12:両極端な二人



清田を廊下で置き去りにして、自分の教室の前までとうとう辿り着いてしまった。もちろん午後からも授業がある。教室の中に入らない訳にもいかず、私は渋々といった心持ちで、後方の出入り口から入室すると、ちょうど目の前に神の大きな背中が視界に入った。

(あぁもう……なんかヤだな……)

神の無言の背中から、変な圧力を感じてしまう。
彼は何も言わないし、こちらを見向きもしないけれど、その静けさが逆に不気味で、この上なく緊張感を漂わせていた。
妙な気まずさを感じながら、彼の背後からそっと神の隣の席に配置されている自らの席へと腰を下ろしながら、神の様子を横目で伺い見てみる。
しかし、神は全くの無反応。こちらの視線に気が付いているのかいないのかは解らない。顔を少しだけ俯かせる形で、私の存在の一切をシャットアウトさせるかのような拒絶すら感じる。
一気にまた重く気まずい空気が増した。本当に居心地が悪いったらない。

こういうのは、本当に困る。
神がこういう態度を取る理由――彼が私に今まで告げてきた数々の言葉を思い返してみれば、なんとなく察しは付く。けれど、こうして子供が拗ねたようにダンマリを決め込んで、ピリピリとするのはどうしたものか。
神の扱いが一番難しいのは、こういうところだ。
誰か、神宗一郎の取り扱い説明書を持ってきて欲しいとすら本気で思ってしまう程には、本気で困っていた。

そもそも、私が悪いの?
どうして私が、こんな風に罪悪感に似た気まずさを感じなくてはならないのか。

神の態度を目の当たりにしながら、私の中にも少しずつ苛立ちの感情が首をもたげる。
けれど、ここで私まで怒りのまま突っかかってしまうと、喧嘩にもなりかねない。そして、おそらく彼には勝てない。午後からの学校生活のことも考慮して、とりあえず自分が大人になろう。そう腹に決めて、私はそっと口を開いた。


「……あ、相変わらず牧さんには困っちゃうよね。あはは……」

(あれ……?失敗だった……?)

この嫌な空気を払拭させようと言葉を発したものの、神はこちらを少し一瞥しただけで、また固い表情のままにすぐ目を逸らしてしまった。
排他的な無言の圧力は続く。こんなことなら話し掛けなければ良かったと、もはや後悔した。

神に冷たい視線を向けられると、その空気の鋭さに、ピシッと身体が鞭打ちされたような錯覚を味わう。
ドクンドクンと変な動悸が繰り返され、私はその場に居ながらも、どこかそわそわと安定感を得ないまま、どうしたら良いのか解らなくなった。

だって、あの状況でどうしろと言うんだ。私だって、あんな風に牧さんから言われるなんて夢にも思っていなかったし、あらかじめ予測も出来なければ、避けることも出来ない不測の事態だったはずなのに、こうして八つ当たりかのような厳しい態度を取られて、一体私にどうしろと言うんだ。
私だって事故にあったようなもの。多くの部員たちの好奇の目に晒され、こうして神にも冷めた冷たい態度を取られて……。一番可哀そうなのは、私ではないだろうか。

(……どうする?どうすれば良い?)

ここで、「ごめん」と神に対して謝るのは何か違う気がするし、必死に弁解するのもなんだか変な感じだし……。
そもそも!どうして私が神のご機嫌を伺って、いちいち気を使わなくちゃいけないんだ!!腑に落ちない!!
けれど、悔しいことにこの状況を捨て置けない。このまま、どうでもいいやって、投げ捨てることが出来ない。
私は、完全に身動きが取れなくなってしまっていた。
頭の中では懲りずにこの状況の打開策へと考えを巡らせてはみたけれど、何も良い案は浮かばないまま。
結局、ただ黙り込むことしか出来ないのが、とてももどかしい。


それから、すぐに午後の授業が始まってしまい、それ以降は神と会話をするタイミングを完全に失ってしまって、気まずい空気を払拭することが叶わないまま放課後になってしまった。
どう転んでもこのままじゃいけないと思い、ホームルームの後、荷物を抱えて部活へと向かおうとする神の後ろ姿に、私はもう一度、勇気を出して声を掛けてみることにした。

「……じ、神!なんなの?なんでそんな態度なの?私が悪いの?」

「……」

神は、私の呼び掛けにこちらを振り返ることはなく、そっと足を止めた。その場に静かに佇み、じっと私の言葉に耳を傾けるだけ。
いよいよ自分の感情を抑えることが出来なくて、そのまま私は言葉を続ける。

「なんか、さ……そういう態度だと、感じも悪いし、気分も悪いよ」

「……に食わない」

「……え?」

「気に食わないんだよ、さっきから、全部」

ずっと沈黙を守っていた神が、ようやく口を開いて小さく呟いた。
初めに何を言ったのか上手く聞き取れなくて思わず訊き返すと、次ははっきりとした口調で告げられた言葉。
声量は決して大きなものではなかったが、口調の節々から彼の怒りや苛立ちのような感情が含まれているのを直感的に感じた。

そして、やっとそこで神はゆっくりと私へと振り返り、視線を交わせた。
けれど、その表情は私が想像していたものとは随分とかけ離れていて、思わず言葉を失う。
哀しげで自嘲的な微笑み。その表情が意味するものを、私には察することが出来なくて、ひどく困惑してしまった。
少しの沈黙の中、返す言葉を上手く見つけられなくて黙ったままでいると、神がそっと言葉を続ける。

