03
連れの妨害行為に苦心しつつも、目的の手拭いは入手できた。
何が良いのか決めかねた結果、その店一番人気をチョイスする、という禁じ手中の禁じ手に走ってしまったが。

「……その趣味は正気か?」

ところが、件の手拭いを目にした偽福富屋の反応は、非常に芳しくなかった。
当然ムカッとしたが、こちらも思考放棄した自覚がある手前、あまり強く出られぬのが痛い。選択肢が膨大すぎて、段々と手拭いがゲシュタルト崩壊してきたせいだ。実の所、買い物ってあまり得意じゃない……。

「し、失敬な……。この店一番の売れ筋商品なんだから間違いないんですよ!この柄を否定するということは、店や天女のみならず、ここに通い詰めるすべてのお客さんを敵に回すということですからねっ」

必死に虎の威を借りてみたが、主観がゼロなので説得力に欠ける。
ちなみに肝心のデザインは、おにぎりの総柄である。
か、可愛いと思う……たぶん……上手く好みに合致すれば……。

「本当にこんなのが売れてるのか?店で騒ぎすぎた腹いせに、店主に謀られたんじゃないのか。店内の売れ残りを押し付けられたようにしか見えん」
「騒いだのは大体あなたのせいですけどね!」

名前も薄々“そうだったりして”と思っていたことをズバリ言い当てられ、かなりの心理的ダメージを負った。
すまない潮江氏!しかし手拭いは手拭いなのだ!裏返して使うべし!

「……ん?」

名前が心の中で十字を切った矢先、にわかに表通りが騒がしくなった。
分厚い人垣が二手に割れ、その中心をドタバタと駆け抜ける人影が複数……。言葉の体を成さぬどよめきに混じり、時々「そいつを捕まえろー!」とか「クソッ見失った!」とか、治安の悪い悪態も聞こえる。

「何事だ、騒がしいな」
「食い逃げでも出たんじゃないですか?どれどれ……」

対岸の火事を気取りつつ、名前も偽福富屋を引き連れ、野次馬根性丸出しで首を出したーーが、次の瞬間。他人事にすぎなかった騒動の火の粉は、突如として吹いた風に煽られ、名前の足元まで飛び火した!
こちら目掛けて、物凄〜く見知った人物が走って来るのが見えたのだ。

「もう嫌あぁぁぁぁぁ!!!私は自由になるの〜〜!」

それは、相変わらず良く通る声で、喉が潰れそうなほど泣き叫ぶ少女。
ーー最後に見た時より窶れているようで、その顔からは明らかな疲労の色が伺える。
かつての自分がそうだったように、“新しい天女”の彼女もまた、白い小袖に緋袴を履き、廉潔な巫女姿をとっていた。

「山ぶ鬼嬢!こっちだよ!」

目が合った瞬間、思わず名前は彼女をーー山ぶ鬼嬢を手招いていた。
偽福富屋があからさまに「ゲッ!」という顔をし、慌てて名前の腕を引き下ろしたが、時既に遅し。ばっちり名前を認識した山ぶ鬼嬢は、脇目も振らず此方に駆け寄る。
縋るように伸ばされた手を掴み、名前は素早く身を翻した。

「お、おいアホ!そんなの拾ってどうする気だ!」
「分かんない!偽福富屋、なんか良い逃げ道教えてくださいよ。忍者でしょ!」
「バカ!デカい声で忍者言うな!あと呼び方戻ってるぞ!」

つんのめるように駆け出した名前を追い、偽福富屋が耳元でギャーギャー騒ぐ。うるせー!
それでも最後は諦めたのか、偽福富屋は渋面を作りつつも「適当に足止めして来る」と言い残し、名前達の元を離れたのだった。

「ど、どうしようどうしよう!」

考えるより先に飛び出してしまったが、ここまで走りっぱなしだった山ぶ鬼嬢は、もうほとんど体力が残っていない。長距離を逃げ切るのは無理だ。かく言う名前も体力の乏しさには定評があるので、あとは竜頭蛇尾的要領で勢いが落ちる一方……。正直、既にもう疲れてるし!

