Main | ナノ


 最初、猫に会えるのは数週間に一回のペースだったが、徐々に会える回数は増え、三日に一度は会えるようになった。私は猫にタロという名前を付けていたけど、これ以上情が移ってしまうのが怖くて呼べなかった。当時の日記にだけタロという名前は頻繁に出ている。タロが好きだった。孤独で優雅で賢いタロが好きだった。
 私はいつも猫エサを持ち歩くようになった。ペットショップに行って変わった猫エサを買ってみたりした。タロを飼いたい気持ちはあったが、ペット禁止のマンションに住んでいる私には到底不可能だった。親にも話してない。野良猫にエサをやるという行為はいくらかの背徳感を伴っていたから。
 いつもと変わらぬ日常に「時々タロに会う」というのが加わっただけで、毎日は前より少し楽しくなった。相変わらず友達とは上手くいかないし、授業は退屈だけど、少し「明日」が楽しみになる。それはとても幸せなことなんだ、と私は思う。
 学校で一人でいるのにも少し慣れた。友達と会えば少し話すけど、ちょっと気まずい。体が緊張して上手く話せなくなる。友達も話題が途切れたらそれ以上続けようとはしなかった。
 女子高生は不思議な生き物だ。みんなと違うことを何より恐れてる。最近何となく一歩距離を置くようになって気づいた。お互い本音を隠して、人ごみの中で人をかわすように意見の衝突を避ける。何か違うよな、と思う。前から感じていた違和感はこれだったのかもしれない。
 ある日、「難関校受験対策数学補習」なんて名前だけは立派な特別補習の第一回目のことだ。成績も決していいとは言えない私は気乗りしなかったが、親があまりにも勧めるものだから参加することにした。周りは成績トップクラスの人ばかりであまりに場違いな私は早くも帰りたくなる。いつも使っている教室が全く別のもののように見えた。
 席順を確認する。これで席順が成績順だったら私は逃げ帰っただろうけど、幸い五十音順のようだった。指定された席に座る。居心地が悪くて、何も書いてない真っ白なノートをぼんやり眺めていた。
「隣だね。よろしく」
 話しかけられてはっと顔を上げると見覚えのある顔があった。同じ中学だったけど、一度も同じクラスにならなかったし、話したことなんてほとんどない女の子だ。
「よろしく」
 私は戸惑いながら言った。
「そういえば、久々だね。クラス離れるとなかなか話す機会ないよね」
 彼女の言葉に私は「そうだね」と返す。昔とちょっと雰囲気変わったな、と思う。少し明るくなった感じがする。「飛鳥」という名のその女の子は名前が似合う華奢で凛としたきれいな顔をしている。
 補習が始まるまで飛鳥と話した。最初はぎごちなかったけど、おしゃべりな彼女のおかげで話題は尽きなかった。
 補習は問題を解いて解答解説するというごく一般的なものだった。配られた問題集の問題に私は手も足も出ない。解答時間が終わっても私のノートには問題番号と与えられた式しかなかった。解説を聞く。理解は出来るけど、また全く同じ問題を出されても解ける気はしなかった。
「今日はここまで」
 チャイムの音と先生の言葉にほっとする。黒板には暗号のような数式が並んでいる。しばらく見つめていたが、一斉に動き出しそうな気がして目を逸らした。
「難しかったね」
 飛鳥はふぅと息を吐く。「全然出来なかった」と私が言うと、あまりに私が落ち込んだ様子だったのか、「大丈夫だよ」と彼女は笑う。
「そんなに深刻にならなくても、今から出来るようになればいいし。お互い頑張ろ」
 そう言って彼女は「うん、頑張らなきゃ」と伸びをする。「うん」と私は小さく頷いた。
 帰りは一緒に駅まで行った。駅までの道がいつもよりずっと短く感じる。飛鳥はいろんな話をしてくれた。反対方向の線だったため、駅で手を振って別れた。
 電車の中で飛鳥の話を思い出して思わず顔が綻びそうになる。流れて行く変わらない景色。車内アナウンス。補習で全然解けなかったのなんてとっくに忘れて、私はただ祈っていた。明日もいい日になりますように、と。

- 3/5 -

[*prev] | [next#]
page:
Bookmark


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -