10:鳴り止まない鼓動



健司と最後に逢った日から――逃げ帰るようにして健司の家を後にしたあの日から、1週間が過ぎた。
その期間、彼からの連絡は一切なく、私からも連絡を取っていない。
鳴らない携帯電話を見つめる度に、あの日のことに想いを馳せては、憂いた溜息が出てしまう。
あんな風に自分の感情や想いをぶつけたことに後悔はしていないが、あれで本当に良かったのかと考え込んでしまう。

元々、健司とはまめに連絡を取り合うことは少なかったし、いつも通りと言ってしまえばそうだが、やはりあんな出来事があった後だ。今後のことを思うと心配になってしまう。
ひょっとしたら、このままもう一切の連絡が来ないのではないかとすら考えてしまう。

それでも、自分の方から連絡を取れないのは、怖さからだ。
あの日、健司が伝えてきた現実的な思い。
なんとなく予想はしていたとは言え、あんなにはっきりと口に出して伝えられたのは初めてで、そこには明らかに私たちの恋愛観のズレが生じていた。
もし次に連絡を取った時に、はっきりと明言されるのが怖いんだ。
別れという選択を突きつけられるのが、とてつもなく怖い。

(けれど……あの感じだと、もう……)

ついつい弱気になってしまう。私はやっぱり自分には自信がなくて、愛されている自信も、自我を貫き通す強さも持ち合わせていない。
しかしどう転んでも、今まで通り何もなかったかのように付き合いを続けることは、出来ないのではないか思う。
それを確信させるほどの、健司の真っすぐな目。強い意思を持って告げられた言葉。
そして、それはきっとどんなことがあっても揺るがない。
彼の貫くような視線には、固い意思表示が込められていた。

そうだ。
藤真健司とは、そういう男だ。だから、好きになった。
他人に何を言われても、内に秘めるブレない芯の強さ。そこが、彼の魅力の一つでもある。

(ならばいっそ、このまま連絡なんか来なけりゃいいのに……)

ふと、そんな思いが脳裏を過ってしまった。
そうだ、そうすれば、このまま彼の恋人のままでいられるのに、と私は卑怯にもそんなことを思っていた。


「はぁ……」

また、溜息が口を衝いて出てくる。ここしばらくは、それがもう癖になってしまっていた。

「おいおい、溜息ばかり吐いていると良いことも逃げて行くぞ?」

伏せ目でぼんやりとしていた私は、真後ろから突然に声を掛けられてハッとした。振り返ってみると、そこには苦笑いを浮かべて困ったような表情をした牧さんが、ドリンクボトルを口に含ませながら立っている。

「なんだ、牧さんか。何か用?」

「おい、なんだその態度は。前にも言ったが、一応先輩だぞ」

「じゃあ……何か用ですか?」

そうだ。今は部活中だ。
うっかりと考え事をしていた僅かな間に、部員たちはみんな休憩に入っていて、各々が汗を拭い、水分補給を行っている。

「あぁ、そういえば藤真は元気か?そろそろ予選始まるしな。あいつらも練習に精を出している頃だろうな」

「……あ、元気ですよ、多分」

「多分?」

迂闊にも私の余計な一言のせいで、牧さんはほんの少し顔を顰めた。
タイミングが良いのか、悪いのか、今は一番触れてほしくない話題を偶然にも挙げてくる辺りが牧さんだなと、私は内心で呆れる。
不覚にも藤真というワードが出てきただけで心臓が一跳ねしてしまい、ひどく動揺してしまった。いくら冷静を装ったつもりでも、やはり牧さんには違和感が伝わってしまったようだ。私もまだまだだ。
更に続けて、彼は私の言葉の粗を即座に見つけて突いてくる。

「多分、とは?」

「あの、ほら……忙しいんですよ、向こうも。なかなか逢えてなくて」

「……まさか、上手くいってないのか?」

「し、失礼な!そんなことないです!心配には及びませんので、悪しからず」

こんな時ばかり謎の勘の良さを見せつけてくる牧さんに内心でひやりとしながら、必死に言葉を選んで答えた。
本当は、何も言いたくない。何も察して欲しくない。それを誤魔化すために、わざと強がって見せた。
私の反応を怪しそうに見つめる牧さんだが、私はそれに気が付かない振りをして黙り込む選択をした。

「……そうか、まぁどちらにせよ、アイツはいつも俺の静を独り占めするもんだから、そこだけは気に入らんな」

「……は?」

さらりと聞き逃してしまいそうな自然な口ぶりで言い放つ牧さんの言葉に、一瞬だけ戸惑ってしまった。
返す言葉に困りきった末に出てきたのは、相変わらずいつもの様に可愛くない言葉たち。

「前から言ってますけど、私は牧さんのじゃないですからね、勘違いしないで」

「……なら、俺のになってくれと言ったら、なってくれるのか?静」

「え?はい?何言ってんの」

「ははっ!冗談だ。そんなにはっきりと拒絶するなよ」

「だ、だって!牧さん、本気か冗談か分かんない時があるんですもん。困る!」

「そうか?俺としてはそんなつもりはないけどな……時間だ。よし!再開するか!」

体育館の掛け時計へちらりと視線を配った牧さんは、周りの部員たちに聞こえるように芯の通った大きな声で練習再開の号令をかける。
手に持っていたボトルを私へ手渡すと、顔色一つ変えずコートの中へと戻って行った。
彼の大きな背中を見つめて、私は言葉の意味を考える。
迂闊にも、一瞬だけ鼓動が跳ねた。冗談だとしても、あの牧さんに少しだけ心を動かされてしまったことがなんだか自分でも可笑しくなって、小さく吹き出してしまう。

(だって、相手はあの牧さんだよ?ないない、ない!)