そういった諸々の事情を加味し、名前達はひとまず細い横道に折れ曲がり、物陰に隠れて追手をやり過ごすことにしたのだった。
あとは野となれ山となれ精神。無関係な偽福富屋に命運が託された。

「や、やま、ハァハァ、やまぶ、ヒィ……はぁはぁ、だいじょ、ぶ、で、ゼェゼェ……すか……?ハァハァハァ」
「私より大丈夫じゃない人に心配されても……」

身を隠した途端、崩れるようにへたり込んだ名前は、助けたはずの山ぶ鬼嬢に背中をさすられていた。格好つけた割に面目丸潰れである。

「す、すみません……走るの、苦手で……」
「そうだろうなぁとは思ってたけど」

山ぶ鬼嬢は苦笑いし、自分も疲れ切った様子で名前の隣に座り込んだ。
横目で盗み見た顔色は、お世辞にも優れているとは言い難い。

「や、山ぶ鬼嬢……あの、本当に大丈夫?」
「……うん。たまたまでも、天女ちゃんに会えて良かったな。またお話ししたいと思ってたから」
「え、」

そこはかとなく寂しさを滲ませる声で名を呼ばれ、名前は動揺する。
ーー彼女とは決して長くない付き合いだが、それでも何となくの性格は分かっている。山ぶ鬼嬢は本来もっと明るくて、しっかりしていて、それでいてちょっとあざとくて、くのいちらしく勝ち気なタイプだった。
こんな風に、人生に倦み疲れた顔をする女の子じゃない。
それが、どうしても見ていられないほど辛く思えて、名前は俯いた。

「私を追ってた人達ね、この間の信者なの。あれから私、ずーっとタソガレドキに閉じ込められて、天女ごっこさせられてるの」

うんざりして、隙を見て逃げ出しちゃったのよ、と彼女は語る。
取り繕うように微笑んではいるが、その横顔には諦めの色が濃く、言葉以上の絶望が見て取れた。
……名前は、その感情を知っていた。
紛れもない自分自身が、一年以上浸ってきた諦観の境地だから。

「ごめんなさい、山ぶ鬼嬢」

彼女の声を遮るように、名前は謝った。謝るしかないだろ、こんなの!
……もちろん、薄っぺらい言葉に意味なんてない。
何もかもが今更で、口先だけの謝罪には毛ほどの価値もない。謝った所で許されることじゃないし、山ぶ鬼嬢が失った時間も戻ってはこない。分かっている。それでも、どうしても言わずにはいられなかったのだ。

「本当にごめんなさい。全部、全部全部、天女が悪いです。天女が嫌なこと、あなたに押し付けた。あなたは天女の身代わりなんです。ごめんね。天女は想像力が足りなかった。天女が逃げた後どうなるか、あの時は分かってなかったんです。散々、忠告されてたのに」

泣きそうになるのを一生懸命堪えて、訥々と訴える。
ところが、名前の懺悔を聞いて尚、彼女はきょとんと瞬くだけだった。

「何で謝るの?」
「何で!?だ、だって。あなたがこんな目に遭ってるのは、天女が職務を放棄して逃げ出したからだし!本当は、それは天女の役目なので」

あの時、安易に五条弾の言葉に頷かなければ……否、そもそも名前がオーマガトキから逃げようなどと考えなければ、山ぶ鬼嬢が名前の身代わりになることはなかった。
名前は、あまりにも浅はかだったのだ。自分の価値を見誤っていた。
“天女”という肩書きが抱える責任や役割を、何も理解していなかった。
だから、簡単に逃げ出そうなんて思ってしまった。自分がいなくなった後、果たしてどれだけの人に影響が及ぶか、考えようともしなかった。
自分はまだ取るに足らぬ存在で、誰からも見向きもされない、ごくありふれた中学生だと思っていた。
名前が“普通”だったことなんて、この世界に来てから一度もないのに!

