02:恐ろしい男



「お疲れっしたぁぁぁ!!!」

全体の練習メニューが全て終了し、部員たちの低く轟く声が一斉に体育館中に響き渡った。
今日も滞りなく無事に練習をやり遂げ、やっと本日分の学校生活が終わろうとしている。長い長い一日だった。
あとは練習で使用した諸々の機器や備品を片付けて帰るだけ。
足早く館内をいそいそと動き回りながら体育館に設置してある大きな掛時計へと目を配ると、ちょうど18時半を少し回ったばかりの時刻だった。

海南男子バスケ部の練習は校内外問わず厳しいと有名で、全体練習の終了時刻も他の部より少しだけ遅めに組まれていた。更に多くの部員が、この時間から居残りをして自主練習をこなすという習慣が当たり前のように身に付いてしまっているのだから恐ろしい。
初めてこの光景を見た時は、驚いた。まるでドMの集団なのかとも思った。

だって毎日だよ?毎日……。学校から自宅が遠く、通学するだけで時間がかかってしまう部員もいるはずなのに。
示し合わせた約束事かのように高頭監督の元でハードな練習をこなした上で更に居残りをし、自主練で何百本ものシューティングをする者、ひたすら本気の域で1 on 1で激しくぶつかる者――正直に言って、正気の沙汰じゃない。私から言わせれば異常である。

そして翌朝になれば、また早朝から朝練にやってくるのだからまたまた信じられない。
家に帰って翌日の授業の課題もあるだろう。
うちの部は特に文武両道を重んじている風潮も強く、それが校内に於いて男子バスケ部が好き勝手に体育館を占領し、思う存分練習ばかりをしていても誰も文句が言えないところの理由の一つだった。
更に毎年インターハイに出場し輝かしい戦歴をも残せば、学校側も、そして保護者側ももう何も言えない。むしろ崇め称えられる英雄的なポジションですらある。
こんな現実を目の当たりにする度に、私はいつも思っていた。

――どうして、こんな部に入部届なんか出しちゃったんだろう……。

後悔してももう遅く取り返しがつかないところまできてしまった。
今後の自分の評価の為に、何かしら部活に入っておいた方が良いのではという打算的な考えと、元々球技の中ではバスケットボールが好きだったこと、女子部より男子部のマネージャーの方がしがらみが少なそうな上に楽そうに見えたこと――今となっては全てが裏目に出た結果だ。
マネージャーは私一人しかおらず、日々こなさなければいけない仕事の量も多いし、何より代わりとなる人も居ない。今更辞めるなんてこと、とてもじゃないけど言い出せる雰囲気ではなかった。

こんなことなら、もっと早い段階で辞めておけば良かった――けれどもし、私がマネージャーを続けていなければ恋人である藤真健司ともこうして付き合ってはいなかっただろう。
そんな複雑な感情を天秤にかけながら、私は日々の練習に義務感だけで顔を出し続けている。
もちろんやるからには、最低限の仕事をこなすつもりではあった。しかしどうしても、部活に命を懸けるように熱心な部員たちの熱い思いとの差を感じざるを得ないのも事実。
唯一のマネージャーである私だけがまだ、“たかが部活”の域を脱せていない自覚は確かにあって、言わずもがな部の中でただ一人浮いていた。


とりあえず、チームでの全体練習が終わってしまえばマネージャーの仕事はおしまい。自主練にまで付き合っていると帰る時間もそれなりに遅い時間までかかってしまうし、マネージャーの自主練への付き添いは強制ではなかったのは幸いだった。

そして何より今日はこの後、私にとってはとても重要で重大な約束がある。
彼氏である藤真健司と久しぶりに逢う約束をしている。
約2週間ぶりだろうか……翔陽のバスケットボール部に属する彼もまた多忙な毎日だった。
神奈川県では強豪と名高い翔陽と海南大附属。各々がそこに所属する部員ともなれば、必然とプライベートに割く時間には限りがあるのは否めない。それは出逢って交際を始める頃から安易に予想は出来ていたこと。

(早く帰りたい!)

ただひたすらにそのことばかりを念頭に唱えながら、私はせっせと片付けの為に手足を動かしていた。
こんなところでぼやぼや時間をかけるくらいなら、一刻も早く学校を後にして、大好きな彼の元へと向かいたい。
今日の約束を心の底から楽しみにしていて、時間は少しでも惜しい。

健司と時間を合わせることが難しいことを今更言っても仕方のないことなのは、重々解っている。
ただ本音を言ってしまえば、もっともっと彼と共に過ごす時間を多く設けたいけれど……ただ私にはそのことを口に出す勇気は持ち合わせていなかった。
だったら今、自分たちに出来ることを一生懸命やるしかない。ましてや通う学校も違う。普段から気軽に顔を合わせることも出来ない。だからこそ逢いたいと、愛おしいと想う感情はひとしおで、日を追うごとに私は彼のことを好きで好きで堪らなくなっていた。

そして今、私が出来ることと言えば――早く帰る!ただそれだけだ!


