毒蛇



 "国民的アイドル【折原臨也】に、ライバル現る!? 続報を待て!"

 特設サイトにでかでかと載せられた見出しと、男性と思われるシルエットの写真。その正体である平和島静雄は、カーソルを右上の×印に合わせて開いたばかりのブラウザを閉じた。パソコンの画面には、折原臨也の公式サイトが映し出されている。トップを飾る臨也の写真が次々とスライドする。ステージ上に立つ姿、芝生に寝転ぶ私服姿、頬に手を当て物憂げな視線をこちらへ送る姿――。その訴えかけるような瞳と視線がかち合えば、静雄はマウスを動かす手を止めて、思わず独り言をこぼすしかなかった。

「俺が、あの折原臨也のライバル役……」
「同い年だし、イメージも正反対な感じで、歌唱力も静雄なら問題ない。適役だべ?」
「うおッ、トムさん! いたんすか」

 急に背中から掛けられた声に静雄は背筋を伸ばし、振り返った。静雄のマネージャーである田中トムは、「食うか?」と右手にぶらさげていたコンビニの袋を差し出す。静雄が受け取ると、好物のプリンが入っていた。しかし、不思議と食欲がない。とてもではないが腹に何かを入れる気分にはなれない。袋を開いたままぼんやりとしている、どこか上の空な静雄を何か言いたげに見下ろした後、トムはパソコンの画面に視線を移した。

「まーすげーよな、折原臨也。怖気づくのもわかるけどよ、別に取って喰いやしないって。今日ご対面だろ? もっと力抜いていいぞ。笑われちまうぞー?」
「だってあの折原臨也っすよ、今最も旬な人の!」

 静雄は机を叩いた。

 折原臨也。
 1年前、彗星の如く表れ、世間の注目と人気を掻っ攫っていった、”国民的アイドル”の名に嘘はない、大人気アイドルである。
 生まれ持っての秀でたルックスに目を奪われずにはいられない、眉目秀麗な男。艶と爽やかさを持ち合わせた歌声に、中毒性の高い楽曲は女性を虜にした。
 当初は女性からの人気にじわじわと押し上げられていた臨也だが、TV出演などで口を開いてからというもの、鋭い目つきや黒尽くめの衣装などの近寄り難そうな見た目と違って、フレンドリーなトークと、そのキャラクターの濃さが老若男女問わず人気を呼んだ。音楽番組にバラエティーは勿論、頭の回転の速さと辛辣な指摘が注目を浴び、ニュース番組のコメンテーターとしても活躍している。今ではテレビで見ない日はないのではないかという、芸能界で一番忙しいかも知れない人物だ。
 そのため、折原臨也のライバル、事務所の後輩にあたる”平和島静雄”デビューの話は前々から裏で進行していたにも関らず、臨也側のスケジュールが調整できないとのことで、双方の対面が遅れてしまったのである。

「ちょっと変わった人だけど、基本的に愛想よくて、怖気づくことなんてなんもないって。静雄はいつも通り頑張ればいいから。自信持て!」
「……はい」
「クールな麗しのドS系王子様と、ちょっとワルそうな肉食系男子、いいライバルになるぜ。……ま、お前は中身は草食系だけどな」

 ポンと叩かれた肩に、静雄はそのまま深い溜息と共に項垂れた。トムの言う通り、見た目と違って意外と繊細な男なのである。
 そんな様子を見たトムは、これはどんな言葉をかけても無駄だと諦めかけて顎を撫でた。静雄の緊張は嫌というほどよく分かるからだ。

(……ま、ぶっちゃけると俺は折原臨也、苦手なんだけどな。勿論、わざわざ言うつもりはねぇけど)

 折原臨也の持つ独特の雰囲気に、静雄が呑まれなければいいと危惧しながら、トムが煙草でも吸おうかとドアを開けたとき――、「わっ」「おっ」と短い驚きの声が重なった。
 静雄が弾かれたように顔を上げて、ドアの方を見る。トムが何かを避けるように上半身を引いていた。期待と不安で手が湿る。

「あ、すいません」
「いやいや、こちらこそ。煙草です? どうぞ、待ってますから」
「いやいやいや、折原臨也を待たせて優雅に煙草吸うほど肝座っちゃいないですから」
「別に気にしないのに。ところで、彼、います?」

 折原臨也。その響きに、静雄は心臓を鷲掴みにされたような息苦しさを味わった。トムの背中の向こうで、ヒョコッと横に覗いた顔。
 吸い込まれそうな瞳が、静雄を捕らえた。