「……それは違うと思うわ」

しかし、名前の葛藤を見透かしたように、山ぶ鬼嬢は呟いた。

「天女ちゃんだって、嫌だったんでしょ。だから逃げたんでしょ?それなら戻ることないのよ。だって、あの生活って本当に最悪だし!本物も偽物も関係ないわ。人が嫌がることはしちゃだめって、いつも先生だって言ってるもん。嫌だから逃げた、それだけ!天女だから何しても良いって思われてるとしたら問題!ちゃんと反抗した方が良いのよ!」
「山ぶ鬼嬢……でも、」
「でもじゃないってば!天女ちゃん、本当はこの世界の人じゃないんでしょ?元の世界に帰りたいのよね?それなら、こんなつまんないオママゴトに付き合う必要ないのよ!自由になって好きなだけ帰り道探せば良いじゃない!」

だから一緒に逃げるのよ。
いつの間にか立ち上がっていた山ぶ鬼嬢に、今度は名前の方が手を取られる。咄嗟によろめきそうになる足を、必死に踏ん張った。あまりにも真っ直ぐな言葉に射抜かれ、名前は眩しいものを見た気持ちになった。

「山ぶ鬼嬢、天女はーー」

しかし、その時である。突然、獣の唸り声にも似た異音が響き、名前は弾かれたように振り返った。ーーそこには、山ぶ鬼嬢の追手と思しき男達が、白目を剥き、理性を欠いた様子で立ちはだかっていたのだ。

***

「う、うそ!さっきまで普通だったのに!」

青ざめた山ぶ鬼嬢の手を握り、名前もまた顔色を失った。
追手のゾンビ化が進行したのは、間違いなく名前との接触が原因だ。

「天女に反応してるの?どうして……」

そういえば、七松氏が気になることを言っていた。
免罪符に使用された薬もまた、名前と同郷のモノではないかと。
あの時は色々と事情があったため、それ以上の情報は自ら拒んだが。

「天女ちゃん!何してるの!逃げないと!」
「あ、うん、そうですね!」

焦った様子の山ぶ鬼嬢にせっつかれ、遅ればせながら走り出す。
逃げる間も、思考はとりとめなく巡っていた。
異世界産の薬を服用した信者、妙にタイミング良く鉢合わせた山賊、出所が不確かな武器……その全てに、名前の故郷が絡んでいる。
きっと何かある。そんな気がする。あともう少しヒントがあればーー

「きゃああぁ!!!」

名前の思索は、山ぶ鬼嬢の悲鳴によって中断された。
慌てて立ち止まると、思いがけず間近に迫っていたゾンビによって、山ぶ鬼嬢が羽交締めにされている!キモい!気安く乙女の玉体に触るな!

「ぎゃあ!そ、その手を離せ痴漢め!もう!!偽福富屋何やってんだ!遅いぞ!おい!こら!離せってば!」

幸い、追いついてきているのはその一体だけだ。
細い路地裏をグネグネと走り回ったので、予想より撒けたらしい。
しかし、ここで捕まっては元も子もない。名前は足元の小石を投げた。

「痛い!天女ちゃんのばか!私に当たってるわよぉ!」
「え!すみません!実はノーコンなんです!」
「実はじゃなくて見たまんまじゃん!じゃあ投げないでとりあえず助けを呼んできてよ!このままじゃ二人とも捕まっちゃうわ!」
「山ぶ鬼嬢を置いてけって言うの!?」

ゾンビそっちのけで言い争っていると、なんと反対側の路地からもゾンビが現れたではないか!挟み撃ちにされてしまった!

「ほらー!来ちゃったじゃない!どうすんのよ!」
「こ、この場合は天女が逃げてもあのゾンビに捕まってたので、王手かけられるのが早いか遅いかの違いじゃないですか!」
「屁理屈!!!!」

もうわけ分からん!混乱した名前は、やぶれかぶれ後門のゾンビ目掛けて突進し「何かどうにかなれー!」と、全力でタックルしたのだった。

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