「て、天女様ー!?!?!?」
名前を一目見るなり、大間賀時公はひっくり返って驚いた。
オーマガトキ城が本殿、謁見の間での出来事である。
「先ほど早馬があり、天女様が川に落ちたとの知らせを受けたのですが……ま、まさか、幽霊!?」
「そうだよ。あなたを恨んで祟りに来ました」
「ぎゃああああああ!!!」
「嘘だよ」
大の男が泣きべそをかいて畳の上を転がり回る様は、お世辞にも見ていて楽しい光景ではない。文字通り、幽霊でも見たかのような有様。
名前の訃報を信じきっていた大間賀時公は、既に喪に伏す用意を整え、何やら黒装束なんぞを着込んでいた。
本音では、名前が死んでくれた方が都合が良いのかもしれぬが、それにしたって死を受け入れるのが早すぎる。もっと希望を持って欲しい。
こちとら、つい先日結婚式を挙げたばかりだと言うのに。
まさか、自分自身の手で冠婚葬祭を網羅することになろうとは。
「残念でした、天女は死んでませーん。ここにはちょっと、忘れ物を取りに戻ったんです」
「ほほほ、本当に天女様でいらっしゃいますか……?」
「本当ですとも。嘘だと思うなら触ってみる?」
「滅相もない!」
わざと幽霊感を出しつつ手を差し出せば、大間賀時公は真っ青な顔で後ろに飛び退いた。小声で「ヒェッ!」と叫び、そのまま壁際に張り付いてプルプルしている。
何だか面白くなってきたので、名前も調子に乗って更に近づいた。
逃げる殿様、追いかける名前。予想通りの反応が返ってくる気持ち良さたるや、思わずにやけ顔にもなるというもの。全くもって良くないことだけど、いじめっ子の気持ちが少し分かってしまう。
……が、しかし。果たして、そんな絶妙な攻防戦を制したのは、今まで無言で側に控えていた、山田利吉その人だった。
「天女様、お戯れが過ぎます」
音もなく立ち上がった奴は、両手をワキワキさせる名前の首根っこを掴み、手際よく大間賀時公から引き剥がしたのである。
「女性がそのようなことをなさっては、はしたないです」
「すみません……でも大間賀時公って、見てると何となく構いたくなってしまうんですよね。不思議なことに」
何だか懐かしい気持ちになって、名前は目を細めた。
最後は喧嘩別れのようになってしまったが、思えば大間賀時公とはいつもこんな感じのやり取りをしていた。
名前がどんなに無茶苦茶な態度を取ろうとも、このお殿様はいつだってヘイコラしてくれたので、その姿を見て溜飲を下げたことだって、一度や二度ではない。
当然腹の立つことも多いが、どことなく憎めない相手なのである。
天女時代の名前の自己肯定感は、このお殿様に支えられていたと言っても過言ではないかもしれない。
「……それは妬けますね」
しかし、名前のほのぼのとした回想を砕くように、山田利吉が余計な一言を放った。
名前はギョッとして言葉を失うが、奴は構わず続ける。
「天女様もお人が悪い。私には全く構ってくださらないくせに、あのような凡愚には懐くのですね」
「凡愚って……山田利吉、大間賀時公と雇用関係にあるんじゃないんですか?」
そんな無礼な態度を取って、クビにされたらどうするの?というニュアンスである。色々あっての再雇用なら尚更。
山田利吉は、人を小馬鹿にするような薄笑いを浮かべた。
「雇用関係にはありますよ。私にこの城のヘボ忍者達を鍛えてほしいと、大間賀時公たっての願いで、一時的に雇われております」
名前の脳裏に、ぼんやりと二人の人影が浮かんだ。
「あー、あの威張ってる人とカピバラみたいな人!あの呑気そうな人、貝原さんだっけ?元気でしたか?」
「……元気ですが」
口籠った後、山田利吉は名前を怪訝な様子で見下ろした。
「前から思っておりましたが、天女様はあの手の顔の人間に弱いですよね。大間賀時公も然りですが。聞けば、しんべヱにもご執心とか」
「えっ……そ、そうかな!?」
言われてみればそうかもしれない。
名前は、鋭い指摘に大いに狼狽えた。
思えば、大間賀時公と福富屋は顔の系統が完全に一致しているし、その実子である福富屋Jr.は言わずもがな。カピバラさんことオーマガトキのヘボ忍者ーー貝原さんも、下膨れな輪郭とつぶらな瞳の持ち主である。
山田利吉を顔採用している時点で、てっきり自分は人並みに美人が好きなのだとばかり思っていたが……まさか!?
