(ネフェルピトー)
蟻と人間の続き

外は明るい。日の光が目に入ってくるというのに、何も安心は出来なかった。
この場所は、平和と安堵とは真逆に存在する。
ピトーが敬い畏れる王は、そういう存在だった。
しかし私が会ったのはピトーが私をここに連れて来たときだけで、それっきり姿を見かけたことすらない。
他にもプフとユピーという蟻がいるらしいが、彼らの姿を見たこともなかった。
ただただおぞましく不安定なこの場所が、彼らにとっては居心地がいいらしい。

「ねえなまえ。なまえって死ぬの?」

ピトーが持って来てくれたきちんと人間が食べられる食料を口に運びながら、ピトーの疑問を頭の中で転がした。

「そりゃあ…私だって死ぬよ」

食べ物が喉を通過し、ようやく喋れるようになったところで事実を静かに口にする。
死という現実はここに無数に転がっているというのに、目の前の彼はその概念を知らないようだった。
否、知ってはいるのだろう。彼は数え切れないほどそれを人間に叩きつけてきたはずだ。逃げ出そうとした人間に。あるいは無抵抗な人間に。あるいは私に。

「どうして?」

「命は脆いから」

「うん。それは、知ってる。人間は弱い」

「ピトーだって死ぬのよ」

「そうだね。でも、それは王のためだ」

どんどん話がズレている気がする。
しかし、これも今に始まったことではない。
気にせず私はまだ手付かずの食べ物へ視線を移した。

「私はいつか死ぬよ。今日かもしれないし、ずっと先かもしれない」

「なまえは死なないよ。だって僕が守るって約束したろ」

「あなたたちの王に殺されるかもしれない」

「うん。それは仕方ない」

なまえが悪いよ、と何も悪いことをしていないたとえ話で責められる。
彼は"蟻"と言っているくせに、自分達の寿命については何も知らないようだった。
いや、きっと彼らの寿命は本物の蟻とは違うのだろうけど、生きるものには全て死が待っている。
それを知らずに生きているなど、どれだけ彼は滑稽な存在なのだろうか。

「この食べ物」

「え?」

「このままずっと何もせずに放っておいたら、腐る」

「せっかく持ってきたのに」

「人間も同じなの。ピトー」

項垂れるその猫科についているようなものと同じ耳に、可愛いという感情を持ってしまう。
しかし中身は残酷だ。それこそ、道徳などありはしない。
彼らにそれを求めるほうがおかしいのだ。彼らは、そんなことを知らない。誰にも教えてもらっていない。
無知とは罪だ。しかし、誰も彼らに罰を与えることはできない。

「でも、なまえは人間を食べないよ」

「そうね。私は食べない」

初め、おなかが空いたという私にピトーが持ってきたのは人間だった。
しかも、私と同じく念能力を持った、人間。
後で聞いたらそれは王へ献上する貴重なものだったらしいが、私はそんなものは食べられないとピトーの優しさを拒絶した。
ピトーは酷く残念がっていたが、こればかりは無理だとピトーに人間が何を食べるのかを教えてあげた。
どうやらここにもまだ人間がいるようで、その人間から私への食べ物を貰っているらしい。

「人間は腐ると死んじゃうってこと?」

「まあ…逆の場合が多いけど、うん。生きてるものは全部死ぬの」

「平等に?」

「さあ……平等かどうかはわからないけど、死なないものなんていない。あなただって、王だって」

ピリッとした鋭い空気と共に、私の横にあったソファが粉々に砕け散った。
こうなることはわかっていたが、誰も彼に教えてあげないのだ。私が教えてあげなくては。彼の罪をできるだけ無くしてあげなくては。

「なまえ、ごめんね」

「謝らなくていい。それがあなたの生きる意味なんだから」

王への侮辱は許さない。
そういう意味の、殺意と戦意。
でもピトーはそういう生き物だ。それでいいと、私は彼に連れられてきた。
ここにきて何度私が自身の念能力を使ったかはわからない。少しでも発動するのが遅ければ、私の首はすぐにでも無くなる。
それこそ、私は死んでしまうのだ。

「じゃあこの食べ物、腐る前に早く食べて」

「?そりゃあ、食べ物を粗末にするつもりはないけど」

「食べ物が腐ったらなまえが死んじゃうんだ」

違う、と口にする前に、ピトーが人間の食べ物を口にする。
その様子に驚き、反応が遅れてしまった。
ピトーは特に何の感想もないのか、顔をしかめることなく勢いに任せて食べ物を飲み込む。

「え…ピトー、それ食べれるの?」

「僕はなまえに死んでほしくない」

真っ直ぐな眼差しに言葉が出て来なかった。
まるで別人だ。いや、この場合別蟻とでもいうのだろうか。
王に仕えているときの彼は、一体どんな顔をするというのだろう。
私が死んだときと王が死んだときでは、どんな顔をしてどんな心情になるのだろう。
私は死ぬ。それは、私が始まった頃から既に決まっている事実。
王も死ぬ。それは、生を授かった頃から既にとめられない現実。

「なまえ。これって美味しいの?」

「え?うーん、そうだね。美味しいよ」

どれも、テレビの向こうでセレブたちが食べていたのを見たことがある。
普通に生きていたら私の口には一生入らなかったであろう、高級食材がそこには並べられていた。
こんなものを毎日食べていたら舌が肥えてしまうな、と自分の命よりもそちらを気にしていた頃もある。

「そっか…なまえは美味しいから腐っちゃうんだね」

「えっ」

「だって、なまえを食べたらきっと美味しい」

舌なめずりをするピトーに、私はこれまでとは違う危機感を覚えた。
今まで私が危機感を覚えたのは、ピトーが王に関することを私の口から耳にしたときだけである。
ピトーの絶対は王であり、私はただほんのちょっと他の人間より優しくしたいだけの存在なのだろう。
しかし、今のピトーの表情は違った。
王のためではなく、自分自身のために、私へ死を感じさせている。
私は何故か、無意識のうちに念を発動していた。

「でも、私は食べられても死ぬよ」

「ねえ、どうすればなまえは死なないの?」

「無理だよ。私もあなたもいつかは死ぬの」

「どうしても?」

「どうしても」

首を縦に振る。
私はピトーに嘘はつかない。つく必要がないからだ。

「ねえピトー。いい案があるんだけど、言ってもいいかな」

「いいよ。でも、王のことならダメ。僕がなまえを殺さなくちゃいけなくなる」

ピトーの円が、ゾクリとその殺気を私へ伝える。
彼の円は規格外だ。そもそも"円"という認識すらなく、ただの"侵入者を感知するもの"だと思っている。
私はピトーに、念能力のことやハンター協会のことは一切言ってなかった。
何故だろう、と考える。恐らく私はピトーたち蟻が、ハンター達に勝てないとどこかで思っているのだろう。彼らがピトーたちに罰を与えると、可能性の低い話に、神に縋るしか術のない弱者のように縋りついている。

「(そうか)」

私はピトーを信じると言いながら、蟻達を信じてはいないのだ。
私は私の種族を。人間を信じている。
それがきっと、私の命よりも大切なもの。

「ピトー。私が死んだら私を食べて」

「どうして?」

「もしかしたら、私はあなたの中で生きられるかもしれない」

そんな根拠の無い提案をして、ピトーの揺れる尻尾を見つめた。
私は、私の信じた人間として死ぬのだ。

「わかった。でも、やっぱり死んでほしくないな」

だからそれは無理な話だと、ピトーの顔を見て微笑んだ。


パン屑と迷子


(お菓子の家などありはしない)


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