乙女心と落とし穴
「ーーとうとう来たか、という感じですな」

今日も今日とて満員御礼な学園長の庵にて。
神妙な顔で黙考する一同を代表し、山田父が渋面を作った。

「天女様的にはいかがお考えですか?タソガレドキに拠点を移した方が貴女の利になると言うのであれば、我々は無理にお引き止めすることはできない。……しかし、政治的な話をするなら、あの大国に天女様を奪われるのは痛手にもなります。学園としても、それなりに動かなくてはならない」

今日の会議メンバーは、生徒を排した教師陣のみで構成されている。
もちろん山田利吉もいない。奴は何かと忙しい人種なので、気付くと音信不通になっているのだ。出来ることならGPSを持たせたい。
そして議題は、先日学園に届いた手紙についてーータソガレドキの城主が、側室として名前を召し上げたいという旨が記された書状だ。

「天女が“天女”に戻ることについては、異論ないです。山ぶ鬼嬢を解放してあげたいし、これ以上天女がグズグズしてたら、また他の貴族が余計な口挟んでくるかもしれないし。……とはいえ、わざわざ側室になる必要があるのかは分からないですけど」

深刻そうに語りながらも、名前の意識は別にあった。
名前が偶然元の姿に戻した、ゾンビ化信者のことである。
これもまた伝聞調での報告になるが、理性を取り戻した彼は、口から大量の“粉”を吹き、その場に倒れたのだと言う……。詳細は解明されぬままだが、どうもその粉というのが、人を狂わせる成分を持った薬物らしいのだ。
偽免罪符に練り込まれていたとされる麻薬の正体が、恐らくこれ。
そして名前が思うに、この薬物もまた、異世界から渡ってきた物だ。

「もう少し、考えさせてもらっても良いですか……」

何かを見落としている気がして、名前は言葉を詰まらせた。
その反応を何と勘違いしたのか、大人達は揃って憐れむような顔付きになり、口々に優しい言葉をかけてくれる。
名前は特に引き止められることなく、一足先に庵を出た。

***

「天女を見ると暴れるゾンビ、妙にタイミングよく遭遇した山賊の残党……。モデルが少なすぎて説得力には欠けるけど……」

一人になった名前は、その辺を歩き回りながら頭を悩ませた。
考えが纏まらず、さっきから思考が上滑りしているような感覚だ。

時々見知った顔とすれ違うこともあったが、皆腫れ物に触るような態度で名前を避けて通る。書状の件は、思っていたより広まっているのだ。
……名前はそんな反応を、どこか他人事に捉えている。
大人達が心配してくれているのは分かるし、それを有難いと思う気持ちもあるが、名前は然程、タソガレドキからの手紙を重く受け止めてはいなかった。
便宜上“輿入れ”なんて御大層な言葉を使っているものの、結局名前の扱いはどこに行っても変わらない。安全な場所に軟禁され、天女としての務めを果たすだけなのだ。ただ生きるだけの、簡単なお仕事である。

「うーん。薬の件も銃の件も、偶然と片付けて良いものか……」

そんなことを言いながら、柄にもなく考え事に耽っていたせいだろう。
すっかり注意散漫になった名前は、いつぞやと同じ轍を踏んだ。
ーー踏んだと言うか、落ちた。スポーン!と、底なしの落とし穴に。

「くっ……競合区域か……っ!」

危険地帯を避けたつもりが、考え事に夢中になるあまり、普段あまり来ないエリアまで歩いてきてしまったらしい。
以前世話になったトシちゃん23号より、深く掘られた穴だ。隠し方もより巧妙になっていたので、これは上級生用に作られているのだろう。

「これはトシちゃん何号なんだろう」
「……んな呑気なこと言ってる場合かよ」

名前の呟きに、予想外な場所からツッコミが入った。
声を辿って視線を上げると、丸い穴から身を乗り出すように、逆光を背負った人影がこちらを見下ろしている。
その人は、名前が何か言う前に、地中へスルスルと縄梯子を下ろした。

「気を付けて上がって来いよー!待っててやるから、慌てずにな」
「……え」
「あ?なんだ、地面に潜って考え事でもしてたのか?それなら俺は邪魔だったか」
「いや、ちがくて。対処が早すぎたのでビックリしただけです」

誰かは分からないが、下手なことを言って足場を引き上げられたらかなわない。名前は慌てて縄に飛び付き、不恰好な姿勢で登り切った。
最後は相手の手を借り、這うようにして地上へ戻る。
日差しに焼かれ、眩しさに目を細めた先には、初めて見る顔があった。

「ーー誰かと思えば天女様か」

地面に出てすぐ、恩人は物珍しげに名前を眺めた。身なりからして六年生の忍たまだ。凛々しい雰囲気がある。じっと眺めていると、ペシンと目元を隠された。「見過ぎ!」ということだった。デジャヴを感じる。