自覚なき深層心理を言い当てられ、名前が静かに動揺していた矢先。
「ーー申し上げます。タソガレドキ御一行の到着でございます」
廊下から、緊張感を伴う伝令の声が響いた。
***
「て、天女様ー!?!?!?」
さっき聞いたのと全く同じセリフだが、城門で出迎えた名前を認めるなり、先頭の諸泉氏はひっくり返って驚いた。まさかのリアクションまで丸かぶりである。てんどんボケとは、名前以上にお笑い適正がある。
「いやぁ、ご心配をおかけしまして」
「心配って、いや、こちらこそ危険な目に、ていうか何で無事で、いやいやいや!?」
嵐が去った空はすっかり晴れているが、一行は全身濡れ鼠である。
どさくさに紛れて忘れていたが、そういえば名前の体は不思議なことに濡れていない。それがまた一層、両者間の差を明瞭にする。
つま先までびしょ濡れの諸泉氏は、目を白黒させながら頭を抱えた。
「ご、ご無事で本当に良かったです……!私は生きた心地が本当にしなくて……いやでも一体何が……!?」
「それが天女もよく分からないんですよね」
何はともあれ、彼らには体を乾かしてもらう必要がある。
名前は挨拶もそこそこに、一同をオーマガトキの侍女に引き渡そうとしたーーのだが、それを阻む手が現れた。タソガレドキ一行の中から、従者に扮する忍者が一人、勢い良く飛び出して来たのだ。
「天女様!無事だったのか!」
「うわー!?」
次の瞬間、油断していた名前の体が重力に逆らって浮き上がった。
そのままグルングルンと視界が回り、今ひとつ座りの悪い首が激しく前後に揺れる。名前は、自分が洗濯機に放り込まれた姿を仮想した。
「な、なに……うっ!?」
咄嗟に口を開いた名前はしかし、すぐさま舌を強めに噛んでしまい、怨嗟の声すら封じ込められた。
ところが、その一瞬で聡明な名前は閃く。
この、物凄く強引かつ自分本位で奔放な振る舞い、身に覚えがあるぞ!
「七松氏!今すぐ天女を下ろしやがりなさい!」
ヒリヒリする舌を庇いながら、名前は叫ぶ。
すると、名前を振り回していた不埒者はピタリと静止し「私が分かるとはさすがだな!天女様!」と大口を開けて笑うなり、顔を隠すように被っていた笠を取り去り、いつもの七松氏の風貌を露わにしたのである。
「天女様が川に落ちた時はさすがに肝が冷えたぞ。何にせよ無事で良かった。今頃は、オーマガトキ城で伊作も心配しているはずだ。早く天女様の無事を伝えてやらんとな!」
「あ、うん、そうですね」
「本当に無事だろうな?怪我とかしてない?」
「してないです」
この狼藉者をどうしてくれようか!と憤っていたのも束の間、思いがけず真っ当な言葉をかけられて、名前は振り上げた拳の行く末を失った。
拍子抜けするこちらとは裏腹に、七松氏は至って平然としたものだ。
高い高いの要領で体を持ち上げられ、じっくりと全身を見分される。
布越しにずっと目が合っている気がして、名前はつい視線を逸らした。
「面布だっけ?これ邪魔だなぁ。天女様の顔が見えない」
「すみません……これはちょっと外せなくてですね」
「前は見えてるのか?」
「一応見えてますよ。目の所に穴が空いてるんです」
幼い子供をそうするように、七松氏の腕の上に腰掛ける形で抱き上げられた名前は、現在ここにいる誰よりも目線が高くなっている。
これで奴に下心を見出そうものなら、名前はひと暴れもふた暴れもする算段だったのに、不思議と七松氏からは下賎な空気を感じない。
むしろ家族愛的というか、小さな子供扱いというか。この、そこはかとない“お兄ちゃん感“の出所は一体……。実家に妹とかいるのかな。
「七松君!いい加減にしろ!」
「あいた」
しかし、さすがに好き勝手が過ぎたのか、やがて混乱から立ち直った諸泉氏が我に返り、七松氏にゲンコツを落とした。
大してダメージは無さそうだが、礼儀として形だけ痛がった七松氏は、思ったより慎重な手つきで名前を地面に下ろした。いつものガサツさも若干残しつつ、最後に頭をポンポンと撫でられ、尚更お兄ちゃんみを感じる。距離感の取り方が身内っぽいので、敬遠しづらいのである。
だが、そんなやり取りを見咎めたのは、またしても諸泉氏だったのだ。
「ほらそこ!さっさと離れる!」
風紀委員じみた口ぶりで名前と七松氏を引き離したあと、奴は名前をじとっとした目で睨み付けた。
「そもそも、天女様も悪いです。何度もお伝えしている通り、貴女はもう殿の細君でいらっしゃる。殿に操立てすべき身の上なんだから、他人に気安く触れられるような迂闊な態度は取るべきではありません!」
「お、大袈裟すぎです!人を尻軽みたいに言わないでくれます!?」
「いいえ。お言葉ですが、天女様の振る舞いは十分に“軽い”と称されて然るべきザマですからね。私達を唆すような真似は今後一切控えてください!」
「そそのかすー!?」
そんなことを前にも山田利吉に言われた気がする。あと、立花氏も似たような話題を口にしていなかったか。
今は城内に残っている護衛を思い出し、名前は青ざめた。
納得いかないが、名前の迂闊な態度に感化された結果、山田利吉をはじめとする何人かがおかしなことになってしまったのか!?
解説の立花氏曰く、好奇心旺盛で新し物好きな忍者の目に、ヘンテコの擬人化のような名前は存外好意的に映るらしいので。
「わ、分かりました……心を入れ替えて態度を改めます。もう誰も唆さないし面白がられないようにするし城主の妻としてわきまえた行動を心がけます。距離感も気を付けます。半径5メートル以内に人を近付けません。触られた瞬間体に電流を流します」
名前は殊勝な態度で頷いた。これ以上、無駄に好感度を荒稼ぎし、人間関係を難解にするつもりは毛頭ないのだ。
ヘイトを溜めず、かと言って過剰に好かれることもなく、可もなく不可もなしニュートラルな関係性を構築すべし。
……悲しいかな。その発言が完全なるフラグになっていることにも気付かぬまま、名前はタソガレドキ一行を引き連れ城内に戻った。
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