番外編 その7

 ※これよりも時系列が後の話です。この話を踏まえての内容になりますのでご注意ください。
 ※夢主記憶喪失ネタです。また、ほんのりとブラッドリーとネロの三角関係っぽいものが香りますが、ブラッドリーはまったく夢主のことを恋愛対象として扱っていないです。ですが苦手な方はご注意ください。


 1

 その日の私は、まったくもって粗忽ものだったとしか言いようがない。朝起きてからずっと、気もそぞろな状態だったのだ。それを誰かのせいにするつもりはない。強いて言えば、朝早くからネロがほかの東の魔法使いや賢者さまと一緒に、調査の依頼のために不在にしていたからだろうか。すっかりネロの食事に身体を甘やかされてしまった私は、一日の始まりをネロのつくってくれた朝食で始めないとどうにも気分がしゃっきりしない。
 とはいえ、自分の不注意をネロのせいにするつもりもない。ネロに限らず、魔法舎では魔法使いや賢者さまが魔法舎の外で仕事をすることなど日常茶飯事だ。
 だから本当に、ただただ私が粗忽もので、そして多分、ちょっと運が悪かった──そういうことなのだと思う。

 そのとき私は、調査依頼のために不在のネロに代わり、朝食が一段落した食堂の片づけにひとり黙々と励んでいた。すでに朝というより昼に近い時刻だ。魔法使いたちは夜っぴて晩酌していることも多いが、全員がのんびり起きてくるわけでもない。人数が人数なこともあり、朝食の時間は早朝から昼前くらいまで、相当余裕を持って時間を設定している。
「今日は、あとは北の魔法使いが来たら終わりだな」
 すでに朝食を済ませた顔ぶれを思い出し、確認のために声に出す。つい先ほど、西の魔法使いたちの朝食が済んだところだった。朝食はたいてい西か北が最後になる。もっとも北の魔法使いたちがきちんと毎回食堂に顔を出すかと言われればそういうわけでもないから、気持ちとしては半分くらいは朝食を店じまいしている。スノウ様とホワイト様は南の魔法使いたちとともにすでに朝食を済ませているので尚更だ。
「それが終わったら、ええと、談話室の敷物の掃除と、それから……」
 ぼんやりとした頭でこの後の仕事の順序を組み立てる。朝食こそ買ってきたパンとオムレツだけで誤魔化したものの、昼食と夕食はそれぞれネロの作り置きがある。ネロたちが戻ってくるのは明日の夕方になるそうだ。明日の昼食は各自で、夕食はネロが戻り次第作るらしい。さすがにそれはネロの負担が大きすぎるから、下ごしらえだけは私が担うことになっていた。カナリアさんは今週いっぱい中央の城の手伝いにいっている。
 ぼんやりと、身の周りのことについて思索に耽る。と、そのとき。
「危ねぇっ!」
 いつになく逼迫した様子のブラッドリーの声が、背後からふいに飛んできた。「え?」とこれまたぼんやりした声を発し、私は声の飛んできた方、背後を振り返る。その瞬間、頭部をがつんと重たい衝撃がおそった。完全に不意打ちのところを襲われ、そのまま衝撃にまかせ身体が吹っ飛ぶ。
 そこから先のことは、何も覚えていない。

