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 「なんでこうなんでしょうか?」と少年がうなだれる。
 「上手くいきませんね」
 旅行を終えて、アパートへと戻った私たちは、職場へ持っていくお土産袋を机の上に置いて、やっと一息つく。これから大量の家事が待っているというのに。
 「結局、あの人にああいったモノをすべて見られてしまうんですよね…………貯金高とか、おねえさんと一緒に住んでいるとか、仕事先とか諸々」
 その場に崩れこんだ少年に、私は何も言えなかった。
 「しかも『貯金高がこれだけなの、あの姐さんが関係してるだろ』って、妙に勘が鋭いし…………祖母ちゃんたちにも言ってないのに、本当にどこで知ったんだって言う」
 床に座り込んでうなだれる少年に、私は何も言えなかった。というか、言ってはいけないような気がした。きっと少年の貯金高を絶望的な数字にしたのは、私のせいだ。
 「ご、ごめんね?」
 数秒後、やっと出た言葉に少年の眉はひどい形をしていた。
 「なにがですか? おねえさんが謝って、なんて一言も言った記憶はありませんが」
 「でも」
 きっと貯金高のことは私が原因だ。きっと少年のお父様は九桁近い数字が、少年の貯金高として存在すると思っていたのだろう。けれど、現実は違う。
 「あの親父、ヒトが使ってる銀行を把握してるんですよ…………お金を下ろすことはないって言ってましたけど、どうやって調べたんだって話でしょ。それとおねえさんの借金のことは全く関係ないんですよ」
 右手をひらひらと宙に泳がせながら言った少年に、私はこれ以上言うのをやめようと思った。これ以上言ったところで少年の気持ちに、なんら変わりはないのだから。
 と同時に、ふと思っていたことがあった。
 「少年、ちょっといいかな?」
 「なんですか?」
 「少年が今使ってる名字、誰のなの?」
 あの挨拶を含めた旅行ではっきりとした。「東野」がお母さまの旧姓であり、「藤咲」が少年のお父様が今使っている名前。だとすれば、今少年が使っている「垣本」という名前は、一体誰が使っていたのだろうか?
 あのとき、確かに私は見たはずだった。少年を産んだお母さまのお墓には、しっかりと「藤咲家之墓」と書かれていた。けれど、お母さまの旧姓が東野である以上、「垣本」ではない。
 ならば、少年が今使っている苗字は一体、とぐるぐると頭の中を回る。
 「祖母ちゃんの旧姓ですよ、父親が使ってる『藤咲』は絶対に使いたくなかったので」 
 なんだ、と肩を抜かしてしまった。案外簡単な回答だったな、なんて思えてしまった。何を深く考えていたのだろうか、と。
 「最初は『藤咲』を使おうって話になったんです。でも、父親が母親以外の女性と平気で遊んでいるとばかり思っていましたから。そんな人の名字は使いたくないと、小学校の頃に駄々をこねたんです。けれど名字がない子供はあんまりにも不自然すぎますし、当時僕は父親のことを心底嫌っていましたから、祖父母たちもわかったと、あえて祖母ちゃんの旧姓を使うことになったんです。だから」
 とまで言った少年は私の顔をじっと見ては、やがて「ああ、そういうことですか」と何かを理解したように続けて言った。
 「お墓の名前でしょう、おねえさんが言いたいのは、『垣本』ではなく『藤咲』だったことでしょう? 父親が使っていたのは『藤咲』で、母親の旧姓も『東野』。おかしい、と思ったのではないのですか?」
 そっと私の頬に手を寄せる少年。なんだか少年の勘が、今日はやたらと鋭い気がする。なぜだろう? 「おねえさん」と少年が私のことを呼んだ。
 「あなたを、愛してますよ」
 軽くかわした口づけ。
 「はい、わたしも」
 きっとこれが私にとっての一番の幸せ。






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