兎と狐の月光祭
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狐は待っていた。目の前で閉ざされた、扉が開く瞬間を。
最近、空気が冷えてきた。夏鳥の声が消えていった。夜が長くなった。
もうそろそろ、一年ぶりに、外の世界に出られる。
石のように小さく丸めていた身体は、ちゃんと動くだろうか。毛はきっとたくさんのほこりをかぶっているだろう、ていねいに梳かねばならない。すっかり汚れてしまった衣も、新しいものに替えてほしい。
どこからともなく、鈴の音が聞こえる。祭りの準備はつつがなく進んでいるらしい。
もうすぐだ。
狐は喜びにふるえた。
*
ようやく、木々の間からたなびく煙が見えた。さらに目をこらせば、小さな集落があることもわかる。
ユタは道に迷っていなかったことに心底安堵した。
それと同時に腹の虫が鳴く。ユタは懐にある財布の重さを思い出して、苦い顔をした。
村に着いてすぐになにか食べたい気分だったが、そうすると今夜の宿代が危ない。飯の出ない最低限の宿屋に泊まれるかさえ、ぎりぎりのところだった。
木の葉が色づき、朝晩の冷え込みも厳しくなってきたこの季節、野宿はつらい。どうしても屋内で眠りたかった。
村に入る前に食事をすましてしまおうか、とユタは考えた。
昼飯を抜きにして山道をずっと歩いてきたから、空腹は限界に近い。
陽も傾き始め、黄色の木の葉を透かし、金色の光が辺りをぼんやりと包んでいる。この時刻なら、やや早い夕飯でも通用するだろう。
ユタは適当な場所を見つけ、飯を作ることにした。
袋から小さな金物の鍋を取り出し、水を入れる。少し土を掘り、そこに乾いた小枝や枯葉を積み上げて火をつけた。火が消えないようにうまく上に鍋を置き、とっておいた穀類を放り込み、煮込む。これに途中で摘んだ山菜や調味料を入れれば、夕食のできあがりだ。肉がないのが少しつらい。
ユタが火の番をしつつ煮込みができるのを待っていると、木の陰から兎が出てきた。
黒く、少し耳のたれた兎だ。冬に備えてか、よく肥えている。
兎は少し離れたところで立ち止まり、臆病そうな黒い目でこちらをじっと見てくる。
野生の動物だ、どうせすぐに去ってしまうだろう。
そう思い、ユタは兎を無視してやや太めの枝を火に放り込んだ。パチパチと火のはぜる音が大きくなる。
動物は、炎も大きな音も嫌うはずだ。再度兎の方を見てみる。
逃げていない。それどころか少し近づいている。
ユタは目を見開いた。兎は、ゆっくりとこちらに向かって跳ねてくる。
一体何なのだろうか。気が狂っているのだろうか? ユタは首をかしげる。
しかし、兎の黒い毛並みは艶やかで、目脂も洟だれの跡も見られない。病気ではなさそうだ。もし食べたとしても、健康には問題ないだろう。
ユタははたと気づく。
食べる。
そうだ、この兎はきっと山の神が飢えた自分に与えようとしているものなのだ。だから、こちらにやってくるのだ……。
自分にとって都合のいい解釈だとは知っていたが、そう考えなければ近づいてくる兎がひどく不気味に思えてしまう。
ユタは手近にあった石を拾い上げた。
そして、兎に襲いかかった。
しばらくして、ユタの胃袋はほどよく満たされたのだった。