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4月28日 午後2時55分 ベックフォード邸 会議室
ロンドン警察庁の調べにより、被害者に出されたスープの中から毒が検出されたことが分かった。それにより、厨房で働いている人間を含む全ての使用人を会議室へ招集し、大勢の人間が見守る中でひとりひとりの取り調べが行われている。コニーとセレーネの取り調べは後回しにされ、ふたりは別室で待機という形となった。
「失礼する。…久しぶりだな、グレグソン」
厳しい顔つきで取り調べの指示を行っている刑事に向けて、バロックは歩み寄った。警備をしているロンドン警視庁を入れると会議室はむせ返るほどに人の熱気で溢れており、その暑苦しさも相まってかなり息苦しい空間となっている。
背後から声をかけられた中年の刑事が不機嫌そうに眉を寄せて振り返った。
「…ば、バンジークス卿!?……も、もしかして、客人というのは…」
トバイアス・グレグソンは何度か目を瞬いて、口をあんぐりと開けている。そんなグレグソンを見たバロックは、ひとつうなずいて腕を組んだ。
「私と、私の父だ。この捜査…私も手を貸そう」
「え、ええ…それは…ありがたい限りではありますが…」
「なにか問題でも?」
「い、いえ!…あっ!こちらが、捜査資料です!」
捜査資料を受け取ったバロックは事件の概要に目を通し、検出された毒物の名前などを目で追っていた。
毒が入っていたのはムンダの食事のみ。スープの中から検出。これにより、被害者のみを狙った意図的な犯行の可能性が浮かんでいる、とのこと。
「被害者らに料理を運んだ使用人はもう分かっているのだな」
「ええ。そちらにいるメイドです」
指名されたメイドが縮こまりながら会釈をする。使用人たちから容疑を疑われて白い目を向けられているのだろう、メイドは肩身を狭くして泣き出しそうな顔をしていた。
「誰から料理を受け取ったか、覚えはあるか」
「いえ…用意されていたカートンをそのまま運んだので、誰が用意したのかまでは分かりません」
同じ質問を何度も受けたのだろう、今にも泣き出しそうな表情にしてははっきりとした証言をしている。バロックは嘘をついているようには見えないメイドの顔を見て、また捜査資料に目を戻した、そのときだった。
「グレグソン刑事!」
会議室の扉がものすごい勢いで開かれ、息を切らした鑑識が姿を見せた。会議室にいる人間ほぼ全員からの視線を受けている鑑識に、グレグソンが歩み寄った。
「なにか分かったか」
「…はい!使用人の寮を調べていたところ、とある部屋の一室からふたつの小瓶を見つけ…そのうちのひとつから、今回使われた毒と同じ成分が配合されたものが発見されました!」
その場にいた全員がざわついて、会議室は一層騒がしくなる。
「それで!その部屋主は!」
喧騒に負けないように声を張り上げたグレグソン。その声を聞いて、喧騒は徐々に静けさを取り戻した。
「は!調べによると、部屋主の名前は…“ビミー・カナリヤ”。厨房で働く中習いの料理人だそうです」
名前が公表された瞬間、料理人たちの視線は一点に集まった。その中央にいる男が顔を真っ青にしながら震えてカチカチと歯を鳴らしている。
「お前がカナリヤか?」
視線の先を辿ったグレグソンが、怯えているカナリヤの目の前に立ちはだかった。カナリヤは首をブンブンと横に勢いよく振っている。
「し、知りません!そんな…!そんな…毒なんて…」
グレグソンの静かな合図で警官たちが動き出し、カナリヤをひっ捕らえて手錠をかけた。
「僕じゃない!冤罪だ!」
「では、お前の部屋から出てきたこの瓶については、どう説明をつけるつもりだ?」
「知らないと言っているだろう!」
取り押さえられながらも、カナリヤは暴れて抵抗した。なにを言ってもやっていない、知らないの一点張りで、まるでその言葉だけを延々と繰り返す人形のような言動を見せている。バロックはカナリヤを一瞥して、騒ぎの中へ身を投じた。
「貴公は…。昨晩、この屋敷の姫君に言い寄っていた男ではないか?」
バロックのその言葉を起源に使用人たちが再びざわつき、困惑の声が聞こえてくる。
「バンジークス卿、どういうことですか?」
「昨夜の遅い時間。この男は、中庭にいた姫君へ必死に詰めより、なにかを提案していたように見えた。ただの話し合いだと思い込んだのだが、姫君が抵抗している姿を見て、助けに入った」
「見間違いでもしてるんじゃないのか!?僕みたいな背丈の男なんて、他にたくさんいる!」
カナリヤはバロックの言葉を遮るように大声を上げた。
「…そうだな。だが…」
バロックは組んでいた腕をといて、カナリヤのある部分に左手の人差し指をつきつけた。
「その大袈裟とも思える“包帯”は見間違いそうもない。私が押さえた、その左腕だ。貴公は昨晩も…その包帯をつけていたな」
「う…!」
暴れていたカナリヤの動きが止まる。
「…ふ、フン!それがなんだって?今回の殺人には関係のないことだろう!第一、僕はそんな毒のことなんて知らないんだ!」
しかし、なおも食い下がるカナリヤ。バロックは短く息を吐いて、小瓶を持ったまま強気な面持ちでいる鑑識を振り向いた。
「……先程、小瓶を“ふたつ”見つけたと言っていたな」
「はい!同じ形の小瓶ですが、中身は違うものでした」
「“もうひとつ”の小瓶の中には…“解毒薬”が入っている可能性がある」
「“解毒薬”…!?」
