〜 06 〜
目が覚めると見慣れない天井が視界いっぱいに広がった。
つん、とした消毒液の匂いが鼻腔を刺激して思考が働いてくる。
ふと横を見ると、フィアナの手を握りながらそこに額を置いて丸くなっている母親らしきものの頭が見えた。
「…お母さん?」
声をかけると、勢いよく頭が上がって母親の驚いた顔が現れた。
その瞳は赤くなっていて、泣いていたのがわかる。
「フィアナ…!!よかった…!具合は悪くない?痛いところは?」
「な、なんともないよ」
「無理しなくていいのよ?待っててね、お父さんと看護師さん呼んでくるからね」
相変わらずの心配性に拍車が掛かっていて、フィアナはとても申し訳ない気持ちになった。
部屋を出て行く母親の背中を見ながら喋るたびにピリピリとした痛みが走る頬を触ると、大げさなくらいに広く貼ってあるガーゼの感触が指に当たる。
跡が残らないといいな、と思っていると父親と看護師のお姉さんが扉を開けて入ってきた。
看護師が近くまで来て脈やらなにやらを観ているとき、看護師の腕時計が目に入った。母親も父親もこの時間はまだ仕事中のはずだ。迷惑をかけたな、と心の中で深く反省する。
「体に異常はないですね。明日の昼に検査があるので今日は当院で休んでください」
そう言って看護師は一礼して退室した。ほっとした母親と父親の顔を見てフィアナもなんだかほっとする。
「お父さん、お母さん。ごめんなさい」
「フィアナが謝ることじゃないのよ」
「とりあえず、無事で良かった」
護身術を身につけていたとはいえ、あの数は多勢に無勢だった。助けが入らなかったらどうなっていただろう…。そこまで考えたところで、その助けてくれたノクティスのことを思い出した。彼は無事なのだろうか。
「ねえ、ノクティス王子見なかった?私、王子に助けられたの」
「王子に…?背の高い男性ならさっきまで一緒にいたけど、その人じゃなくて?たしか、イグニスって名前だったと思うのだけど」
「イグニス…?」
たしかにあそこで助けに来てくれたのはノクティスだったはず、と一生懸命にあのときの出来事を思い出す。唸っていると父親が折りたたまれたメモ用紙を差し出した。
「そのイグニスって奴から預かった。目が覚めたら連絡をしてほしいとのことだ」
「わ、わかった」
頷きながらそのメモ用紙を受け取って中身を確認すると、携帯電話の番号が書かれていた。
(よりによって電話番号…)
せめてメールアドレスだったらよかったのに、と愚痴をこぼしたくなったが、恩人であることには変わりない。SMSでも送ろうか、とも考えたが、わざわざ電話番号を伝えてくるくらいだ、回りくどいことをするのは失礼だろう。
メモ用紙をもう一度折りたたんで枕元にある備え付けの机に置いた。
それから少しだけ両親と会話して、もう大丈夫だから、とフィアナは家に帰るように言った。きっと明日も仕事だ。はやく休んでもらおうという、娘ながらの配慮だった。
そして今、病院外でスマホを片手にメモ用紙を見ながら数字を打ち込んでいる。
発信のボタンをタップして、スピーカーに耳を当てた。
「はい」
「あの、助けてもらったフィアナです。今日はありがとうございました」
「おー、起きたか。イグニスに伝えておくわ」
「………ん!?」
物凄く聞き覚えのある声に、フィアナはまだ頭が寝ぼけているのか、と錯覚した。
「王子……?」
「なんだよ?」
いや、なんだよじゃないよ。イグニスという人にかかると思って完全に油断していた。
さきほどの一言から考えると、どうやらその人はノクティスの執事かなにかにあたる存在のようだった。
「えー!?王子!?」
「だからなんだよ!急にでけえ声出すな」
「ご、ごめんなさい」
手元にあるメモ用紙を見て、これは厳重に保存しておかなければ…と制服の内ポケットへ丁寧に丁寧に入れた。こんな形だが、王子の電話番号を手に入れてしまったようだ。
「助けてくれたのは、王子ですよね…?」
「んーまあ助けたっていうか…」
「ありがとうございます。おかげでちょっとした怪我だけで済みました」
「おう。つーかお前つえーな。でけぇ男が転がってくの正直ウケたわ」
「あはは…」
せめてノクティスの前ではか弱い乙女を演出していたかったが、その野望は今回の一件で一瞬にして崩れ去ってしまった。
そしてそのノクティスと電話をしていると思うとなんだか心臓が締め付けられる気がする。
「そういや名前初めて知ったな。フィアナっていうのか」
「え、は、はい!フィアナです!」
名前も知らないようなやつを助けてくれるのか…とフィアナはノクティスの優しさに心底感動した。涙さえ浮かんでくる。
「フィアナ、なんでまたあんなとこにいたんだ?今日は鞄も持ってなかったよな」
「あ……」
急にノクティスの声色が変わって、フィアナは肩をすくめた。
また会えるかもしれないと思って待ってた、なんて言えるわけがない。なんとか言い訳をしようと思考を巡らせるが、適切な言い訳はひとつしか見当たらなかった。
「な、なんとなく!外の空気が吸いたくて…!」
「嘘ヘタすぎ」
「うう…」
ノクティスが電話の向こうでため息をつくのがわかった。言わなくてもわかっているようだった。
「今日はたまたま通りかかったからいいけどさ。なんか俺のせいで怪我したみたいでめっちゃ気分わりーから、もうやめろ」
「ごめんなさい……。でも、王子のせいとか、そんなことはこれっぽっちも思っていないので!」
「別にお前を攻めてるわけじゃねーよ。でももうあんなとこにひとりでいるのはやめろ。さすがに懲りただろ」
「はい…」
フィアナは深く反省した。両親だけじゃなく、ノクティスやその周りにも迷惑が掛かっていた。詫びても詫びきれなさそうだ。
「じゃ、もう切るぞ。わかってると思うが、いたずら電話とかすんなよ」
「し、しませんよ!それどころか口外もしません!」
「わかってんじゃねーか。んじゃな、フィアナ」
向こうが切って、通話が終わった。それと同時に、フィアナは謎の脱力感に襲われた。
イグニスという人に電話をかけたつもりが、ノクティスにかかった。何を言ってるかわからねーと思うが状態だ。
もう一度スマホの画面を開いて、発信履歴を見る。
(これくらいなら、怒らないよね)
履歴から電話帳を開いて、その電話番号を登録した。
万が一を想定して、登録名は「ノクティス」とせずに、音符の記号にする。
ニヤニヤと口元が弧を描いた瞬間、ピリリとした痛みが唇に走った。
電話中は必死すぎてあまり気にしていられなかったが、仮にも負傷中だということを思い出したフィアナは、早々に院内へ戻った。
prev | next
戻る
×