「やあ、どうも」

 にこやかな笑顔。TV越しにしか聞いたことのない声が、静雄に向かってかけられている。一瞬で全身が騒ぎ出した。
 思わず立ち上がった静雄は、椅子を倒して激しい音を立てた。焦って椅子を立て直そうとすれば、机の上の雑誌を肘で落とす。それを拾い上げようとして屈めば、頭を上げたときに机の裏に後頭部をぶつけて「痛ェ!」と声をあげる。
 あちゃー、とトムが額に手を当てた。

「……フフ」

 頭を抑えながらゆらりと立ち上がった静雄に、笑いを堪えきれなかった臨也の唇から息が漏れた。
 カァ、と静雄が羞恥に顔を真っ赤にする。臨也はそんな静雄の前に歩み出て、右手を差し出した。

「折原臨也です。どうぞ宜しく」
「へ、平和島静雄っす。宜しくお願いします」
「はーい。あ、じゃあシズちゃんって呼ぶね」
「シ…!?」

 動揺したままの静雄が臨也と握手を交わしたところで、部屋を出て行こうとしていたトムが、席につくように促した。
 上着を脱いだ臨也は襟元に手を入れてぱたぱたと風を送り、足を組んで豪快に仰け反る様を静雄は唖然と見る。
 静雄ばかり緊張して、臨也のこの寛ぎっぷりが凄いだとか、思っていたより気取っていない人だなとか、静雄の脳内は「折原臨也とどう接したらいいのだろう」という問題の解決法を見つけるのに忙しかった。先程笑われてしまったし、完全に下に見られて馬鹿にされているかも。大体「シズちゃん」だなんて一体どうしたというのか。その距離感は一体なんなのだ。こちらから馴れ馴れしく話しかけてもいけない、しかし、余所余所しすぎても仕事に差し支える――。何を言ったものだろうか。助け舟を期待してトムへと視線を泳がせると、丁度トムがアイスコーヒーを運びながら、臨也に話しかけるところだった。

「ところで、マネージャーの矢霧さんは?」
「あー、波江さん? 弟君に電話でもしてるんじゃない? 大丈夫ですよ、何かあったら呼ぶくらいで。彼女、俺のこと嫌いだからさぁ」

 これにはトムと静雄も開いた口が塞がらなかった。静雄に至ってはこれが冗談なのか本気なのか、笑ったほうがいいのか深刻そうな顔をしたほうがいいのかわからずに、露骨に困惑した表情を見せた。そんなマネージャーがいるだろうか。そして、そんなことを笑顔で告げる、気にも留めていないようなこの人物は、一体何者なのだろうか。トムも思わず笑顔を引き攣らせながら、グラスを二人の前に置いて席に着いた。

「じゃあまあ、話は聞いて……?」
「ああ、社長から聞いてますよ。特に異論はないです」
「じゃあ今後売り上げを競ったりだとか、コラボさせたりだとか、そういう売り方をするっていうことも……」
「はい、勿論。面白いんじゃない?」

 TVで見るままの爽やかな笑顔を振り撒いて、臨也は声を弾ませた。そして笑顔のまま静雄の方へ向き直る。

「ねー、シズちゃん」
「……俺っすか!?」
「他に誰がいるのか教えてほしいな。同い年だろ? それにライバル関係なんだから、そんなビクビクされても困る。もっと友達みたいにさ、話してくれないかなぁ」
「そんな、俺……」

 世の女性たちを魅了してきた笑顔で、身を乗り出し距離を縮められて微笑まれれば、男である静雄もたじろがずにはいられない。
 そんな二人を見たトムは何かを諦めたようで、一人席を立った。

「んじゃま、俺30分くらいしたら戻ってくるから。矢霧さんとも話があるし。後は二人で、親睦を深めてくれや」
「トムさん!」

 縋るような静雄の声に片手を上げて、トムはドアの外へと消えていった。突然のことに思わず腰を浮かした静雄も、仕方なく着席する。
 トムからすれば、荒療治のつもりだった。実際、静雄は嘗てないほどの戸惑いを味わっていた。向かい側に座る存在を意識すればするほど、どうしていいかわからなくなる。

 そして訪れる――――、静寂。

(……そんな、見合いじゃあるまいし……。綺麗すぎて、顔もまともに見れねぇ、マジで情けねぇ)

 勇気を出して静雄が顔を上げると、臨也は頬杖をつきながらニヤニヤと笑っていた。


 



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