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第2章・1−11
▽
「ねえ、陽太郎」
私がニヤニヤとした笑みを顔面にはりつけながら陽太郎の名前を呼ぶと、陽太郎は「なに?」と不審がるような声調で私に応じた。
「気になる人について知りたいと思うのは、当然じゃない?」
私は陽太郎としっかりと視線を重ねあわせながら、ゆっくりとした口調で陽太郎に訊ねた。
陽太郎は眉をひそめて、なんとも言えない表情になる。
「俺、気になる女の子がいたことが、今までに一度もないんだけど……」
どこか肩身が狭そうに、私の問に答えた。
私は「あらまぁ」と片手で口元を押さえた。
高校生にもなって初恋がまだなんてめずらしい……と思ったけれど、もしかしたら陽太郎の初恋の相手は、男子なのかもしれない。
思春期の少年少女は、本来は異性愛者であっても、しばしば同性を好きになってしまうらしいし。
私は慈しみをこめた瞳で、陽太郎を見あげる。
「別に相手は男でもいいんだよ? 陽太郎、男が好きなんでしょ?」
「俺は女子にしか欲情しないよ!」
私がやさしく陽太郎にささやくと、陽太郎は声を荒げた。陽太郎は普段さっぱりとしているくせに、変なところでムキになる。
「陽太郎、声が大きいよ……」
私は陽太郎に注意しながら、家の前の道路に視線をすばやく走らせた。私の家の周辺に、誰もいないことを確認した。
玄関は手狭な庭の奥にあって、道路からは五メートル程度離れている。さらに、陽太郎の声はそんなに通るほうではない。
だから、私たちの会話はあまり道路までは届いていないとは思うけれど……。
「欲情」だなんて、あまり大きな声で言っていい単語ではないと思う。
もし、ご近所のおばさんに聞かれたら、陽太郎は町内でかわいそうな性欲猿扱いされてしまうかもしれない。
ついでに、陽太郎の幼なじみである私や弟も、性欲猿のゆかいな仲間たちにされてしまう可能性もあるのだ。まったくもって、迷惑極まりない。
陽太郎は自分のしゃべった内容を特に気にした様子もなく、言葉を続けた。
「ぶっちゃけ風呂上りの笹ちゃんに遭遇したら、俺だって多少は興奮するからね。すぐにとんでもない汚物を見ちゃったような、いやな気分になるけど」
さらっと問題発言をしたけれど、気のせいだろうか。
「……男心って複雑なんだねぇ」
ものすごく反応に困る陽太郎の言葉を、私はあたりさわりのない台詞で流した。
陽太郎はまともなときはまともなのに、たびたび変なことを口走ったりするから困る。さすが、私といっしょに育ってきただけある。
私はすっきりしない気持ちで、「身近な人の裸を目撃すると萎えるんだよ……」とぼやく陽太郎を見つめた。
陽太郎が私の半裸姿に興奮するのは、まあいい。男子として健全だ。
でも、「汚物」とはどういう意味なのだろう? いくら他人からの評価を気にしない私といえども、ちょっと引っかかる単語だ。
まあ、陽太郎の性格から考えるに、半ば冗談のはず。
残り半分は、本気で私の裸体を汚らわしいと感じているのだろう。
私は陽太郎の心理について推し量りながら、眉ひとつ動かさずに話題の修正にかかった。
「私は陽太郎とは違って単純だよ。気になる人のいろんな面を見たいと思って、わざと嫌がらせして怒らせてみたりしちゃうだけだから」
「気になる相手に意地悪するとか、小学生の男子かよ」
陽太郎は私の申し開きに、すっぱりとキレのいいツッコミを入れてきた。
パーツが丸みを帯びているせいで、どこかあどけなさの残る陽太郎の顔には、おとなびた呆れの色が浮かんでいる。実にミスマッチだ。
「相手について知る前に嫌われちゃったら、元も子もないじゃん」
諭すように、陽太郎はツッコミを重ねてきた。
「いや、最初から嫌われてるから問題ないし」
「少しは好かれるための努力をしようよ!」
悪びれない態度の私に、陽太郎は鋭く切り返してきた。
私は「なんだかなぁ……」と肩をすくめる。
さっきまで陽太郎は私のことを「汚物」呼ばわりしていた。なのに、今は私を常識で説き伏せようとしている。
陽太郎のボケとツッコミと毒舌との切替の速さには、毎度毎度感心せざるをえない。
「好かれるための努力とか、それができたら苦労しないよ」
私が言葉に諦念をにじませると、陽太郎は大きなため息をついた。
陽太郎は陽にさらされて少々色あせた髪の毛を、わしゃわしゃとかき混ぜる。
「……あのさぁ、笹ちゃん」
髪型を整える行為で一拍置いてから、陽太郎は私の目を真正面からのぞきこんできた。
「嫌がらせはほどほどにしとかないと。また首、絞められるよ」
やや低めた声で、陽太郎は私に忠告したてきた。
今の陽太郎は、いつもの半分笑っているような脳天気な表情ではなく、真剣な面持ちをしていた。顔筋を引き締めると、陽太郎の中性的な顔は、ほんのりと精悍さを帯びる。
たぶん、陽太郎はわりと本気で、私の身を案じてくれているのだろう。
陽太郎は身内には手厳しいようでやさしく、他人には無害なようで冷たい。顔立ちのわりに馬力もあるし、なんだかんだで頼れる幼なじみだ。