「……怪我はないみたいだな。この辺は上級生向けの競合区域だぜ。誰からも聞かされてないのか?一人で歩くのは危ない。行きたい所があるなら俺が送って行く」

ゴホン、と咳払いする彼の耳は、微妙に赤い。見られすぎて照れたらしい。不躾に申し訳ないことをしてしまった……。
しかし、最近気付いた嗜好だが、名前はこの手の顔が結構好きらしいのだ。ちょっと冷たく見える容貌というか、精悍で清潔感があるような。
ちなみに、山田利吉もこういう系統である。完全無欠の顔採用なので。

「いや、大丈夫です。ありがとうございました。少し考え事してたら流れ着いてしまったらしく」
「考え事……ああ、輿入れの話か。天女様も大変だな。気が休まる暇がないだろう」

苦笑と共に、よしよしと頭を撫でられた。言葉に宿るのは憐憫と慰め。今日一日だけで、もう嫌と言うほど向けられた同情の視線である。
……しかし、反応に困って無言を通せば、今度は突き飛ばされるように距離を取られた。その間コンマ1秒。文字通り振り回される名前とは裏腹に、当の相手は純情気味に頬を染め、頭を抱えながら身悶えていた。

「悪い……!後輩と間違えた!他意はないんだ、他意は!」
「……いや、別に気にしてないですけど」
「はっ!?何でだよ!気にした方が良いだろ!嫁入り前の娘だぞ!」

叫んでから、彼は己の失言に気付いたらしい。羞恥に赤らんでいた顔から、一転して血の気が失せる。
何故なら、慣用句的な“嫁入り前”という表現が、今は結構笑えない言葉になっているのだ。特に彼は、名前の悩みの種が黄昏甚兵衛への輿入れの件だと思っている。今世紀最大の地雷を踏み抜いたにも等しい。

「す、すまん!その、決して悪気があったわけじゃ……ッ!」

名前が何も言わないのが、更に不安を煽ったのだろう。ついには、地面に手をついて頭を下げ始めたではないか!
年上の威厳もなく、今にも死にそうな顔で謝る相手を見て、名前はーー

「…………フッ」

あはははは!と、ひっくり返って笑い転げたのであった。

***

「あははは!そ、そんなこと、あります!?ふふっ、こんなピンポイントで、嫁入りって……あははは!これで狙ってないとか、天才……あはははは!面白すぎ!……しかも、急に土下座!あはは!大袈裟!」

ひぃひぃ言いながら転げ回っていると、妙に辺りが静かなことに気付いた。笑いすぎて閉じていた目を開ければ、土下座姿勢のまま、ぽかんと固まる彼と視線がぶつかる。絶妙な中腰だ。その間抜けな姿に、またしても笑いが込み上げる。どうしよう、完全にツボに入ってしまった!

「ふふふ、名前何て言うんですか?初めてお話ししますよね」

ごろりと寝転がったまま尋ねると、相手は目が覚めたように上体を起こした。

「け、食満留三郎……」
「けけま?変わった名前だね」
「食満だ!」

ようやく笑いの発作が収まったので、名前も食満氏にならって起き上がった。何故かビクッとされた気がするが、特に言葉はかけられない。
名前は気付かなかったフリをして、着物の土埃を払った。

「食満氏ね。さっきは笑ってすみませんでした。なんか面白くなってしまい」
「いや……俺こそ悪かったな。その、気にしてたろ?書状の件」

今度は慎重に言葉を選んでくる。
名前は、少しだけ「うーん」と悩んだ。

「正直言うと、周りの人達が心配してくれるほど、天女は気にしてないんですよね。悩みの種も、これとはまた別件なので」
「気にしてないって……おい、分かってんのか?嫁に行くってことは、天女様の一生を左右することなんだぞ。しかも、相手は悪名高いタソガレドキだ。嫁いだが最後、どうなるか分かったもんじゃ……」

言葉半ばにして、食満氏は口を閉ざした。その顔には、怖がらせすぎたか?と書いてある。脅すつもりはなかったのだろう。

「また失言した。女にするような話ではなかったな」
「いや、うーん」

気遣われるのに慣れない。彼だけではなく、今は学園全体がこんな空気である。名前が傷心していると思っているのだろう。今更な話だ。

「本当に、気にしないで欲しいんですけどね。天女はどうせ異世界に帰るので、そうしたらこっちの世界での婚姻なんて全部無かったことになるし。それに、天女が天女であるためには、純潔を守る必要がある。その掟がある以上、結婚したからと言って夫婦生活を強要されることもないし……天女目線では、本当に何も変わらないんですよ」

結婚に夢見る気持ちも、恋心への憧れも、今は無惨に散り果てている。初婚を捧げるくらい何だ。どうせ異世界での出来事なんて、泡沫の幻のようなもの。家に帰れるなら、身の安全が保証されるなら、何度だって嫁入りしてやる。
恋に恋する年頃の乙女としては、絶対に辿り着いてはいけない枯れきった思想かもしれない。しかし、その答えに偽りはない。長い月日を天女として過ごし、散々駒として扱われた結果、名前の乙女心は砂漠化してしまったのだ。
ーーだから、外野に傷付いた反応をされる方が、名前はよっぽど嫌だった。忍術学園だって、どうせ名前を天女として見ているくせに。

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