「やーっと見てくれた、シズちゃん」
「ッ、すいません、マジで……折原さんに会えるなんて、光栄で、その」
「かったいなぁ、君、いつもそんな調子なの?」

 臨也が眉間に皺を寄せ、静雄はしまったと思った。機嫌を損ねたようだ。情けなさに落ち込みながらも謝罪の言葉を口にしようとしたとき、臨也が静雄の隣の席へやってきた。

「折原さん!?」
「いざや、だって。次呼んだり敬語使ったりしたら許してあげない。俺、そんなに怖いかなぁ、心外だなぁ」
「違い……ッ、違う、俺はただ、こんなことになるなんて夢にも思わなくて……。気持ちが追いついてないっていうか、まだ、夢じゃねぇかと思ってて……」
「勝手に夢にするなよ。ね、田中さんも言ってただろ。親睦を深めるために、質疑応答でもしようか? 先攻はシズちゃんね。なんでも答えるよ。裏話でも、出血大サービスで」

 グラスを自分の方へ引き寄せて、臨也は悪戯っぽく笑った。こうして隣に座ると、TV越しではあんなに細身で長身に見えた臨也も、静雄と比べると少し背が小さいことがわかる。自然と僅かに見下ろす形になれば、白い肌にしっかりと浮き出る鎖骨と、服が作る胸元の影が目立って、静雄はあまり見てはいけないような気さえしてくるのだった。

「お、臨也はどうして歌手になろうと思ったんだ?」
「え、そんなベタなこと聞いちゃう? もっとディープなこと聞いてもいいのに。嫌いな芸能人とか、俺の住所とか☆ ――なーんてね。TVでは表向きにはさ、歌うことが大好きでどうこうって言ってるけどさ……、本当のことを言うと、人間が好きだから」

 おどけて舌を出してみせるも、臨也はすぐに真剣な表情になって、肘をついて指を組む。そうして楽しそうに静雄に微笑みかける。

「人間が、好き?」
「そう。俺の言葉で、音楽で、揺さぶられる人間がどうしようもなく愛おしい。俺を中心とした渦が、世界中の人間を巻き込んでいくんだ。俺の曲で人生が変わりました、なんて手紙が届いたりすると、俺は言い知れぬ高揚を感じるのさ。なんなんだろうね、人間ってさ。ライブ会場で、同じ俺のファン同士が互いを罵り合って軽く傷害事件になったり、俺を脳内彼氏にして子作り計画まで練っている女の子もいるし、差し入れの中に強迫じみた手紙と刃物が混じっていたりするし、握手会で精液塗れの手を差し出して連行される男もいる。俺は人間が好きなんだ、その愚かしさも愛おしい。もともと歌手以外の活動をするつもりはなかったんだけど、芸能界に足を踏み入れてみると、面白い人間と出会う機会が多くてね――」

 そこまで一息に語ると、臨也はコーヒーを啜った。

 ――何かおかしくないか?
 静雄の表情は強張っている。目の前の男が予想だにしなかった回答を寄越したからだ。

 ――人間が好き? 人間が愚かだって?
 困惑を隠そうともしない静雄を、赤みを帯びた瞳で見つめ直すと――臨也は静雄を指差した。

「例えば君、平和島静雄くん。俺は君に会うのを楽しみにしていたんだよ」
「え、俺に?」
「この企画の話を聞いてからというもの、俺は君に興味を持った。今度は、俺の質問の番ね」

 言いたいことをサッパリ理解できないと首を傾げる静雄の胸を、人差し指でトンと突く。そして、上目遣いに尋ねた。


「君の身体、どうなってるの?」



 一瞬で、場の空気が凍った。
 臨也がストローで氷をかき混ぜる音だけが響き、静雄の心臓は、臨也と初めて直接視線を交わしたときよりも激しく脈打った。

「何の話だ……!?」
「分かってるくせに。――平和島静雄。池袋出身の歌手。人気俳優・羽島幽平の兄だが、芸能界入りの際、そのことは隠している。なぜか? ――それは、君の過去が弟の顔に泥を塗ってしまうかもしれないから」

 静雄の顔から血の気が引いていく。

(なんでそこまで知ってる!?)

 いかにも、静雄は羽島幽平の兄だ。臨也の言葉通り、そのことは社長と一部の人間しか知らない。くれぐれも内密にと念を押してある。
 まさか、と内部の人間を疑い始めた静雄を慈しむように眺め、臨也は首を横に振った。

「誰かが漏らしたんじゃないよ? これは俺の独自の情報網だし、他所に漏らすつもりもないからさ。……君の過去、面白いよね。肉体の限界を超える力を発揮して、驚異的な回復力をみせては強靭な身体が仕上がっていった。そんな身体を持ってどんな気持ちなのかな。小学生の頃から派手な乱闘騒ぎだったそうだね。それは揉み消してあるのかな? でも、隠していたってバレるくらいに穏やかじゃないみたいだよね? 下手に後で暴露されるより、その逞しさも武器にして売っていけばいいと思うけどね。まあ、傷害事件とか起こしてたら、ちょっとやり難いけど」

 困ったような声音を装いつつ、臨也の口元は愉しげに歪んだままだ。
 静雄の肩が震える。脚が震える。唇が。拳が。
 臨也の言っていることは全て当たっている。静雄は超人的な力を持っているが、アイドルというジャンルでデビューする以上、そのような物騒な過去は抹消した。自身でも力をコントロールできるようになってきて、何事もなく切り抜けられるかというところだったのに。今、暴走してはならない。制御しなくてはならない。けれど。――けれど。

「俺はさ、君となら楽しめる気がするんだ。君が人間なのか、化物なのか、見定めさせてもらうよ。後者なら、本当の意味で宿敵になれるね」

 笑顔のままの臨也の脚が、地面から浮いた。静雄の手が、臨也の胸倉を掴んで引き上げていた。
 静雄の影が臨也の顔に落ちる。今までの穏和な表情と違って、噛み付くように、攻撃的に睨みつける。

「俺は化物じゃねぇ。暴力なんて大嫌いなのに、手前みたいな、何も……ッ、何も知らないやつにそんなこと言われる筋合いはねぇ!」

 苦しいはずだ、それにも関らず、臨也は笑顔を崩さない。いつも見ていたままの、憧れの、蟲惑的な笑顔のまま、静雄の頬を撫でる。
 愛しい。自身の言葉で簡単に揺さぶられ、取り乱して、傷ついた心を必死で隠そうとするこの男が。臨也は陶然と目を細めた。

 静雄の脳内に警笛が鳴り響く。目の前の男こそ、人間かどうかも怪しい。不気味に絡みつく。静雄が力では優勢だというのに、捕らえられたのは自身のような気がして、困惑と怒りと恐怖に呑まれそうだ。

「そうそう、猫被るなよ、シズちゃん。本気になってもらわないと……、面白くないだろう?」

 テーブルの上に倒れたアイスコーヒーが、蝕むようにテーブルクロスに染みを広げていった。










 Fin.

 臨也さんを褒めすぎてなぜか私が恥ずかしい、静雄さんは最早誰なのか。


 




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