 2

 その日の俺様は朝からまったく運が悪かった。まず最初に悪かったのは、朝も早くに勝手に目が覚めてしまったことだ。昨晩は西の魔法使いたちを相手にポーカーで快勝し、気分よく眠りについた。もっとも眠りについたといったって、それでも明け方近くになってからだ。夜の帝王ブラッドリー様ともあろう男が、まさかガキかジジイのように夜に眠り昼に活動するなんてはずがない。
 だというのに、どういうわけだか昼になるより前に目が覚めてしまった。睡眠時間が短かったことにも腹が立つが、とにかく意味もなく早く目が覚めたことが苛立たしい。誰に強いられたというわけでもないからこそ、余計に腹が立つというものだ。
 とはいえ目が覚めてしまったものは仕方がない。久し振りに朝食なんてものを食うか、と思い立ち階下におりようとしたところで、次なる不運が襲ってきた。
 ミスラだ。例にもれず奇妙な傷の影響で寝不足のミスラが、不機嫌きわまった顔つきでふらふらと廊下を歩いていた。大方、昨晩は賢者を捕まえ損ねたのだろう。たしか賢者は今朝はやくから東の根暗どもと一緒に人間の依頼がどうたらと言っていた。
 ──と、そこで俺は気付く。東の魔法使いどもがいないのであれば、当然ネロも不在だろう。そうなると、ネロのつくった朝食にはありつけないということだ。たまに早起きをすればこの仕打ち。舌打ちも漏れようというものだ。
 その舌打ちを、離れたところにいたミスラが聞き咎めた。
「ブラッドリー、あなた今舌打ちしました?」
「あ? それがどうした」
「殺します」
 ≪アルシム≫と、ぞんざいな調子でミスラが発するのと同時に、ミスラの手元に光が集まる。まずい。咄嗟に俺は階下へとひらりと身をかわした。その瞬間、つい今の今まで俺が立っていた場所がミスラの放った閃光によってはじけ飛ぶ。
「チッ、馬鹿野郎が! 屋内でなんつー物騒な魔法使ってんだよ」
「知ったことじゃありませんよ」
「オズか双子が黙っちゃいねえぞ」
 ぽんぽんと言葉を交わしながら、俺はそのままどんどん階下へとくだっていく。ミスラもまた、俺を追いかけ階をくだった。まったく、八つ当たりにもほどがある。俺様がこれ以上刑期を伸ばされないようにと派手な攻撃を避けているというのに、ミスラはそんなことはまったくお構いなしなのだ。こいつは多分、魔法舎が全壊しようがけろりとしているに違いない。
 いや、魔法舎が全壊までいけば、さすがに俺もすかっとして気分がいいのかもしれない。しかしそれはあくまで自分の意思であればの話だ。間違ってもミスラの莫迦に巻き込まれてすることではなかった。
 ともあれ、俺が率先してミスラの破壊活動に手を貸すわけにもいかない。出払っているのは東の魔法使いとお人よしの賢者だけだ。むしろ賢者がいないぶんだけ、俺を庇い立てするやつがいない。この状況でオズと双子、それにフィガロあたりにまで俺の責任を問われたら、業腹だが俺に不利な展開になることは間違いない。
「おい! いい加減にしろミスラてめえこの馬鹿野郎が! 食堂までぶっ潰しちまったら飯も満足に食えなくなるだろうが!」
「それが何です?」
「寝れねえうえに飯も食えねえなんて笑えねえことになっても知らねえぞ!」
「そうなればそのへんの人間から食べるものをかっぱらいますよ」
「俺よりよっぽど最悪じゃねえかよ」
 俺の軽口への返事の代わりか、ミスラがまた一発、閃光を俺に向け放つ。
「チッ……≪アドノポテンスム≫!」
 攻撃をよけるとそのまま長銃をかまえ、反撃の姿勢に転じた。威嚇がてらに一発打ち込めば、ミスラの方も魔法であっさり銃弾の軌道を変えた。
 ミスラに向けて放たれた魔力のこもった銃弾は、ぐいんと強引にその行先を変え、そこから今度はまっすぐ飛んでいく。その弾の向かう先に視線を遣って、俺は思わず叫んだ。
「危ねぇっ!」
 続けざまに早口で呪文を唱える。銃弾を止めるための呪文だ。しかし、一度ミスラの魔法を受けているうえに高速で空を切る銃弾に魔法を掛けるのは至難のわざだった。
 駆けだしたときにはもう遅かった。
 目のまえで、銃弾に額を貫かれた女の身体が宙を舞う。悲鳴を上げることもなく、女が食堂の机と机の間にぶっ倒れる。
 間違いない。ネロの女だ。駆け寄りながらも、全身からさっと血の気が引くのが分かった。
「あれ、まさか流れ弾で死んだんですか?」
 呑気なことを言うミスラに、俺は思わず怒鳴った。
「ふざけてねえでさっさとフィガロ呼んで来い!」