いつも思っていることだが、牧さんはとてもいい先輩だと思う。けれど、惚れた腫れたの関係になれるといったら、それとこれとは別問題だ。
存在自体が冗談なんじゃないかと思わせる牧さんの口から、あんな言葉が飛び出してくるなんて思ってもみなかった。
きっと、他意はないんだろう。落ち込んでいた後輩を元気づける為だけに吐いた言葉。
私は先程牧さんに手渡されたドリンクボトルに向かって一言、「バカヤロウ」と、一笑しながら呟いた。


全体練習が終了した後は、細々とした後片付けを終わらせて制服へと着替えてから、再び体育館へと戻る。
以前は、全体練習が終われば我先にと帰宅していた私も、ここ最近は部員たちの自主練に付き合って体育館へ残る日が増えていた。
別に強制されているわけではない。自主練はあくまでも自主練。
それでも、特にやる仕事もない私が同じように遅くまで体育館へ残る理由――それは、ただ単純に独りになりたくないという理由からだった。

だって、独りになればなるほど、余計にあれこれと考え込んでしまって気が滅入るから。
吐く溜息の数も増える一方だった。考えれば考えるほど不安感に押し潰されそうになって、つらい。
こうして誰かと時間を共有している間だけは、嫌なことを考えなくて済む。その僅かな時間が、今の私にとっては救いだった。

自主練が終わった後は、いつものように自宅が同じ方向の神と一緒に帰宅をしていた。
どちらからともなく、いつの間にか互いの暗黙の了解になっていて、特に約束をしていたわけではないけれど、私もいつの間にか神のシューティングの調子に合わせるようになっていたし、神もそれを拒みもしなかった。

こんな生活を数日続けてみて、ふと脳裏を過ったことは、もし健司と同じ学校に通えていたら、こんな風に寄り添って学校生活を共に過ごせていたのかもしれないということ。
もっと近くに居ることが出来たら、傍で練習を眺めて、帰りは一緒に帰って、時間を共有するという意味では恋人らしいことももっと出来たのかもしれない。

けれど、今更こうして比べてみても何の意味もないってことくらい解っている。
それでも解ってはいても、考えてしまう。
私たちは一体、何をやっているんだろう。こんな風に気まずくなって、連絡すらまともに自分から取れなくて、私は一体何がしたいんだろう。
自我を通すことも、耐えることも、引くことも出来ずに、完全に身動きが出来なくなってしまっている。
なんだか、情けなくなってくる。


「佐藤、最近よく最後まで残ってるよね、どうして?」

ふいに、隣を歩く神から吐き出された言葉。
時刻は夜の8時を少し回った頃。自転車を両手で押し歩いている神は、視線はこちらに向けずに、そっと尋ねてくる。
カラカラと自転車の車輪が回る音が、やたらと耳についた。

「え……あ〜、なんとなく?家に帰ってもやることもないし……あ、私が急にこんなことをし始めて、練習に集中できない?私がいると神の帰りがいつも遅くなっちゃうもんね、そうだよね、遠回りだもんね、もしあれだったら、次から別々に帰るでも――」

「嘘つきだね、佐藤は」

私が全て言い終わらないうちに、言葉を遮られてしまう。
ほんの少しだけ楽しそうに言った神の声色がやたらと印象的だった。その声に、ぎくりと大きく動揺してしまう。
いつものように、痛い所を突いてくる神の質問。それに上手く答えようとしたのがいけなかったのか、自分でもやたらと饒舌に捲し立ててしまった自覚はあった。
結局、神には小細工など通用しないということか。こうもきっぱり見透かされてしまうと、ぐうの音も出ない。

「……どうしてそう思うの?」

「んー……俺はなんでも分かるんだよ、すごいだろ?」

「あはは、なにそれ。怖いから!神って本当にエスパーなの?」

私たちの間には、愉快な空気が流れていた。互いに笑い合い、冗談も言える。
これはきっと相手が神だからというのは大きいだろう。幾度と重なった偶然の中、私もいい加減悟ったのだ――神宗一郎には敵わないと。
どんなに誤魔化しても、どんなに上辺だけ装っても、彼には全くの無意味。
毎度毎度、核心をついて心の中を覗き暴こうとする。抵抗などしても、それになんの意味もないのだと解ってからは、無駄に抗うことは止めた。
ボロボロの状態で一緒に出掛けたあの日だ……まさにあの日、私の中で神宗一郎の位置付けが変わった瞬間だ。

