〜 11 〜
最後の部品を取り付けたことにより、ついに完成した“倫敦万博”の模型。その瞬間に立ち会ったバンジークスが、感心したような声を上げた。
「見事なものだ」
「裏から見たら完全にハリボテなんですけど、なんとか間に合いました」
来たる“万国博覧会”。その設計図や全体見取り図が書かれているチラシを貰って、必死に想像を掻き立てながら作った甲斐があった。バンジークスは興味津々といった具合に模型を見つめ、俯瞰視点で見たり、首を傾けて真横から見たりしている。
執務室の窓の外から、万博の”前夜祭”をしているのか、パレードの愉快な音楽が聞こえてくる。
「いよいよですね。一層にぎやかになって、みんな楽しそうです」
「その分、犯罪も後をたたない。今日も倫敦警視庁は出突っ張りだろう」
窓際に移動したバンジークスが、人でごった返したホワイトホールの通りを見渡した。豪華に飾られた馬車の屋根席に乗って、倫敦の女王陛下が民衆に手を振っている。その馬車の周りを、見たこともない人数の警備士たちが取り囲んでおり、厳しい顔で警戒態勢に入っている。ユリアも横から覗き込むようにパレードの様子を伺った。小さな子どもたちが腕から下げた花びらの入った籠に手を突っ込んでは、それをあたりに振りまいていたり、楽器隊と思われる人々が演奏しながら道を歩いたりと、見るものを飽きさせないパレードになっていた。
「バロック様も、比例するようにお忙しくなりますね…」
窓から離れたユリアが、バンジークスの机にある書類の山を振り返って眉をしかめた。もちろん、この中の一部は自分が処理するものだ。万博が落ち着くまで、ユリアも落ち着かない日々が続くだろう。
(エスポワールさんもずっと忙しそう…)
窓の外の光景にはまったく興味がない、といった様子で、エスポワールは自身の机で一生懸命に書き物をしている。バンジークスも椅子に座って、書きかけの書類に向き合った。ユリアは出来たばかりのミニチュアな万博会場を見て、ふたりに気付かれないように、小さくため息を吐く。
(暇が出来たら、万博…行ってみたいな……)
その日の昼過ぎ。昼食後に、バンジークスはヴォルテックスからあるものを受け取っていた。デスクの上に置かれた、そのチケットに似たものをユリアに見せて、バンジークスが口を開く。
「関係者のみが入場可能なのだそうだ。これからその視察に行く」
(いいなぁ…)
そのチケットには“倫敦・万国博覧会特別入場券”と書かれており、ユリアはそのチケットを穴が空きそうなくらいにじっと見つめた。もちろん、ユリアは“関係者”に該当しないだろう。今日ほど、“関係者”に分類されそうでされていない、“秘書”という役職を呪いそうになった日はない。
「行くか?」
「行きたい……」
でもそれはいつになるだろうか…。と思い悩んだところで、バンジークスが「支度をしろ」と言ってチケットを拾い上げた。ユリアは一瞬考えて、自分は今とんでもないことを口走ったのではないかと気付き、一気に青ざめる。
「わあああっ!すっ、すみません!仕事がたくさんありますので、終わらせたらゆっくり見物に……!!」
「たまには羽を伸ばすのもいい」
バンジークスが言うには、同行者に制限はないということらしい。ユリアは慌ててコートラックから彼のコートを外し、手渡した。
「じゃ、じゃあ、エスポワールさんも…」
「……好きにしろ」
その言葉を聞いたユリアが、見る間に瞳を輝かせて、デスクに縛られたように動かないエスポワールに駆け寄る。エスポワールは何事かと振り返って、走り寄ってくるユリアを見上げた。何やら話しかけたあとに、エスポワールがひとつうなずいて、それからユリアが嬉しそうに両の手の平を合わせる。バンジークスはふたりの様子を見て、なんだか保護者にでもなったかのような気分になった。
