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指先の感触にはひたすら気づかないふりをして、毬花をそっとベッドに下ろす。抑えきれずに乱れた心拍が伝わってしまったんじゃないかと内心ひやひやしていたけれど、やはり毬花に変わった様子は見られなくて、それ以上の思考は放棄することにした。僕1人で勝手にこんなこと意識してたんじゃ、まるで面目が立たない。
なるべくそこを見ないようにしながら、それとなく声をかけてみる。


「えっと、大丈夫?」

『あんまり。でもだいぶましになったかな』


答えながら膝を抱えてうずくまると、濡れて束になった髪が肩から垂れた。先端を滴って落ちた雫が、シーツに小さなシミをいくつか作る。
首もとに緩くかけられたままのタオルは結構濡れていて、このままだと次は風邪を引いてしまいそうだった。
しばらく休ませた方がいいかとも思ったけれど、きっと彼女は僕が言わないとそのまま寝てしまうだろう。
だから、まずはこっちが先。


「髪もちゃんと乾かさないと。風邪引くよ」

『雪男やって。ドライヤーそこ』

「まったく……」


世話を焼いているのは自分だけど、予期せぬ返事はその斜め上をいく呆れたものだった。
それでも放っておくことも出来なくて、仕方なく机の上に用意されていたドライヤーとくしを取ってきてベッドに腰かけた。
無邪気な顔をして、毬花は僕が断らないことを知っている。つまりは、確信犯ってやつだ。
丸めていた背をしゃんと伸ばすと、簡潔に指示を出してきた毬花。その言いつけ通り、しとどに濡れた髪にいったんくしを入れると、おもしろいほど真っ直ぐに伸びていった。


「ほんとに子供なんだから」

『雪男だからだよ』

「え?」


一連の中で、多少からかって言ったつもりだった。なのに、予想もしてなかった返事が僕の手を止めてしまう。
ほらほら、と続きを促す声にはっとしてくしを握り直した。
重い髪をすかれて、僕が腕を上下するたびに毬花の頭が僅かに揺れる。
あのね、と続けられた言葉はいつもよりも落ち着いていて穏やかな響きがあった。


『自分より中身が大人で頼りがいがあって、なおかつ認めてる人にしかこんなに甘ったれたりしないの』


それ以外には隙すら見せないね、なんて笑うその表情はうかがえない。
確かに馴れてない人たちなんかにはあまり素を見せたりしない毬花だけど、それは表面上だけのことであって、僕からしてみれば意外と隙は多いんじゃないかと思った。
意識しているその時に完璧でいるつもりでも、ふとした瞬間に防御壁は脆く薄くなる。
あとは、人見知りの反動なのか馴れた人には油断していて警戒心がなく、無防備すぎる。そうなるまでに時間はかかるが、一度なってしまえばそれはなかなか覆らない。そこは危ないと思う。
もちろん、そういう関係になりたいと毬花自身が少しでも思わなければ、いくら出会ってから時間が経とうが好意を持って関わられようが、外面的には親しく見えても本当の距離が縮まることはない。その上で厄介なのは、相手がそれに気づかないこと。故に“本当の距離”なんてものが存在するとは夢にも思わないのだ。
でも逆に、人によっては案外早く打ち解けたりもする。現に僕の場合、結構早くになついてくれたように思う。まぁ、きっかけが変わったものだったからっていうのもあるかもしれないけど……。
ちょうど1年ほど前だろうか。昨日のことのように思い出せるけれど、ひどく焦ったあの時は、やはりどこか懐かしい。
この髪を、なびかせていたんだ。とかしてすっかりぺたっとしてしまった髪をぼんやりと眺めながら、無意識に口走っていた。


「兄さんには、見せたりするの? こういうところ」


そう、言ってしまってから、ひどく後悔した。いくら意図はなかったとしても、兄さんを引き合いに出して、いったいどうしようというのか。自分の浅はかな失態に呆れた。
やっぱり忘れて、と撤回しようとしたけれど、毬花の声の方が少しだけ早かった。


『燐に? まさか。今日会ったばっかりなのに』

「……そっか」


訊かなきゃよかったって思ったはずなのに、正直、その答えに安心している自分がいた。彼女の性格からして、返事なんてのは、わざわざ訊かなくてもわかりきっていたはずなのに。
そうして安堵したところに、でも、と言葉は続く。


『嫌いじゃないよ。なんとなくそんな感じがする』


浮かせて、落とす。まさにそんな感じだった。
それに、だ。今日会ったばかりにも関わらず、毬花は兄さんの名前を呼び捨てにしている。僕だって最初の頃は“雪男くん”なんて敬称つきで呼ばれていたのに。
そしてそれは決して親しみを込めてではないということを、僕は知っている。自分が下手に出ているように見せかけて過失がないように、毬花の無意識からの自己防衛の一部。
誰にでも徹されてきたその意識を、毬花が自らなくすとは思えない。大方、兄さんがそう呼べとでも言ったんだろう。
そうでなければ、まずあり得ない。


『雪男?』

「あ、ごめん」

『コンセントはそこね。延長コード引っ張ってあるから』


振り向いた毬花に顔を覗き込まれて我に返る。そうすると今度は、まだ少し気だるさの残る声が心配になって、早いこと乾かしてあげようとしばらく止まっていた手をまた動かし始めた。
いけない。また考えすぎた。
コンパクトなドライヤーは、それにしてはだいぶ静かな音をたてる。小刻みに揺らしながら、ある程度の距離をとって全体的に風をあてていった。


「熱くない?」

『うん』


毬花は、いつも通り。僕だって、いつも通りのはず。
でもやっぱり、今日はよくない。偶然が重なって、いろいろと感化されすぎたんだ。
だから、普段あまり気にしないようなことも無駄に掘り下げて考え込んでしまう。
やめよう。そう思ってすぐに切り換えられるかは別としても、善処しよう。
例え、水分がとんで軽くなったせいではらりと舞った髪の隙間から、首筋に残る痣が目についたとしても素知らぬふりをして。





もやもや少年。



((……誰にやられたのかくらいは、訊いてもいいかな))
((いや、でも毬花も言いたくないかもしれないしな……))


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