 3

 その日は朝っぱらからやけについている日だったから、これは何か拙いことがあるに違いないと、半ばこじつけのように考えていた。いいことがあれば悪いことがあるに決まっている。長い人生で得たその経験則は、実際かなりの信憑性を持っている。揺り戻しとでも言うのだろうか。悪いことが続いたからといっていいことが起こるとは限らないのに、いいことが続いた後には必ず悪いことが起こる。
 俺の比較的後ろ向きな性格がそんな錯覚を感じさせているのだと、昔ブラッドに言われたことがある。たしかにブラッドは、そういうことを考えたりはしないのだろう。いいことがあれば自分の人徳だと機嫌をよくし、悪いことがあれば機嫌を悪くする。ブラッドリーはそういう男だった。
 閑話休題──俺の思案を破るように、
「それにしてもラッキーでした。依頼人が俺の両親の知り合いだったなんて」
 すぐ隣の椅子に腰かけたヒースクリフが、嬉しいような複雑なような顔で言う。
 ブランシェット城で振る舞われた早めの昼食をとり終えた俺たちは、城の談話室で顔を付き合わせて作戦会議に臨んでいた。もともとブランシェット領で起きた異変への調査ではあったのだが、今回はヒースの実家に寄る予定ではなかった。それが幸運なことにブランシェット領主にも何時の間にか話がついており、こうして「ご子息とその従者の友人」として、上客への接待かというほどの歓待を受けている。
 さすがにブランシェット領主の城だけあって、食べるものも一流であれば、今夜の宿としても一流だ。こんな任務はそうそうなく、ただただ運がよかったと言うしかない。ヒースは複雑そうにしているものの、あとの全員は俺も含めラッキーだと思っているに違いない。
 賢者さんが手洗いに立っているのをいいことに、ヒースの呟きを皮切りに話題は世間話に流れていく。
「特にネロは今日はやけについてるよな。あの薬草、シャーウッドでも滅多にお目にかかれないような貴重種だぜ」
「ああ、まあそうだな……」
 何故かやたらと得意げなシノに、俺は歯切れ悪く返事をした。
 シノの言うとおり、今日の俺はついている。珍しい薬草を発見したこともそうだし、ブランシェットの家に世話になることができたのもついている。ついでに言えば朝出掛ける前につくったオムレツのたまごは黄身がふたつの双子だったし、朝、箒に季節外れのテントウムシが止まっているのも見かけた。東の国ではテントウムシは幸運を呼ぶ虫として知られている。
「……どうした、ネロ。幸運続きというわりには表情が暗いな」
 ファウストが言う。普段ならば表情が暗いのは先生の方だろうと軽口のひとつでも叩くが、何となく今日はそういう気分にはなれなかった。ファウストの言うことに心当たりもある。
 腰かけた肘掛け椅子に背をあずけ、俺は高い天井を仰いだ。頭上ではきらびやかだが趣味のいいシャンデリアが陽の光を受け輝いている。それでも俺の心はいまひとつ華やがない。
「こうもラッキーなことが続くと、次は何かでかい不幸がくるんじゃねえのかって、ついついそういう気持ちになるんだよ。自分でも損な考え方だとは思うんだけど」
 俺の言葉にすぐさま頷いたのはヒースだった。
「ああ、その気持ち俺も分かるな。いいことが続くと最初はよくても、だんだん不安になってくるんだ」
「そうか? 俺はいいことが続けば嬉しい」
「シノはそうだろうな」
「まあ、僕もネロたちの気持ちが分からないわけではないよ。というより、不運な状況の方がどちらかといえば常だからな。幸運が続くとイレギュラーな状態で落ち着かない」
「たしかに」
 シノはともかくとしても、こうして意見が重なるということは、結局のところこれも東の国の住人の性質のようなものなのだろう。東の国の住人は、基本的には猜疑心が強い。どうやらその性質は、己の幸運という状況に対しても遺憾なく発揮されるようだ。
 ブラッドリーなどは東の国民性を根暗というが、闇雲に疑ってかかったり陰険というよりは、とにかく慎重なたちの者が多いのだと思う。その点、ナマエなどは思い切りがいいところもあって、時折東の国の人間らしからぬ発言をかましている。
 たとえばナマエなら、幸運が続いたときに心がざわついたり、不安に駆られたりするのだろうか。一瞬そんなことを考えるが、すぐに答えは弾きだされた。
 ナマエならばきっと、そういうことは考えないに違いない。幸運は幸運、不運は不運と割り切って、そこに無理やり因果関係を見出すようなことはしなさそうだ。後ろ向きでめそめそしたところがあるわりに、ここぞというときには彼女は案外切り替えが早い。
 そんなナマエを見習うわけではないが、俺はひとつ息を吐くと、
「ま、不運があったらその時はその時だな」
 そうして無理やり話を結んだ。ちょうどそのとき賢者さんが戻ってきて、話題はすぐさま午後の作戦会議へと移る。
 依頼は明日の昼には片付く予定だ。ナマエにもそう伝えてある。魔法舎に戻ったら、このやたらと運に恵まれた話でもしてやろうか。これといって土産話もなさそうな任務の内容を確認しながら、そんなことをぼんやり考える。

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