落日





 窓から差し込む光が手にした本のページを鮮やかなオレンジ色に染め上げていくのを見て、ゲーニッツはまた今日も読書に没頭して時間を費やしていた己の一日が終わりに近づいたことを知らされた。ヒザの上の分厚いハードカバーの洋書を静かに閉じ、眩しそうに目を細めて窓の外を見やる。

「貴君もご覧になりますか、八神。美しい……夕焼けというものは実に美しいものです」

 どこか芝居がかった賛辞の言葉だが、ベッドの上で壁に背を預けて愛用のベースを爪弾く庵の反応はない。庵が他人の言動に興味を持つことがめずらしいことながら、ゲーニッツは硬い弦をなめらかにすべり続ける、神経質そうなその細い指先にちらりと視線を移してわずかに肩をすくませた。しかしそれを咎めるでもなく、そして答えを求めるでもなく次の言葉を紡ぐ。

「その光に照らされ、何もかもがまるで血に染まっているようです。人の手の届かぬ高みから一方的に、捕らえたものを容赦なく染める……圧倒的でこのうえなく純粋な力そのものであり、さながら所詮は支配される身である人類の行きつく先を神が示唆しているのだと、貴君も思いませんか」

 部屋の隅にいる庵すらも例外なく照らし出され、怜悧で血の通っていないような、冷たい彫像をも思わせる姿にも束の間の命が与えられたかのように血に似た色がその面に浮かんでいる。影の差した部分とのコントラストが、よりいっそうと庵の持つ底知れない深遠を際立たせるのは皮肉なことであったが。

 ……否。

 庵に命の鼓動を息づかせる理由がまさに<太陽>と称されるものの闇に潜んでいることに起因しているのだから、それは当然なのだろう。

「……くだらんな」

「ふふ……貴君にとってはそうかもしれません」

 ですが……ゲーニッツはその体躯に不似合いなほどの穏やかな微笑みでやんわりと告げる。

「くだらないことなどこの世には何一つとてないのですよ、八神」

「……何だと」

 庵がようやく顔を上げた。彼にとって意味を持つ事柄は一つしかない。それの是非を問うことなど、庵の中では切り捨てられたことだ。そして、その思想が八神庵という存在を形造るものである以上は、誰であっても訳知り顔で非難したり諭したりはできない。

 ゲーニッツが信ずるものに沿って言うならば、庵をそのようにして決定づけたものは神の御業であるのだから。故に否定はしてみせたが、ゲーニッツはここで庵の反感を買うつもりもなく、先の発言を自らの中に下げる。

「貴君と神が何たるかについて論議するつもりは今はありません。ですがね、八神。私くらいの歳にもなると、様々なものに郷愁を感じたりするようになるものなのです」

「単なる年寄りの感傷に過ぎんな。くだらん戯言だ」

「貴君は辛辣な言葉の時だけは饒舌になるお方ですね」

 ゲーニッツは楽しげに喉の奥で笑った。己の考えを否定されて気分を害する、そんな青さがゲーニッツには時として羨ましくすらある。自らを取り巻く全てを拒絶し、諦念から受け入れながらも神の手から逃れて運命を切り開く道を未だ模索しているようで。

 庵はゲーニッツの言動に気を悪くしたのか、あるいは話すことなどもうないと思ったのか。おそらくはその両方の感情から再びベースを無言でなぞる。切れ切れに響く音が彼の魂に常に刻まれた葛藤を表現しているかのようだ。……それを告げれば、彼は間違いなく眉をひそめるのだろうが。

 静かな旋律を背に聴きながら、ゲーニッツは空を見上げた。

 すでにほとんどが地に沈んだ夕陽と入れ替わるように、全てを等しく原初の闇へと還す、夜の帳が音もなく落ちてこようとしている。

END



ゲニ庵は何ていうか、どうしても「終わり」があることが見えている世界かなあとか思ったりしています。
個人的な区分なんですが、京庵が「未来に向かっていく話」だとしたら、ゲニ庵は「終焉に向かっていく話」というか。その理由はほぼ間違いなく、ゲーニッツは公式の話上で死ぬことが決定づけられているキャラだからなんでしょうけど。まあ、それを言ったらオロチームも暗い話にしかならないのかってことになっちゃうので、性格的なものもあるんですけども。
というわけで、少なくとも私の書くゲニ庵は書き手の実力・表現不足なせいもあって淡々として盛り上がらない話ばかりになるかと思います。


20100222 UP






 

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 NOVEL / KQ 



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