第2章・3−9
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「そんなわけで、冬真くん、笹さんうちでバイトすることになったの」
「はぁ?」
さらりと告げた永野さんに、城戸は拒絶するような声を上げた。
「ちょっと待って、それってどういう……」
「だから、いろいろ教えてあげてね? お友だちである冬真くん相手のほうが、笹さんもいろいろ訊きやすいだろうし」
城戸の反抗なんてまったく意に介さず、永野さんは柔和な笑顔で城戸を押しきった。
城戸は負けを認めたらしく、「わかりました……」と蚊の鳴くような声で返事をした。
ずいぶんあっさりと永野さんに屈したあたり、城戸は何度となく永野さんの提案に妥協してきたのかもしれない。
私も永野さんにむちゃぶりされたらどうしよう。
一抹の不安を覚えながらも、私は「よろしく」と城戸に笑顔を投げかけた。案の定、城戸には無視されたけれど。
「そういえば、冬真くん」
今度こそ立ち去ろうとした城戸を、永野さんは再度呼び止めた。
「なんですか?」
城戸はだいぶ機嫌を損ねているらしく、険のある語調で永野さんに問い返した。
永野さんは刺々しい城戸の視線を受けとめながらも、相変わらずやわらかくほほ笑んでいる。余裕のない城戸とは正反対の態度だ。
「あのね、文化祭用の衣装ができたって、若松くんが言ってたわ。来週の月曜日に、若松くんがお店に来るらしいから、ちゃんと受け取ってね」
永野さんはあっけらかんとした口調で、城戸に個人的な用事を伝えた。
途端、城戸の眉間に、彫刻刀で彫ったかのような深いシワが刻まれる。城戸は私に向けるような攻撃的な視線で、永野さんをにらみつけた。
「ここでそれを言わないでください……!」
「私も見せてもらったんだけどね、ステキなワンピースだったわー。私も高校生だったら、着てみたいと思うくらい……」
「もうそれ以上しゃべらないでください!」
構わず話を続ける永野さんを、城戸が声を荒げて止めにかかった。
よっぽど話題にのぼらせたくない内容だったのだろうか。ただでさえ白い城戸の顔からは、血の気が完全に引いていた。
でも、今さらあわてたところで遅い。私はもう、城戸と永野さんとの会話をしっかりと耳にしてしまった。
「ワンピース……?」
私はあごに人差し指を当て、ゆっくりとつぶやいた。永野さんが着たいと思うということは、つまり、女性向けのワンピースなのだろう。
城戸がぎょっとした顔で、私を見る。
「文化祭で、城戸がワンピースを着るの……?」
「な、なに言ってるんだよっ。変態!」
永野さんの台詞を要約して繰り返す私に、血相を変えた城戸が罵り文句をぶつけてきた。
ひどくあわてながらも、店内だから声量はひかえめなあたり、城戸もなかなか小心者……いや、冷静だ。
「そうだよね、城戸がワンピースなんて着るはずがないよね。城戸、クールでかっこいい男子だし」
私が笑いを含んだ声音で城戸に同調すると、青白かった城戸の頬に少しだけ赤みが戻った。
「あ、あたりまえだろ! あと、おだててもなにも出ないからな」
「おばさん、冬真くんのかわいい姿を見にいくからねー。写真も撮らなくちゃ」
ようやく平静を取り戻しかけた城戸を、永野さんはあっさりと崖下に突き落とした。わざと城戸をいじめているのかと勘ぐらざるをえないくらい、空気を読まない発言だった。
「来なくていい、むしろ来ないでください!」
城戸はかんしゃくを起こしたように激しい言葉を永野さんにぶつけた。
次の瞬間、足早に店の奥へと駆けだした。これ以上永野さんと対面していたら、ますます泥沼にはまってしまうと気づいたらしい。
一目散に奥の部屋を目指していた城戸だが、扉の前で不意にぴたりと立ち止まった。
突然、ふり返って、私をまっすぐにねめつけてくる。
「……あと、笹。あんたも僕のクラスには来るなよ。来たらもう二度と口をきかないからな」
鬼気迫る剣幕で私に釘を刺すと、城戸は隣の部屋へと逃げこんでいった。捨て台詞を残して敵前から逃亡するだなんて、なんだか情けない光景だ。
「もう、冬真くんってば恥ずかしがり屋なんだからー」
永野さんは相変わらずのどかな笑みを浮かべながら、店の奥へと消えた城戸にとどめを刺した。
わざとなのか、天然なのか。後者のほうがタチ悪いなぁ、と思いながら、私はあいまいにほほえんだ。