「前にさ、俺、佐藤に言ったでしょ?バスケの他に面白いもの見つけられそうだって。あれ、見つけられたかもしれない」

「へぇ……良かったじゃん。で、それって何だったの?」

「……佐藤」

「ん?」

「佐藤の事だよ、面白いもの」

「……は?」

「は?じゃなくて」

まずい、と直感的に思った。
彼の言ったことを理解するのに、随分と時間がかかってしまう。初めは、一体何を言ってるのか解らなかった。
けれど、次第に言葉の意味の重さをじわじわと感じて、それを自覚してしまってからは大変だった。
どくんどくんと心臓が大きく暴れて、釣られて呼吸も少し浅くなって、衝撃から思わず歩みを止めてしまう。すると、神も同じように立ち止まった。

互いに立ち止まったことによって、さっきまで横並びだったのが、私たちは向き合って正対した。
私よりもはるかに背の高い神が、そっと無言で私を見下ろしている。声など出さなくても、その雰囲気に飲まれてしまいそうで、私はただただ俯くことしか出来ない。
神と視線を合わせるのが、怖い。
更に加速してゆく心拍数は、一向に治まる気配はない。
送り出す酸素の量が足りてないのではないかと錯覚するほどに、私は変な息苦しさを感じていた。


「……ど、どういう意味?」

「そのままの意味だよ。俺、佐藤のこと好きになりかけてる気がする。……と言うより、もう好きなのかな」

「な、に言ってんの?私、彼氏いるよ?相手が誰かも知ってる、でしょ?」

辛うじて絞り出すことが出来た言葉。
口から出てくる言葉には、どこか現実感を伴っていない感覚がした。完全に動揺してしまい、少しどもってしまう。
まだ、頭の中が整理しきれていない。

「知ってるよ。けど、それを今、再確認したところで、意味ないっていうか。佐藤の彼氏が藤真さんだからって事実は俺にとってはどうでも良いことなんだ。しかも上手くいってないでしょ?俺、こうなったら引く気ないから」

「……本気?で、言ってる?」

声が震えていた。
いや、声だけじゃない。身体も心も全てが震えた。こんな感覚は初めてだ。
こんなにも真っ向から真っすぐに誰かに想われたことって、今まで無かったかもしれない。
私の問いに対して発する神の言葉一つ一つに力強さを感じて、私は動けなくなった。
神の様子から、それらが本気の域であることを身体中で感じていた。だからこそ、こうして私もかつてないほどの衝撃を受けたのだろう。
ただ、こんな風に言われても、私にはそれ以上返す言葉が見つけられない。彼の本気に対して、私は何も返せない。
なのに、そんな私に神は更に追い打ちをかける。


「否定しないんだ?藤真さんと上手くいってないこと。本気だよ。俺はこんなこと冗談で言える程、器用じゃないし、優しくもない。解ってるだろ?」

「……」

「あ、それと練習中、牧さんに何か言われてたでしょ?妬けたよ、あれ」

神の言うことに思い当たる節があるのに気がついてハッと俯いていた顔を上げてしまうと、そこで私を見下ろす神と視線がぶつかった。
その表情があまりにも男らしくて、神宗一郎はこんな顔もするのだと一瞬だけ見入ってしまう。今まで見たことのない表情。
戸惑う私は未だに黙ったまま。すると、そっと神の長い腕が伸びて、私の髪の端を少し掬った。そっと触れるその優しい指先に、全神経が集中してしまう。
戸惑う私を目の前に、神は少しだけ満足したようにふっと優しく笑った。

その神の顔を見た瞬間、自分の中の危険信号のサイレンが鳴り響く。
私はそれ以上神の顔を見ていられなくて、また俯いて何も言えなかった。

(ずるい……どうして、こんな弱ってる時にそんなこと言うの?どうして?)

私の大好きな恋人は藤真健司のはずなのに。
どうして、こんなにも動揺してしまうんだろう。
どうして、こんなにも感情をかき乱されてしまうんだろう。
どうして、嫌だと拒否出来ないんだろう。

私は自分の感情が恨めしくもあった。
こんなんじゃ、私も神を特別視しているみたいじゃないか。
好意を寄せられて、喜んでいるみたいじゃないか。

「とりあえず、俺の気持ちは知ってて欲しかったから。これからは遠慮しない。俺、多分しつこいよ?覚悟しておいて」

感情と理性の整合が全く取れていない私を他所に、神は更に言葉を重ねる。
彼の優しい声を俯いたまま聞いていると、なんだか無性に泣きそうになって肩が震えた。

(もう止めて。ダメだ……このままだと……。)


「俺が傍にいるから、泣かないで静……」

「!」

突然、神はそう小さく呟いて、私をふわりと両手で抱きしめた。壊れ物を包むように、優しくそっと……。
健司以外の男性の腕に抱かれながら、私は受け入れるでも拒絶するわけでもなく、ただ何かを耐えるように黙って俯いたまま唇をギュッと結ぶことしか出来なかった。
何もかもが別物。手付きや身体付きも、香りも、全てが健司とは違う。

その時に初めて、私は神宗一郎を男の人として認識したのだと思う。

(2020.8.2 Revised)




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