会議室は再び、困惑の声にあふれた。
「し、しかし…なぜ解毒薬の用意が…?」
グレグソンはわけがわからない、というように汗を流しながらバロックを凝視した。
「毒には、体内に入った瞬間効果を発揮して“即死”させるものから、死に至るまである程度猶予があるものまで存在する。今回使われた毒は後者のものだろう。実際、ベックフォード伯爵は病院へ運ばれるまで意識はあったと聞く」
「確かに!ムンダ様、苦しんではいましたが…目は開いていて、呼吸をしていました!」
ムンダを医師の元まで運んだと言う使用人が一歩前に出て、そう言った。バロックはひとつ、静かにうなずいた。
「そうなれば、解毒薬の用意がされていた理由として考えられる可能性はひとつ……。被告人、ビミー・カナリヤは……姫・セレーネに毒を盛ろうとしていたことだ」
会議室は再び困惑の声であふれた。カナリヤは目を見開いて、汗を流している。
「しょ…証拠はあるのか!?僕がセレーネ様に毒を盛ろうとしていた証拠が!」
「……証拠なら、ある」
「え……」
バロックは懐からひとつの包みを取り出し、その中から一本の紐状のものを引っ張り出して、カナリヤの目の前につきつけた。
「この屋敷で飼われている猫の首に巻かれていたものだ」
「ふむ…ただのリボンのようにも見えますが…これが、なにか?」
グレグソンはバロックの手の中にあるローズピンクをしたリボンを見つめた。
「結び目の部分が不自然な形をしていた。妙に気にかかったので外させてもらったのだが…その中から、これが出てきた」
バロックは包みの中からもうひとつ、手の上を転がる小さな機械のようなものを取り出してみせた。
「小型の“録音装置”だ」
「ろっ…録音…!?」
その瞬間、ロンドン警察庁の警官を含む全ての人間が驚きの表情を見せた。バロックはその手の平に乗った録音装置を見つめた。
「どうやら内蔵データは消されているようだが。…しかし、カナリヤよ」
カナリヤはうつむいていた顔を上げて、キッとバロックを睨みつけた。
「厨房の人間の話によれば、貴公は猫の食事の用意を任されていたのだったな」
「……まさか…」
グレグソンはカナリヤを振り返った。
「…ああ。仕掛けられる人間は…被告人しかおらぬ。猫の首輪に仕掛けた録音機器を通して姫・セレーネの行動を監視し、食事に毒を盛って手中に収めようとした」
「ば…馬鹿言うな!録音装置なんて、僕みたいな一個人が手に入れられる代物じゃない!刑事ならわかるだろう!?」
グレグソンは顎に手を置いた。
「ふむ…確かに。そもそも、我が国で入手するには困難を極めるな」
「ほらな!僕が貴族だったのならまだしも、ただの料理人なんだよ!それに、毒を盛られたのはムンダ様のほうだ!セレーネ様は関係ない!捏造でもしてるんじゃないのか!?バロック・バンジークス様よぉ!」
自身の無実の可能性が高くなったことを良く思ったのか、人が変わったように怒鳴り散らすカナリヤ。バロックはそんなカナリヤを憐れむような目で一瞥して、リボンと録音装置を包みに戻した。
「……確かに、これだけでは“解毒薬”の存在が示す矛盾が暴ききれぬ。…だが、こちらはどうだ?」
バロックは懐に戻した包みの代わりに、一枚の写真を取り出した。
「姫君に許可をいただき、厨房の調査をさせてもらった。その際、料理人たちの更衣室で見つけたものが、これだ」
「…被害者の娘、姫・セレーネですか?」
「いかにも。問題は、その“ウラ”だ」
グレグソンはバロックからその写真を受け取って、裏面に目を通し、「あっ!」と声を上げた。
“愛しの白雪姫。あなたの家来となり、王子になりましょう。ビミー・カナリヤ”
「“白雪姫”は、今から100年ほど前に書かれた作品。白雪姫は魔女に渡された毒リンゴを食べ、死に至るが…息を吹き返す物語だ。」
カナリヤが目に見えて狼狽えながら、自身の胸にある内ポケットを服の上から探った。そこに何も感触がないことに気付いたカナリヤが体を震わせて歯をカチカチと鳴らし、目を泳がせている。バロックは気にもとめずに言葉を続けた。
「白雪姫が入った棺を運んでいる途中…家来が木に足を引っ掛けて転んだ際に、口からリンゴのかけらを吐き出したのがきっかけで白雪姫は息を吹き返す。それを喜んだ王子と結婚した。つまり…」
バロックは怯えているカナリヤを睨みつけた。
「秘密裏に姫・セレーネへ毒を盛り、それにより混乱したベックフォード伯爵夫人の前に“救世主”として現れたカナリヤが解毒薬を使用。命の恩人として認められ、姫君の“隣”を頂こうと目論みていたと考えられる……。しかし、それは失敗に終わったのだ」
「や……やめろ……。やめてくれ……」
懇願するカナリヤの声は届かない。バロックはカナリヤに向かって、右手人差し指をつきだした。
「何も知らないメイドが食事を運んだことによって、“毒を盛った皿”を見失ってしまったのだからな!」
「う……」
カナリヤはその場に崩れ落ちて、地面を凝視しながら声を震わせた。
「うわああああああああああああああああああッ!」
カナリヤの断末魔にも似た悲鳴が響き渡る。
同情の目を向ける者は誰一人としておらず、多くの憐れむ視線が突き刺さる中で、孤独な世界へ放り込まれたカナリヤは発狂した。警察に押さえつけられたカナリヤが落ち着いたのは、それから30分後のことであった。
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