12


電話を終えた尋之さんは申し訳なさそうに「仕事に戻らなきゃいけない」と告げて公園を後にした。
公園に面している道路に停まっていた黒い車に乗り込んだのが遠目に見えて、申し訳ない気持ちで一杯になる。

時間を確認してみると19時半を回ったところで、彼の仕事を考えれば忙しい時間帯なのだろうと簡単に予想がつく。

コンビニの前で、太陽の下で見た尋之さんは確かに格好良くて、普通の男性に見えた。でも、やっぱりしっくり来るのは日の落ちた、月明かりの下だった。

この1週間で何度も、住む世界が違う、と自覚したはずなのに。彼の住む世界に、飛び込む勇気もないくせに。
去っていった尋之さんの背中を見て、とてつもなく寂しいと感じるのは、俺のわがままなんだろう。

もし俺が女だったら、また違ったんだろうかと、考えてしまってハッとする。

なぜ【女だったら】なんて、考えたんだ。ついさっき、胸が痛む理由を考えることをやめたのは、気づいてしまったら後悔するとわかっているからじゃないのか。

痛いほど大きくなっていく心臓の音が、考えるのをやめろと伝えている。

それでも止まらない思考は、俺の悪い癖だ。今はそんな時じゃないとわかっているのに関係ないことをずっと考えてしまう事は日常茶飯事だった。

何で、女なら違うのか、女だったら、どうなるんだ。考えてはいるが、もうほとんど、その意味はわかっている気がする。


尋之さんは、男だ。だから、俺が【女だったら】。


ストンと胸の中に落ちたその意味に、驚きと恥ずかしさと、恐怖が俺の中を掻き乱していく。絶対に、絶対に気付いたらダメだと自分で自分を制御していたのは、そういう事だったのか。

住む世界が違って、男で、きっと弱った俺だから手を差し伸べてくれた尋之さん。
そんな彼を、俺は。

「好き、なのか」

言葉に出してしまえば、もう後戻りはできない事実に俺は嘲笑した。

疲れ切っていたところに突然現れた、ドロドロとした蜂蜜の様に甘い言葉を垂れ流す彼に恋愛感情を抱いてしまった。でもきっと、尋之さんにはそんなつもりは毛頭なくて。

恋愛なんてしている暇はないと、興味すら湧かなかった俺は、自覚したと同時に失恋を味わった。
尋之さんの周りにはきっと、美人な人も、頭のいい人もたくさんいる事だろう。たとえ、彼が男を恋愛対象として見れる人だったとしても、俺にはこれっぽっちも望みなんてない。

尋之さんが好きだと自覚してしまった俺は、しばらくベンチから立ち上がることができなかった。





−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





公園のベンチに座って、気づけば21時を過ぎてしまっていた昨日は、夕飯も食べることなくアパートに着いてすぐに眠ってしまった。

自然と目が覚めて時間を確認すると、8時を回っていて飛び起きる。
完全に遅刻だ、と、震える手でスマホを開くと会社からメールが一件入っていた。

開いて内容を見た俺は驚愕した。

〈昨日起きた事件により、弊社が入るビルにマスコミが多数集まっている為、本日は全部署休みとします。また本日より、警察と労働基準監督署の調査が入るため、下記の部署は2週間営業停止とします。営業停止日数分の給与は発生しますので、ご協力よろしくご願い致します。〉

記された部署には、もちろん俺が務める部署が記されていた。

パタリ、と腕から力が抜けた俺は、急いでテレビのリモコンを探す。
滅多に見ることがないそれはなかなか見つからず、ようやくベッドの脇に挟まっていたそれを見つけてニュース番組をつけた。

〈こちら、昨日12時ごろに起きた殺人未遂の事件現場です。警察の話によると、労働基準法を満たしていないことに対して不満を抱いた社員が犯行したとのことです。〉

スーツを着た、小綺麗なアナウンサーが真剣な顔をしている後ろには見慣れたビルが建っている。

先輩は、すべて話したんだ。

昨日会うことができなかった先輩に対して、申し訳なさと、安堵とが入り混じる。
何もかもを諦めた様な顔をしていたから、てっきり何も話さずに終わってしまうんじゃないかと心配していた。

これで、会社が悪かったと判断されれば先輩の罪は軽くなるかもしれない。

リモコンをギュッと握りしめて画面を食い入る様に見つめていると、視界の脇でスマホが光った。
手に取ると、見たことのない番号が羅列している。誰だろうと疑問に思いながらも出ると、低く剣呑な声が耳に入った。

〈晴海くん、で間違いないかな〉
「え、あ、はい。晴海です」
〈私は、株式会社〇〇の取締役代表の赤馬だ〉
「・・・え、あ、しゃ、社長、ですか」

告げられた名前に持っていたスマホを落としそうになったが、なんとか堪えた。
まさか、それなりに大きい俺の務める会社の社長から一社員に電話がかかってくるとは思いもしなかった。

〈単刀直入に言おう。君は、マスコミに対して何も発言をするな〉
「・・・え?」
〈小金井、昨日、事件を起こしたうちの元社員と、最後まで話をしていたのは君だそうだね〉
「は、い」
〈入院している森岡部長に至らぬ点があったことは認めよう。上層部で把握できていなかったのは申し訳なかった。しかし、犯罪を犯した元社員をかばう様なことは、君にはしないでいただきたい〉
「あ・・・」
〈とにかく、我が社に不利益になる様な発言は、控えてもらいたいということだよ。もし、潰れてしまったら、今勤めている全社員が路頭に迷うことになる。彼らには家族もいる。君のせいで、彼らが辛い思いをするのは不本意だろう?〉
「っ・・・」

社長は、俺に釘を刺すために電話をしてきたのだと、ついには声も出せなくなって理解した。
全社員を人質に、俺は今回の件について黙っていろということだ。先輩がなぜあんなことをしたのか、側で見ていたであろう俺がマスコミや警察に話してしまわない様に。

〈し、かし!先輩は、小金井さんは・・・!〉
「・・・ああ、君が言いたいこともよくわかる。しかし、私は会社に勤める社員を守らなければならないんだよ。君の勤める部署での業務が過酷であったことは、先ほど言った様に謝罪する。今後改善すると約束しよう。その代わり、君は今、黙秘してくれ。誰にも何も話すな。会社の人間にもだ。・・・わかったな?」

俺が何も言い返せずにいると、社長は「頼んだぞ」とだけ言って電話を切った。
卑劣な、非道な会社のやり方に手のひらに爪が食い込むほど拳を握りしめる。

大きな力で抑えつけられた非力な俺は、ただ悔し涙を流しながら呆然と流れ続けるニュースを見ていることしかできなかった。




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