万博会場は、関係者のみと言われていたのにも関わらず、様々な役職の人間が行き交っていた。気球の試運転をする者、科学装置の設備を整える者、美術品の最終チェックをしている者など、本当に様々だ。ユリアたちと同じく、視察に来た人間は、すでに博覧会として完成している場所を観光に来ているようで、会場内にある案内板の前に集まったり、展望台へと続く階段を登っていたりと、自由に歩き回っている。“水晶塔”はその名の通り、一面がガラスで出来ており、しかし太陽光が反射しない材質のガラスを使用しているのか、その身を鮮やかな空色で彩っていた。バンジークスたちを見失わないように、やや駆け足で後ろをついていくユリア。角を曲がったところで、正面から来た通行人とぶつかってしまい、慌てて頭を下げて謝罪した。気の良さそうな紳士は、笑顔で手を上げて去っていく。
(バロック様、背が高くてよかった〜。見失いそうにないわね)
バンジークスは、会場に来ているグレグソン刑事に用があるという。ひたすら逸れないようについていくユリアには、周囲をゆっくり見物する暇もない。人混みをかき分けながらついていくというのはなかなか体力が要るもので、バンジークスの歩幅に合わせて駆け足をするユリアは少し息が上がってきていた。黙ってユリアの横を付かず離れずの距離で歩いているエスポワールがそれを見かねて、バンジークスの元へ駆けていき、彼を呼び止める。エスポワールはそのまま踵を返して、息を切らして小走りするユリアの方へ戻った。
「む……、すまない。気が回らなかった」
「いえ、そんな。こんなに人がいるとは思いもせず…。大人しくどこかでお待ちしていたほうが良かったですね」
再び歩き出したバンジークスは、さきほどよりも随分とゆっくりとした足取りで目的の場所へ向かった。おかげで息を整えることが出来たユリアは、いつの間にかエスポワールの手に繋がれていた自身の手を見て、ひとまず逸れることはないだろう、と安堵する。
(エスポワールさんも全身真っ黒で、見失うほうが大変そう)
人通りがようやく減ってきた場所に辿り着くと、「ねぇ、キミ!」という声がどこからか聞こえてきた。振り向こうとしたユリアの横を“金色の綿”が通りがかり、それから前方を往くバンジークスの横を通って、彼の前に立ちふさがる。
「ひょっとして、バロックかい?」
「………ベンジャミン、か?」
バンジークスは珍しく目を見開いて、「うわあ!やっぱり!」と大きな身振り手振りで喜ぶ、ベンジャミンと呼ばれた男性を凝視した。
「久しぶりだなぁ、バロック!卒業以来だよな?相変わらず背が高いなー!」
バンジークスが立ち止まったことにより、ユリアたちも必然的に立ち止まって、珍しい組み合わせにも思えるふたりの様子を見守った。繋いだままだったエスポワールの手が離れる気配を感じ、ユリアは小さくお礼を言う。思い出話に花を咲かせた男性がユリアに気付いて、バンジークスの体の陰から顔を覗かせた。
「そちらのレディは?彼女?」
ユリアは一瞬だけ顔を引きつらせたが、すぐに笑顔に戻って、深々と頭を下げる。
「初めまして、バロック様の秘書をしています、ユリア・ミルトンと申します」
「僕はベンジャミン・ドビンボー。バロックの同級生で友人なんだ!よろしくね!」
“同級生”という言葉に驚いて、ユリアは顔を上げた。性格も正反対に見えるふたりなのに、どうやって仲良くなったのだろう、と率直な疑問が生まれる。ドビンボーは、彼女じゃなかったかー、と笑って、それからユリアにずい、と寄った。
「バロックの秘書なんかしてて大丈夫?こいつ、昔から女性運が悪くてさ〜」
「え?」
「ベンジャミン。国家権力で貴様の口を永遠に開けられないようにしてやってもいいが」
ハハハ、と笑うドビンボーと、しかめっ面で目を伏せるバンジークス。やはりどう考えても正反対だ。言うなれば、太陽と月のように。ドビンボーが言うには、倫敦大学をバンジークスと共に卒業してすぐ、科学の研究のため独逸に渡ったのだという。今回、祖国で開かれる“万国博覧会”は、自分の研究の最大の見せ場になると予想して、はるばる戻ってきたらしい。さきほど、とんでもなく気になる情報があったが、聞きたい、と言えそうにない雰囲気になってしまったのが悔やまれる。
「僕の大舞台、絶対見てくれよな、バロック!」
ドビンボーはそう言って、バンジークスとユリアに手を振って、立ち並ぶ建物の陰に消えていった。まさか聞けるわけがないか、と横顔を見るユリアの視線を受けて、バンジークスは「忘れろ」とだけ言い放った。
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