11:冗談と本気の狭間



神を見送った後のことは、あまりよく覚えていない。
自宅へと戻り、いつものように日々の生活ルーティンをこなして就寝についたことだけは分かる。けれど、その間、ずっとどこかに心を置いてけぼりにしたまま、ただ無意識に近い感覚でいつもと変わらない生活をこなしただけだ。

神に好きだと言われて、抱きしめられて――まさか、彼の口からあんな言葉が飛び出してくるとは、思ってもみなかった。
神のその想いに気付かなかったのは、私のミス。今までの神の言動が、その想いからくるものだったとしたら、私はどれだけ彼に甘えて、頼り切っていたかということだ――無知にも程がある。
そう気が付いてしまっては、今後、どんな風に接していけば良いのか、解らなくなった。

そして一番の問題は、そういう接し方をされることに対して、嫌だと思えないことだった。
自分には恋人という存在があるにも関わらず、神が差し出してくれる優しい腕を振り解けない。

その自分の曖昧さが、ひどく怖かった。

私へと向ける神の優しい表情の裏側で、彼が何を思っているのか。
好きだと言われても、壊れ物を扱うようにそっと抱きしめられても、そして、その腕がほんの少し震えていたとしても、彼の心底が、透けて見えない。
彼の言動に嘘偽りがなかったとしても、私はやっぱり身動きが出来ないままだ。
恋人である健司の存在は、もちろん大事。
だけど……。
私は自分のこの曖昧な想いを、ただ持て余すことしか出来ない。

(これから、どうなっちゃうんだろう……)

恋人以外の人のことをこんなにも考えて、これほどまでに頭から離れないということは、今までかつてなかったことかもしれない。
あの時――神に抱きしめられた時、私ははっきりと彼を拒絶することが出来なかった。
いや、しなかった、と言った方が適切かもしれない。
今までの私なら、咄嗟に突き飛ばして睨みつけるくらいのことをしてもおかしくないはずなのに、そうしなかったのは、私が神宗一郎に微かでも心を許してしまっているからなのだろうか。

ちょうどぽっかり空いた心の隙間に、神の存在がするりといつの間にか入り込んでいて、このまま大きくなっていきそうで怖い。
理性と感情とは、時にアンバランスだ。
私は――それを認めたくなくて、今、必死に足掻いている。

健司よりも神を好きだとか、健司と別れて神と付き合うとか、そういうことは全く考えていない。
ただ単純に、いつのまにか大きくなっていた神宗一郎の存在の大きさに、私は自分自身で驚愕し、戸惑っている。
認めたくなどない。
私は藤真健司が好きなはずなのに、こんな風に宙ぶらりんの曖昧さを、自分で許せない。
神を好きなんてこと――そんなはずはない、としきりに頭に叩き込んだ。

けれど、このもやもやとした不安定で曖昧な感情は一向に消え去る様子を見せない。考えれば考えるほど、どツボに嵌っていくようで、どうしたら良いのか解らなくなった。
このやるせない感情を、少しでも表に出せたらスッキリするだろうかと思って、傍にあったクッションに顔を埋めて思いっきり叫んでみた。
籠った叫び声が一人きりの部屋に響く。
しかし、結局それは無駄な足掻きだった。私の不安定な胸騒ぎは、全く治まりを見せなかった。


*


翌日。
こんなにも教室に入るのを躊躇ったことが今まであっただろうか。足取りは最悪だった。

教室内へと一歩を踏み出す前に、軽く深呼吸を一つ。どきどきと変な胸騒ぎと共に、私は自分の席へとまっすぐに向かった。自分の机も椅子も、教科書も、クラスメイトもいつもと何も変わらないのに、私の心持ちだけがいつもと異なる。
未だ神の姿は見えない。空席になっている自分の隣の席を見ながら、ホッと安堵した。

(良かった……少しでも心の準備が出来そう)

隣に神の姿があるのとないのでは、私の心の穏やかさも全く違う。昨日の今日で、私は未だに神とどんな風に顔を合わせたら良いのか、考えあぐねていた。
そう、思っていたのに――。


「おはよう、佐藤」

「!」

声を聞いただけで、身体が瞬時に強張った。
思わずハッとして隣の席へ視線を向けると、いつものように朝練を終わらせて来たであろう神の姿。教室の掛け時計に視線を向けると、予想以上に早い登場だ。
隣の席の机上にどさりと音を立てて大きな荷物を置いた彼が、何食わぬ顔であっさりと挨拶の言葉を投げかけてきた。いつも通り“佐藤”と……。
私は緊張しながら、「おはよう」と挨拶の言葉を返すと、神はにっこりと笑いながらもう一度、「おはよう」と返してくる。

