ペディキュアの魔法 

沈黙が耐えられず、思い付くままに言葉を並べる沙耶は曖昧な笑みを浮かべながら、その視線をウロウロと泳がせている。



「えーっと…や、やっぱりこんなステキなお部屋だし、ルームサービスにしましょうか!?」



ねっ!と自問自答しながら、ルームサービスの案内を探そうと慌てる沙耶は緊張を誤魔化すどころか、全身でしかも全力で『緊張してます!』を表現している。




「ぷっ…!あははっ…」



「!?」



「そんなに緊張しなくていいのに…。俺と2人きりだとそんなに落ち着かない?」



込み上げてくる笑いを噛み殺すのに失敗した栗巻が珍しく大きな笑い声を上げ、更に可笑しそうに肩を揺らしている。



「いっ…いえっ!そんな事は…」



「『ある』…よね?」



「…え…と…」



「…ね?」



「うぅ……はい……」




自分でもおかしな言動をしているという自覚があるだけに、ここまでズバリと図星を指されたらもう観念するしかない。




「大丈夫。いきなり押し倒したりしないから、そんなに緊張しないで?」




「え…?…あ…」




『押し倒す』という具体的な表現に頬を真っ赤に染めて俯く沙耶が、肩に突然感じた温もりと頭上から聞こえる優しい声にパッと顔を上げれば、栗巻の優しい笑みに出会う。




「せっかく2人きりになれたんだから、少しくらいくっついてもいいでしょ?」



抱き寄せる手に力を込めて、再び沙耶を抱き締めれば、今度は抵抗する事なくピタリと栗巻の胸に収まった。




「四つ葉荘でくっつくと皆がうるさいけど、ここなら誰にも文句言われない。」



「ふふっ…確かに。」



一見クールで無感情な印象さえ与える栗巻が、実はとても寂しがりで独占欲も強い方で、スキンシップは所構わず…という性格だったという事は、付き合い始めて割りと早い段階で発覚した事実。
リビングのソファで膝枕をしている所を清田に目撃され、必要以上に大騒ぎになった事もあった。



ルームメイトから嫉妬という名の非難を浴びる事は、自分達のためにも四つ葉荘の穏やかな空気のためにも良くないと感じた2人は、共有スペースはもちろん、お互いの部屋を行き来する事も何となく控えていた。



更に。
授業や課題に追われる日々は、付き合い始めたばかりの2人を容赦なくすれ違わせ、同じ屋根の下に暮らしているのが嘘のように会えない日々が続いていた。



「やっと笑った。」



「え?」



「ずっと緊張してたでしょ?泊まるのが決まってから。」



「あ…」



「俺は沙耶を朝まで独り占め出来るのが嬉しかったんだけど…」



背中に回された腕に力がこもり、栗巻の胸に寄せる沙耶の頬が更に密着すれば、体を通して聞こえるとても穏やかでどこまでも優しい声に胸がきゅうっと締め付けられる。



「わ…私も…私も嬉しいです。ずっと…ずっと会えなくて寂しかった…」



久しぶりの2人きりに緊張が先行してた沙耶も、こうして栗巻の温もりに身を委ねれば、会えない日々に積み重ねた愛しさや寂しさが言葉と共に一気に溢れる。



抱き寄せられるがまま、栗巻の胸に体を委ねているだけだった沙耶が、自らの意志で栗巻の背中に両の腕を回し、ぎゅっとその体を抱き締める。



「大好き…」



「…沙耶、積極的…」



「もうっ!からかわないでっ…ん……」



いつも控えめで恥ずかしがりな沙耶が発した『大好き』が引き金になり、その愛しい4文字を紡いだ柔らかな唇を栗巻がそっと奪う。



「…沙耶…大好き」



触れるだけの優しい口付けの合間に囁く栗巻の言葉はまるで魔法の呪文のように沙耶の思考を溶かし、いつもなら少し躊躇する深いキスさえ易々と受け入れさせる。



静かな部屋に響くのは、ちゅ…ちゅ…というリップ音と密着する互いの体が紡ぐ衣擦れの音。



「…んっ…ふぁ…」



「沙耶…」



栗巻の優しくも情熱的な唇に翻弄される沙耶は行為についていくのが精一杯で、背中に回された彼の右手がいつの間にかワンピースのファスナーを下ろし、はだけた布地の間に滑り込んだ事に気付かない。


普段ならば少し深いキスをした所で胸を押し戻されるという抵抗に遭っているはず。
そんな彼女のワンピースをはだけさせるなど、突き飛ばされてもおかしくないような行為なのに、今日の沙耶は大人しく栗巻の胸に収まったままだ。






「…沙耶?」




滑らかで柔らかい肌の感触をもっと感じていたいと思いながらも、あまりにも静かで無抵抗な沙耶の様子はやはり普段の彼女ではない。
反応を確かめるように名前を呼び、密着していた身体を少し離して表情をうかがえば、何かに耐えるようにギュッと目を閉じて固まっている。




「沙耶?大丈夫?」




「………」




緊張のあまり聞こえていないのか、声をかけても固まったままの沙耶の姿は何だかかわいそうなくらいだ。




「ごめん…ちょっとやり過ぎた。そんなにカチカチにならないで?」




はだけたワンピースをそっと直しながら、もう一方の手で強ばったままの沙耶の頬に触れれば、はっとしたように閉じていた両目を開き、困ったような表情を向けられる。



「…あ……の……」



沈黙が耐えられないというように、何か言葉を紡ごうとする沙耶が視線をさ迷わせる。



「いいよ。そんなに困った顔しなくても。お腹すいたし、ご飯食べよ?」



困るような事をしたのは俺か…と思いながらも、こうして沙耶を困らせられるのは自分だけなんだと思うと、言い知れぬ優越感に浸ってしまう。



おいで。と呼べば、緊張と恥じらいで桜色に上気させる頬も。
抱き締めて口づければ、おず…と慣れないながらも必死に応えようとする柔らかい唇も。
滑り込んだ右手を受け入れようとする健気な姿も…。



全部自分だけしか知らない沙耶の姿だけれど、こうして日常から離れた今はもっと彼女の事を知りたいと思う。
彼女の全てを手に入れたいなんて、少し凶暴だと感じる程の感情に自分でも驚くほどだ。



それほど沙耶の事が好きなんだと改めて思い知らされれば、凶暴とさえ感じる独占欲と同時に沸き起こる、誰よりも彼女を大切にしたいという感情。
恐怖感もあるのだろう。小さく震える細い肩を見れば、さすがにこれ以上彼女の緊張も煽りたくなくて、甘い空気を自ら断ち切った。









   
[2/4ページ]

 ←Nobel Top