お洒落なチョコレート菓子の上にかかっているような、細かい雪が降ってきた。手の上に乗ると体温で溶けて、すっと滑って手のひらまで伝う。コートに付くと粉砂糖そっくりで、何とも美味しそうな雪だ。

「でも、頭に乗ると濡れそう」
「…そうだね」
「濡れちゃったら風邪引かないかなー」
「…引くかもね」
「…風邪引いたら困るんだけどな。どこかに親切な人はいないかしら」
「はぁ…分かったよ。入ってけば?」

ありがとう、と満面の笑みを向けるとチェレンは苦い顔をした。最初から入れてよって言えばいいのにと言われたので、丁重にお断りします、と笑顔で返した。実にわがままだ。でもそれってチェレン限定だし、それをまるごと包んで許してくれるのもチェレンなので、素直に言う方が私達にはずっと非日常的なのである。だからこそ私とチェレンは所謂恋人としてやっていけるのだ。…なんて言葉にしてみると大概恥ずかしい以外の何者でもないのだけれど…。
だいたいね、と文句を言いながらチェレンがビニール傘を空に向けて開いた。ビニール傘ってなんだか色味がなくて心許ない気がするのは私だけ? 黒で塗りたくられた曇りの色が傘の柄になっているのを見て、私はその小さな空間に入った。周りと隔絶されている訳ではないのに、その中は心なしか暖かい気もする。けれど雨の中に足を踏み出せば、その些細な暖かさは身をつくような寒さに上塗りされてしまった。一気に文句が口をついて出てくる。

「折角の休みなのにさ、何だってこんなところまで勉強しにこないといけないんだろうね」
「ナマエはポケモンバトルが嫌い?」
「嫌いじゃないよ! でも、机とにらめっこして道具の種類とか覚えるのはイヤってこと!」
「でもいざ旅に出て覚えてなかったら困るのはナマエだよ」
「え? 平気だよ。だってチェレンは覚えてるでしょ?」
「人並み程度には覚えてるけど、それがどうしてナマエに関係あるの?」
「だって…」

旅に出るときはチェレンと一緒だから、と言おうとして止めた。なにそれ、恥ずかしい。頭が疲れているせいか、今日は口にするのが憚られることまで舌の辺りで弾けている。私は喉元まで出掛かった言葉を飲み込んで、別に言い訳を考えた。

「…ほら、チェレンにライブキャスターで聞けばいいし」
「あのね…」
「助け合いの精神は大事だよ!」
「それはまた別問題でしょ」

的確に返してくるチェレンに私は黙りを決め込んだ。端から私の方がひねた理屈なので勝ち負けがつかないのは分かっている。
その後もなんら生産性のない会話を続けながら街を出て、カノコタウンの方へ向かうと人工の光と比例するように人の数も減った。こんなに夕食の恋しい時間帯に外に出ている人は、私達のようにスクールで居残りを食らった人か(主に原因は私だが)よっぽど欲しいポケモンがいて草むらの中で粘っている人くらいじゃなかろうか。
それにしても、と隣をざくざく行くチェレンを見て思う。降水確率とか知ってただろうに、わざわざ私を待っててくれたのってなんだか嬉しい。結局こうして傘に入れてくれたし、私には勿体無い優しさだ。

「って、チェレン! 肩濡れてる!」
「え、ちょっ」
「あーっ、コートがずぶ濡れじゃん…! 二人分には小さいのに通りで濡れないと思った」

私の方に傾いていた傘の持ち手をぐいと押してワイワイ喚き立てると、チェレンは少し眉を下げて笑って、気にしなくていいよ、と言った。なにそれ…なんなのさ。自分が随分と子供に思えて、私は僅かに瞼を伏せた。

「チェレン…」
「なに?」
「寒い、でしょ」
「そりゃ、まあね」

私が口を噤むとしん、とまた周りに静けさが戻る。舗装された道を歩く私達の足音が薄く積もり始めた雪の上から響いて、時折距離の掴めない野生ポケモンの鳴き声がしていた。行儀悪くもポケットに突っ込んだままの手に、指先が肌触りのいい布を掠める。

「私、ポケットに手入れてたから。…あったかいよ」
「うん。ならよかった」
「違うよ、あの、ほら。…」

察せよ!と激昂したくなるところを抑えて、深呼吸をする。一言。一言でいいのだ。

「手、つな、ぐ?」

何故どもる、と自分を叱咤したい気持ちにかられながら俯きをより深くする。慣れないことなんてするもんじゃない。二の句が告げなくて困っているとチェレンがいいの?と言ってくれたので、こちらを見ているかは分からないが私は激しく頭を前後に振った。

「そ、そりゃあ、私のせいで濡れたようなものだし、私は借りは作らない主義っていうか、だから、」

つらつらと並べ立てようとしたのを手に伝わるひやりとした温度が止める。傘の持ち手に熱を奪われたのか、ポケットの中のぬくい空間にいた私の手には氷のように思えた。思わず冷たっ、の一言が出そうになるのを飲み込む。

「…」
「…」

意識がその一点に集中したせいで、そのままロボットみたくかくかくと歩いていたと思う。お互い沈黙の魔法にでもかけられたように口を開かず、少し行くと自分から言い出した癖にこの状況の恥ずかしさボルテージが最高潮になった。隣にいる存在はどうにも私の機関を狂わせる電波を発しているようだ。
さり気なく距離をとって僅かに傘の守備範囲から逸れると、繋いでいた手が一旦解かれた後に指が絡んでぐいとひかれた。

「えっ、な、な」
「これで二人共濡れないから」

ええ、いや、それは至極もっともなことなのですが。今度は肩が触れるくらいの至近距離過ぎて、余計に状況が悪化したとしか言いようがない。カノコはどこだ早くしろー、と八つ当たりに走りながらなんで平然としてられるんだ、とチェレンの方にそっと視線をやる。そして、少し驚いた。

「チェレン、顔、赤い」
「…寒いからだよ」

確かに寒いけど、それだけじゃないっていうのはその表情とかでなんとなく分かった。…なんだ、そっか、チェレンだって照れてるんじゃないか。私ばかりじゃなかったんだ。
全くもう、今世紀最大の緊張をしてしまった、と無駄なことまで考える余裕も出てきた。下手なことは止めればいいのに。
安堵したら縮こまっていた勇気が今更都合よく私の元に戻ってくる。今度は私の番だ、えい、と心の中で呟いて、私は握り締めた手の力を強めた。




冷たい小さな君の手を


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20130114
トウヤくんだと最初の時点で入れてくれない気がした

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