「牧さんに告白される佐藤も。牧さんの気持ちに今まで気付かない佐藤も。藤真さんと付き合ってる佐藤も。……この状況で何にも出来ない俺自身も。全部――気に食わない」

「……」

「……嫉妬だよ、単なる。……ごめん。気を悪くさせて」

神の吐き出した言葉を、ただ呆然と静かに聞き入れて立ち尽くす私をそのままに置いて、神は黙って教室から出て行ってしまった。
最後に向けられた神の表情を、私は直視することが出来なくて、思わず目を伏せてしまった。
神の発した言葉と、表情が頭にこびり付いて離れない。
どくんどくんと大きな拍動は増すばかりで、神が去ってゆくのを制止することも出来なければ、追いかけることも出来ない。
完全に活動停止状態に陥った。

どうしよう。
どうしよう……どうしよう……。
こんな感情、知らない。
こんなにも誰かに強く強く想われたことなんて、ない。知らない。こんな高鳴りを……。

自分には好いて好いて止まない恋人の存在があるはずなのに。
その彼だけが唯一だと思っていたのに。
どうしてこんなにも揺れ動いてしまうんだろう。

昼休みに部室で牧さんに想いをぶつけられた時とは明らかに違う高揚感。
あんな風に神に言われて、嫌じゃないと自惚れる自分。
それと隣り合わせに、いけないことをしているような緊張感と背徳感。

独り残された教室の中で、大きく揺れ動く感情と一緒に、微かに身体が震えていた。
私はその場から動くことが出来ずに、静かな教室の中で入り乱れる感情の中で溺れていた。
誰も助けてくれない。誰も理解してくれない。私のこの持て余す感情は、私自身をまるっと全て飲み込んでしまいそうで、怖かった。


しかし、そんな気まずさを感じていようとも部活は休めない。それが現実だ。
教室に設置されている壁時計へと視線を移すと、いよいよのんびりもしていられない時刻が迫っている。
私は大きく溜め息を一つ吐いて、机の上に置いたままだった鞄を肩に掲げて、重い足取りで教室を後にした。
教室の外に出ると、もう神の姿は見えなくなっていた。

更衣室で着替えを済ませて、部室に立ち寄り、練習で使用する備品を抱えながら体育館へと向かう。
気が重い。まだ、先程の神とのやり取りを引きずったままだ。
体育館の扉の前で、気合を入れるつもりで大きな深呼吸を一つ。練習中は気分を切り替えよう。そこで何があっても平常心を保てるように、自らに自己暗示をかけるように。
意を決して、体育館へと足を踏み入れた、その瞬間――。

「静!」

計ったかのように自分の名を呼び掛ける声。
その主は牧さんだ。
私の姿を見つけるや否や、こちらに歩み寄ってくるのが視界に入り、思わず気を構えてしまう。
牧さんとも、昼休みのミーティングの件がある。あんな風に言われて、構えるなと言う方がおかしい。
一体何を言われてしまうのかと、内心でひどく緊張していた。思わず全身が強張ってしまう。

私のすぐ傍までやって来た牧さんは、いつものように練習メニューの記されたメモを私のそっと手渡すと、「昼間は、悪かったな」と、申し訳なさそうにそっと告げた。
そして、そのまま私の反応を待たずして、大きく練習開始の号令をかけると、コートの中へと戻ってゆく。
それがあまりにもあっけなくて、虚をつかれた気分だ。

「……ははっ、なに、あれ」

思わず、本音と笑い声が小さく口から零れた。
自分一人で考え過ぎて、その上、がちがちに緊張していたのがなんだかバカバカしく思えてくるほどだ。
やっぱり牧さんは牧さんだった。

神とは、正反対。
牧さんも神も、基本的には自分の感情には真っすぐだけど、全くタイプの違う二人。
その二人に振り回されて、正直、疲労困憊なのは否めない。
けれど、牧さんのこの感じが、今の私には一種の救いにすら思えた。神とぎくしゃくしている上に、牧さんとも接しづらくなってしまったら、いよいよ私もしんどい。

“知ろうとしてなかっただけだろ?”

ドリンクの準備を進めながら、牧さんに告げられた言葉が突然に頭の中に蘇る。

全くもってその通りだ。
今の今まで、牧さんが私に対して恋愛感情を持っていたなんてこと……微塵も思わなかった。
そして、私自身も牧さんに対して恋愛感情を持ったこともなければ、そういう異性の対象として意識をしたことも一切なかった。

牧さんの言ったことは、まさに正論。
私が今まで、いかに自分の事しか考えていなかったかということだ。
こんなことになってしまった以上、牧さんの事も、神の事も――健司の事も……。
このまま今まで通り、という訳にはいかないだろう。
ちゃんと自分の気持ちに整理をつけて、向き合わなくてはいけない問題。
私自身の問題。

私だって解っているんだよ、頭では……。
でもまだ、その問題に足を踏み入れて向き合うのが怖くて躊躇ってしまっているのもまだ事実。
今まで築いた関係性ががらりと変わってしまうのは、安易に想像も出来るし、そして何より、それを全て受け入れるのがとても怖い。

きちんと向き合うことで、それが良い方に向かうのか、それとも悪い方へと向かってしまうのか、それは解らない。その結末は、誰にも解らないものだ。
だけど、そんな賭けみたいな変化をきちんと受け入れられるほど、私の中の気持ちの整理も覚悟も、今は全く出来ていなかった。突然のことで、戸惑っているのは私も同じだ。
ただ、微かに自分の中で燻っている感情があるのは確かで、それを認めてしまえば、一体どうなってしまうのか。
とにかく今は時間が欲しい。これくらいの我儘は言ってしまっても良いものだろうか。

もうすぐ海南の、翔陽の――皆の熱い夏が始まる。
それが全て終わってからでも、遅くはないだろうか……これが逃げで、甘えだとしても――。

ざわざわと嫌な胸騒ぎを感じながら、必死に練習に励む部員たちの姿を眺める。私は、首から下げたストップウォッチをギュッと強く握りしめた。


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