Mnn Manege a moi





 有り余る財力を誇示するかのように広大な敷地内を軽く見渡し、アッシュはわずかに肩をすくませた。

 ちょっとした城くらいはあるであろう建物ですらはるか遠くに見えるのだから、その全体の広さたるや計り知れないと言うものだ。中世の貴族社会ならいざ知らず技術も高度に発展している現代でも移動に馬を利用する、この土地を所有する一族にとってはいかに広かろうとも何の問題はないのだろうが、限度というものがある。もっとも、庶民が当たり前とする普通の規模と彼らのそれとはかけ離れ過ぎて、気がついてもいないのかもしれなかった。

 とは言えアッシュは歩くことを自分で決めたのだから文句は言えない。それでも、途方もない広さにも拘わらず隅々までしっかりと人の手が行き届いた庭園を目にすると思わずため息がこぼれた。

 馬の蹄を痛めない為、固めた土で舗装された道の両脇に立ち並ぶ背の低い植木が景観の為ではなく堅牢な城壁のように見える。アッシュの腰辺りの高さしかないのに奇妙な威圧感を放っているのは、枝葉一つ見逃さず整然とした様が過剰なまでの規律性を感じさせるからなのだろう。

 規律を重んじ、従うことが悪いとは思わない。

 だが行動や思想に一部の隙もない制限を受けていては、いつか息が詰まってしまいそうだ。

 子供の頃は時が経つのをを忘れるくらい楽しく過ごした場所なのに。

 アッシュの胸を、寂しい風が吹き抜けていった。


 屋敷に長年仕える顔馴染みの老執事に教えてもらった通り、エリザベートはそこにいた。

 白い乗馬スーツに華奢な体躯を包み、やはり一個人の所有物としては充分すぎるくらいにスペースを取った馬場中を手綱と鞭とを巧みに繰りながら、まさに人馬一体となって自由に駆けている。いくつもの丸太を高く組み上げた障害物を飛び越える時は、まるで眩い光を集めた翼が彼女の背中に生えているかのような錯覚さえ見せた。

 けれどその実、名門・ブラントルシュ家の令嬢であるが故に世界が持つ本当の広さや、本当の姿を知らない。人の手で造られた窮屈な箱庭の中を回り続ける、豪奢な装飾をふんだんにあしらった回転木馬のようだ。

 聡明な彼女はそれを知りながら、自らのプライドを保ったまま目を背けることなく現実を受け入れていた。だからこそ誰よりも自由を求めて生き生きと馬を駆っているのではないか。

 すぐに声はかけず、優美な人馬が馬場をゆるりと一周して自分の方へとやってくるのを待つ。と、アッシュの視線に気がついたらしいエリザベートがその顔を向けた。手綱を強く引いて進路を変え最短距離で真っすぐに駆けてくる。

「やあベティ」

 急がなくてもいいのに、そう苦笑しながらアッシュは挨拶代わりに右手を挙げた。いつか白馬に乗った王子様が迎えにくるといった夢見がちな空想をせず、自らが勇ましく白馬に跨って先陣を切る騎士に対する敬礼になぞらえての動作だった。

「アッシュ……」

 愛馬を降りたエリザベートは、一見とっつきにくそうな顔に親しげな笑みを浮かべる。常に姿勢を正して毅然としたエリザベートがその表情を崩して見せる相手はアッシュだけだ。心を許してもらえている証の笑みが、彼女の特別な存在である自分が、アッシュには何よりも誇らしい。

「来るなら来るって連絡くれたら、迎えの者を寄越したのに」

「んー、門のところでもベティのとこまで送るって言われたけどネ。せっかくだから、ダイエットがてら歩くことにしたヨ」

 早くエリザベートに会いたいと思っていたし、この広さを歩かなくて済むのも魅力的だったが、アッシュはそれを断ち切った。

 不正を嫌うエリザベートに会うのに、誰かの手を借りたくはなかったからだ。もちろん、自身も馬に乗るエリザベートがそれを許してくれないと思っているわけではない。自分なりのケジメとしての選択だった。

「ダイエットの為だなんて、嘘ばっかり」

 アッシュの本意を見抜こうとしてエリザベートの真摯な双眸が向けられる。知性の色濃く宿る瞳に全て映し出されることを避けるよう、アッシュはわずかに顔を背けた。

「ウソじゃないかもしれないヨ?」

 軽口でアッシュがおどけてみせるとエリザベートはわざと澄ました顔で言った。

「だったらお茶とお菓子は用意しなくてもいいのね」

「もー、分かってるクセにベティってばヒドイヨ」

 頬をふくらませたアッシュを見てエリザベートが屈託なく笑う。

 二人が幼い子供だった頃から変わらないやりとりに自然とアッシュの頬もほころんだ。


 馬場の近くにしつらえられたテラスにアールグレイの紅茶と、アッシュが来ることを察してでもいたようにザッハトルテが運ばれた。

 エリザベートは何も言わなかったが、おそらく二人が馬場にいる間に老執事が手配してくれたのだろう。

 上品な良い香りの紅茶と大好きな甘いお菓子。

 そして大好きな幼馴染み。

 他愛ない話に笑い、時折訪れる沈黙の間すらも世界は優しく回り続ける。

 揺りかごのような回転木馬に乗って穏やかな時間をゆらゆらと漂う。

 心地よさに、足を進めることを忘れてしまいそうなほどに。


 大人になっても、日が暮れる頃には帰らなければならないのは一緒だった。地平線に沈んで行く太陽は空を鮮やかなオレンジ色に染め、無邪気に遊べる時間は終わりだと背中を押して急かす。