私たちの逢瀬の約束は、大体にして彼の方から連絡が入ることがほとんどだった。
健司から私の携帯電話にメールが届いたのは昨夜のこと。

『明日の夜、練習終わったら会うか?帰る時、連絡して』

彼のメールはいつもシンプルで真っ黒。絵文字なんてほとんど見たことがない。
これは私たちが親密な関係になった頃から解ってはいたけれど、彼は元々マメな方でも、妙な気を使うようなタイプでもないようだった。
それでも健司は忙しいなりに私との時間はきちんと取ってくれているし、やっぱり一緒にいると楽しくて嬉しい。
二人きりで何か特別なことをするわけでもなく、サプライズやデート等そういった派手さは無いけれど、シンプルでさりげないところが彼を好きな理由の一つだ。
私は彼から逢おうと求められるだけで嬉しかったし、私にとってはそれが何よりも特別なこと。


「ん?静、今日はやけに早いな。急いでるのか?」

せっせと無言で後片付けを進める私の背後から、ふいに牧さんの声が聞こえた。
嫌な予感がしてハッと振り返ると、フェイスタオルを肩に提げ、ドリンクボトルの飲み口を口に含みながらじっと私を見下ろす牧さんの視線とぶつかる。
私の次の反応をジッと待っている目の前の主将の視線からは、早く答えろと言わんばかりの無言の圧力をひしひしと感じる。
それ同時に咄嗟に引き攣り始める自分の頬。とにかく余計なことだけは言ってくれるなと、ただそれだけを祈りながら口を開いた。

「あーっと……まぁ、ちょっと……」

「どうした?困り事か?」

「いや、別にそんなのじゃなくて……用事があるので」

事情に踏み込んだ牧さんの問いを華麗にスルーしながら、私はとっさに視線を逸らして後片付けの手を休めることなく、自分の仕事に取り掛かった。
牧さんの相手をゆっくりする時間さえも惜しい。無駄話なんてしている余裕もない。

そうだ!邪魔なんだよ、牧さん。もう私のことは放っておいて。
一刻も早く片付けを終わらせて学校を後にしたいのに、そんな分かりやすい私の感情が駄々洩れている様子を全く汲み取ってくれない牧さんは、それでも懲りずに話しかけてくる。

「……用事?……あぁ、そういえば藤真は元気か?最近会えてないが……忙しいのか?あいつも」

……なんだと?この人、わざと言ってる?
怖い!私の予定を把握でもしてるの?なんなの?怖い!いや、むしろ、怖いを通り越してキモい!

予想外だった牧さんの言葉を受けて、私はその場に固まって動けなくなった。分かりやすく動揺を隠せない。
しかし、ここでヘマをしたら終わりだ。今まで何度、痛い目を見てきたと思ってる!邪魔などされて堪るものか!!!
こうなったら先制で釘を刺しておこうか。さすがにその場の勢いで行動を起こしがちな牧さんだとしても、何も解らない子供じゃない。見た目も立場も、紛れもなく立派なうちの部の主将なんだから。

「牧さん?今日は私に電話をしてこないで下さいね、いいですか?絶対ですからね?」

「……何故だ、理由は?」

「だから、その〜……その藤真とこれから会うことになってるんで……解りますよね?」

「……ん?何故だ、あまりピンとこないな」

(は?嘘でしょ?誰か嘘だと言って!ピンときてよ!!!)

開いた口が塞がらないとはこういうことを言うのだと、身を持って初めて知った。
目の前のこの図体ばかり大きい男は、気を利かせるということが出来ないのだろうか。信じられない。こんなことってある?
はぁ〜……だめだ、ウザい。やっぱり牧さんウザいです。
心の底から大きなため息が口から突いて出てきた。呆れてどうしようもない。

「あのね牧さん、私、藤真くんと付き合ってるって言いませんでしたっけ?」

「ああ、知ってるが、それがどうした?」

「じゃあ邪魔しないで下さい。可愛い後輩を思って、そこは気を利かせて下さいよ、先輩でしょ?」

「邪魔?邪魔なのか?なかなか寂しいことを言うじゃないか、なぁ、静。けど、よく考えろ?俺のおかげだろ?静が藤真とそうなったのは」

邪魔者扱いされたのが余程気に入らなかったのか、牧さんは明らかに私よりも優位に立とうと狡いマウントを取って、次の私の出方を伺っている。
不敵な笑みを携えて小賢しい真似をしてくる牧さんに対し、最高にイライラとしながらキッと強く睨みつけた。

(調子乗ってんだな?牧紳一!)

「とにかく今日は誘われても無理だし、電話して来ないで下さいよ。絶対に!」

「……分かったよ、そんなにムキになることはないだろ?あぁ…俺は邪魔、か……ははっ、静に邪険にされて立ち直れんな……さて練習に戻るか」

先ほどの挑戦的な様子とは一変して、今度は寂しそうな空笑いを一つ残し、くるりと背を向けてコート上へと戻ってゆく牧さん。
それが打算的なものなのか、はたまた天然所以のものなのか、私にはもう判断が付かない。
こういう部分が牧紳一の難しいところだ。
ことバスケットボールに於いては全てを卒なくこなす強豪海南を背負って立つリーダーが、運悪く持ち合わせた天然の一面。

(なにこれ……は?おかしい!)

どうして私がこんな複雑な気持ちにならなきゃいけないの!
私は悪くない!だって、恋人と過ごす時間を邪魔するなと言って何が悪いの?
次にもし、こういう面倒なことを言ってきたら一発お見舞いしてもいいかな?
誰も牧さんに対して強く言えないのであれば、私がその役を買って出てやろう。
それって最高じゃない?
牧さんの気まぐれに振り回されるのは、もう御免だ。

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