホテルのロビーも家族連れやカップルで賑やかだ。




(…えーっと…ここって有名なリゾートホテルだよね…?てっきりビジネスホテルかどこかだと思ったのに…。)



言われるがままについてきたここは、最近オープンしたばかりのリゾートホテル。



(なかなか予約が取れないってテレビで話題になってたのに、あっさり予約を取っちゃうなんて、栗巻さんって一体何者……)



スタスタと受付に向かい、チェックインをする栗巻の後ろ姿を見つめる 沙耶は、いざという時の彼行動力に、ホテルの高級感にと、いちいち気後れしてしまう。
所在無さに何となく手にした携帯電話に視線を落とせば、着信ありの赤いランプが点滅している。



(あ…誰からだろ?)




『無事にホテルに着いたかな?事情は文太から聞いたよ。それで、明日四つ葉荘に戻ったら夕飯の買い出しをお願いできるかな?メモはキッチンに置いておくよ。和人』




(和人さんか…栗巻さんったら、いつの間に和人さんに連絡したんだろ…)



予定外の外泊に慌てるばかりの沙耶とは対照的な栗巻は、特段慌てた様子もなく、『帰れないなら泊まるしかないんじゃない?あ、泊まるところ探さなきゃ…』と、あっさり宿泊先を確保した上に、宝来への連絡までも済ませていた。



知らなかった彼の一面を発見出来た事が何だかとても嬉しくて、パタンと閉じた携帯で隠した沙耶の顔は笑顔で綻ぶのだった。














「?…どうしたの?入れば?」




「あ…あのぅ…。このお部屋って…まさか…」




「ん?部屋?ああ、気に入らなかった?」




「ちがっ…そうじゃなくって!このお部屋ってスイートルームなんじゃ…」




「そうだけど。ダメだった?この部屋しか空いてなかったんだ…。」




「いや、ダメとかじゃなくて…スイートルームなんて泊まって大丈夫なんですか?私、そんなにお金持ってきてないし…」




「なんだ…そんなことか。泊まりたくないのかと思って心配した。」



栗巻の後に続いて部屋に入った沙耶の視界に広がったのは、想像していたより遥かに広い客室と、素人目にも分かる高級な調度品。
ベッドが見当たらない事から察するに、リビングとベッドルームは別になっているようだ。



急遽とはいえ、まさかリゾートホテルのスイートに泊まるとは夢にも思っていない沙耶を他所に、広い部屋を横切って部屋の奥にある大きな窓へと向かった栗巻は外の景色を眺めながら、「おいで」と手招きをしている。



栗巻の普段と変わらない様子に、気後れしている自分の方が場違いな気さえしてきた沙耶は戸惑う気持ちを振り切るように栗巻のいる窓辺へ向かう。




「…わぁ…綺麗…」



窓の外に広がる夜景は宝石を散りばめたように輝くイルミネーション。
美しい景色に、さっきまでの戸惑いや気後れが掻き消され、自然と笑みがこぼれる。



ガラスに両手をつき、窓に貼り付くような姿勢で夜景に見入る沙耶の頬はほんのり赤く上気している。
『抱きしめたい』
そんな衝動に素直に従えば、腕を引かれてバランスを崩した沙耶が小さな悲鳴をあげながらポスンと胸におさまる。



「かわい…沙耶大好き。」



腕の中におさまる小さな体を抱き締めながら、耳元でそっと呟けば、薄手のワンピース越しにはっきりと伝わる体温上昇。



「…もっ…もぅ!不意討ちっ!」



リゾートホテルのスイートルームに恋人と2人きり。
こんなおあつらえ向きな状況を意識しまいとすればするほど上昇する心拍数に体温。
栗巻は普段と何も変わらない様子なのに、動揺している自分が恥ずかしい。




そんな気持ちを悟られまいと、抱き締められた腕から逃れるように両手で栗巻の胸を押し返す。



「きゅっ…急に引っ張ったら、あ…危ないじゃないですか……」



「………」



「あっ…あのっ!お腹すきません!?何か頼みます?それとも外に出ます!?」

    
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