 そろそろ帰らなきゃ。

 まだ遊びたいと駄々をこねなくなったけれど、夕焼けが照らし出すセンチメンタリズムは何も変わらなかった。

「門まで送るわ」

 そう言って握った手綱に力をこめたエリザベートを、アッシュは止めた。不思議そうな顔の幼馴染みに自分が手綱を取りたいからだと答えると、さらにめずらしいものでも見るような表情をされる。

「爪が痛むから馬には乗りたくないんじゃなかったの?」

「今日はトクベツ」

 最初からそうすることが目的で、予め用意していた指先のないグローブをはめるとアッシュは羽のような身軽さで馬の背に飛び乗った。そして馬上から、社交場でダンスを申し込む紳士のような気取った仕草で右手を差し伸べる。

「お手をどうぞ、マドモワゼル」

「ふふ……何言ってるの」

 エリザベートは微笑みながらもアッシュの手を取った。彼女も鞍に乗った瞬間、いかに軽いとは言え二人分の体重をその身に受けた馬がいななく。ゴメンゴメン、となだめるようにしなやかに流れるたてがみをなで、ゆっくりと歩かせた。

 自分の足で歩いた方が早いくらいの速度は、荒縄を編んだ手綱を強く握りしめて自慢の爪を痛めたくないからというのもあったが、何よりもせっかくの時間を少しでも長く過ごしたいからだった。アッシュもエリザベートも、一緒に遊びたいから遊ぶという、ごく単純で簡単な理由だけでは同じ時間を過ごせなくなってしまっていた。

 そして、普段エリザベートが世界を見つめるのと同じ位置から見てみたかったというのもある。何が映り、何を思うのか。

 だが見慣れない世界だからかアッシュにはどうも居心地が悪く落ち着かなかった。感じたことをそのまま伝えるべく口を開く。

「ねえベティ」

「何?」

「乗馬もいいけど、いつもこんな高い目線から世界を見てたら足元にある大事なものを見落としちゃうヨ?」

「……そうかもしれないわね」

 エリザベートが静かに息を吐くのが聞こえた。

 アッシュより年上で気丈に振る舞ってはいても、辺り一帯の領地における全ての責任や重圧をその身に負うにはエリザベートもまだ幼かった。いかに芯が強かろうと関係ない。むしろ逆に、責任感が強いほど支配する側としてのプレッシャーは容赦なく襲いかかるだろう。人の上に立ち、彼らを支配することを苦としないのは生まれながらの独裁者だけだ。

 そして、エリザベートが優しい女性であることをアッシュは誰よりもよく知っている。

 年齢相応に小さな背中はアッシュの心をきりきりと締めつけた。

 昔と変わらないエリザベートを知ることは嬉しい。

 けれどその一方で、昔と変わらないエリザベートをひとつひとつ確認しようとする自分の行動は悲しい。

 もしかしたら本当は、この箱庭をいつまでも彷徨い続けているのはアッシュ一人だけで、すでにエリザベートは違う場所に立っているかもしれないから。

(ああもー、そうじゃないヨ)

 ふいにエリザベートが振り返っても気取られないように、感情を顔には出さずに考えを否定する。

 やらなければいけないことは過去を懐かしんで浸ることじゃない。いつか置き去りにされてしまうかもしれないと未来を悲観することでもなかった。

 エリザベートの手を取って前を走ることができないのなら、こうやってその背中を守るだけだ。

 門まで到着してしまうと、アッシュは手綱をエリザベートに預けて馬から飛び降りた。別れを惜しむ気持ちを心の奥底に押し隠し、たった一言だけれど口にするには鈍痛を伴う言葉を努めて軽い口調で告げる。

「戻っていいヨ、ベティ」

「でも」

「馬に乗ってるベティを見るの好きなんだ、ボク」

 言い淀むエリザベートに笑顔を向けて言葉を遮る。エリザベートは一瞬頬を染め、淡く色づくそれを夕焼けで隠すよう馬に乗った。

「それじゃあ……またね」

「うん。またね」

 何度も振り返りながら去って行く幼馴染みの姿をいつまでも見つめながら思う。

 白馬の王子様なんて柄じゃないけれど、いつかきっと、エリザベートが自分の足で自由に駆け回れる場所へ連れて行けたらいいのに。

END


famous last words」様との相互記念に書かせていただいたアッシュ×ベティをお送りしました。

以前勢いで書いた「comment〜」とは違って、はっきりとアッシュ×ベティを意識してはみましたが上手く書けているのでしょうか……。そして前に書いたアン9「ノスタルジア」は観覧車な話でしたが、今度はタイトルのフランス語を和訳すると「私の回転木馬」でメリーゴーランドな話だったりして。もっとネタの引き出しを増やしたいです。

何はともあれ菱木様、相互ありがとうございました!これからもよろしくお願い致しますっ!!


20100811 UP






 

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