昨日のことなど、何もなかったかのようにやり過ごす彼を見ていると、やたらと一人だけ緊張していた自分がなんだか滑稽だ。自分ばかりが変に意識をして、少々肩透かしを食らった気分。
けれど、私はその様子に少し安心していた。思いっきり構えられてしまうよりも、むしろ良かったのかもしれない。

しかし、そう思う一方で、気が付いてしまった。
私は神に何を期待したというんだろう……彼の反応を、言葉を、素振りを、行動を――ざわざわと胸の内側の感情が波立つ。

(なんか、やだな。やりにくい……)

昨日も感じた嫌な胸騒ぎが、再び私の心をかき乱す。
この思いをどうしても神に悟られたくなくて、表情を隠すように俯いてはいるものの、そんな私の気持ちを知ってか知らずか、神がこちらの方へじっと視線を向けているのが空気感で伝わっていた。
本当に居た堪れない。
これ以上突っ込んでこないで、と胸の内で懇願するも、それは無駄な努力として終わった。


「どうしたの?なにか考え事でもしてる?」

「うわっ!」

「うわっ、って……ははっ、傷付くなぁ……そんなに構えないでよ」

「あ、違う、えっと……」

「うん、けど、そうやって動揺する佐藤、新鮮かも」

「ほんとに、何もないから」

「そう?なら、良いんだけど」

急に尋ねられたものだから、うっかり突拍子もない声が口から衝いて出てしまった。
余裕のない私とは正反対に、神はどこか楽しそうだ。それが少しだけ癪に障る。

(何よ、私ばっかり動揺して、バカみたい……)

けれど、こうして表情や様子の変化を咄嗟に感じ取る神のエスパー能力は健在で、それ以上は何も言えなくなった。

「あ、そうだ」

「え?」

「さっき牧さんからメール来てさ、今日のお昼に少し集まるみたいだよ。資料を渡したいからだって、試合関連の。佐藤にも言っておいてくれってさ」

「あ、そうなんだ」

ふいに告げられた部の口頭連絡に意識を切り替えて応答すると、目の前にそっと差し出される携帯電話。
「ほら」、と確認を促すように、神は手に握っている携帯電話のディスプレイを私の方へと向けた。

「あ……!」

また、思わず声が出てしまう。部の連絡メールなんか一切、目に入ってこない。
ただ私は、彼の携帯電話本体にぶら下がっているストラップへと視線が釘付けになってしまった。

よくよく見覚えのあるストラップ。私の携帯電話にも付いている色違いのストラップ。
それはただのストラップじゃない。私たちにとっては、少なからず意味を持った代物。
あの日――大袈裟にも失意のどん底を味わったあの日に、二人で一緒にお揃いで購入した携帯ストラップ。それが、神の携帯電話と共に堂々と姿を現して、私の目の前でユラユラと揺れていた。


「あ、それ……」

「あぁ、うん、俺も付けたんだ、昨日」

「昨日……?」

「そう、昨日ね……迷惑だった?」

「……」

神の言葉には一切の迷いがなかった。真っすぐに強い意思すらも感じられる。そんな威勢のまま言葉を紡がれると、こちらからは何も反論のしようがない。
だって、買う時ですら私は嫌な顔をしなかったし、拒否することもしなかった。こういう事態だって想定出来た筈だった。けれど、それをしなかったということは、私はこうなることを許してしまったということ。
些細なことと言っても、他の誰も知らない……神と私だけの二人が共有している秘密の出来事。

「で、でも、私……っ!」

「うん。解ってるから……佐藤は何も言わなくて良いよ」

「……」

「でもね、ごめん。俺だって……本気なんだ」

最後にそう言った神の瞳は、私を真っ直ぐ捉えて離さない。
表情は優しいのに、その力強さ。私は一切の言葉を飲み込んだ。
会話の最中も彼の口調はとても柔らかいものだったけど、半ば押し切るような強さが言葉の節々に感じられて、その少し強引な様を目の当たりにしながら、私の心は揺れ動く。

どきどきと高鳴る鼓動。その高鳴りは、ひたすらに大きくなっていく一方。
結局、神の眼差しの強さに負けて、先に目を逸らしてしまったのは私の方だ。

卑怯だ。そんな顔しないでよ。
何も言えなくなってしまうじゃないか……。


[ 1/2 ]

[←prev] [next→]


←*。Back

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -