第一話 02



 こういった暮らしになることは分かっていた。
 数年前までごく当たり前のことだと思われていた親族殺し、別名肉親殺しで両親を失った幼い子供たちは、魔界での心理的医療処置も、ましてやそれ相応の対応もなかった。
 だからこそ両親、親戚を失った。まだ自分の身体を売って生きていけない私たちはこういった場で生計を立てていくことしかできなかった。職も食もない私たちはただ無我夢中で、ただ死なないように、「いま」を生きていくことに必死だった。
 セントラルタウンで漂々と過ごしている連中みたいに、私たちにはお金がなかった。素直に、悔しかった。
 もしも、私があの風習に巻き込まれることなく、ごく平凡に暮らすことが出来ていたら? 
今はこんなところで暮らしている私でさえ、数年前までは生きていた父は城で働く左大臣だったから、こんなにも異臭が漂うごみ置き場で「いま」を必死に生きることなく、スイッチ一つで温かみや涼しさを感じることが出来るものがあれば、学校に行って勉強することが出来ていた。
 嫌なぐらい晴れ渡った大空を憎むことはないけど、たまに思ってしまう。「いま」が違えばどれほど幸せなんだろうか? 
だから大空を眺めていて、ろくに足元を見ることなく、一歩だけ後ろへと進んでしまってから気がついたんだ。カン、という何かがつぶれる音に、私は「いま」の自分がわかった。
 「ひゃっ」
 なんてかわいい声なんだ、なんてことを思えたのも束の間だった。あの音はきっと近くに自分で置いた空き缶を、誤って踏んでしまったのだから。ふわりと浮いた体は、どう足掻いても真っ逆さまに落ちてしまうのだ。
しかも、普段足元に気を付けておこうね、なんて言っている私が、こうして失態を晒しているのだから、情けないの一言だ。
 ふわりと浮いた体はどうやら私だけではない、と数秒後に分かった。きっとカン、という音でみんながびっくりしたんだろうね、だから体を少しだけ背に向けて、ただでさえ足場がよろしくないごみ山で、ほんの少しのバランスを崩したのだから、全ての責任はきっと私にある。
 「………ごめんね」
 私よりも宙高く舞い上がる空き缶に手をのばし、ふわりと風が身体中を包み込んだ。ちょっと前まであんなに寒かったのに、もう春の季節がやってくるのか、なんて思っていた私が馬鹿だったのだろう。温かくも優しく、悲しい風は私の身体をゆっくりと足先から地面へとおろしてくれたのだ。
どうして、と疑問でいっぱいの私は、他の子どもたちが同様であるように、頭の上に疑問符をたくさん浮かべていて。
ふと、一時期は華やかな生活をしていた私でさえも見たことのない、彼の顔を見た。黄金の帯は、この魔界の主を示し、透き通るほど美しい海の色をしたブレスレットはこの魔界の最高権力者を表すモノの印。魔界に居座る者は誰しもがこう言う、
 「魔王様」
 まさかこんな場所に彼がいるはずがない。ないのだけれど、幼い頃に母親が人差し指を立てながら、幼い頃の私に教えてくれた言葉が頭の中ら離れることなんてなかったから、気がつけば私はとても偉そうに、「みなさん、ひれ伏せて頭を下げなさい、このお方は魔王様です」なんてことを言っていた。魔界でも最下層の底辺に匹敵する私が偉そうに指示をする側に回ってはいけないことは十分わかっているけど、このままでは失礼すぎるんだ。
 だけど、今度の魔王様は余程の変わり者。魔界でも最下層の底辺に匹敵する私たちに対して「そのままでよろしいから、頭を下げないで……ああ、ちょっと足を見せてごらん?」とおっしゃられたのだから、みんな警戒心を抱きつつも、そっと足を見せる。魔王様はほんの一瞬だけ戸惑いをお見せなさったけれど、手のひらを空中で円を描くようにして、文を唱える。
 「Qui subicite quam mei」
 興味がなかったわけじゃない、ただ、昔におばあ様がよく言っていたことがあった、ラテン語を用いて魔術を唱える悪魔には警戒心を抱くな、と。私のおばあ様曰く、私たち天使や悪魔は魔術を使うときに、言葉を用いることが多く、言葉によって術者の教養がわかるという、一つの見分け方がある。
 ラテン語であれば命を重んじる教育と、『ジントク』を学ぶらしいが、英語を用いる術者であれば魔術イコールすなわち己の身を守るもの、と教わるらしい。もっとも、私は学校にも行っていなくて、教養もくそったれの生活をしてきているから、魔術に関しては全くのアマチュアで。
 だけどこの魔王様はしっかりとした口で言った、「Qui subicite quam mei」と。これの意味することは「我が古より従えるものよ」というもの。若干痛い感じもするけど、これはれっきとした古代呪文で。かなり頭がよくないと古代呪文は使うことが出来ない。
魔王様だから頭がよくて当たり前、なんて考えていたら、私の足にできていた痣や傷は、いつの間にか消えていた。
 「このリンゴをあげるから、少し待っていなさい、すぐに軍を呼んできてあげよう? 君たちの保護者はいるかな?」
 きっと私たちに気を使って同じ目線で言ったのだろうけど、魔王様の行動が今の私にとって反感を大きく買うことになって。少なくとも、魔王という座に着くまで甘い蜜を吸いながら生活をしてきた彼にだけは同情をされたくなんかなかったから。
気のせいだろうか、今彼が最下層の底辺の私たちに対して「軍を呼んできてあげよう」と言ったのは。
 「いないよ、出稼ぎに行ったって」と伝えれば、魔王様は当然のように動揺させた。
当然とも言えるべきことなのだろう、私みたいな十過ぎの女の子が「親は出稼ぎに行きました」なんて言ったら誰だってびっくりするだろうね。
だけど本当のことだから、隠したって仕方のないことじゃないの?
 すると、タイミングを見計らったかのように出稼ぎから帰ってきた親たちは、魔王様を見るなり顔を真っ青にしていた。当然とも言えるべき光景に、どうしてか、治療をされた私たち子どもは、胸をわくわくさせていた。
「貴方方がこの子たちの親御さんでしょうか?」
 ゆっくりと彼らに近づく魔王様は、彼らが顔を真っ青にしてひれ伏そうとしたのに気がついたのか、本日二度目になるであろう「そのままで結構ですよ」とおっしゃった。
珍しいね、と横にいた女の子、天使が言った。たしかに彼女の言うことは的を射ていて。今まで来たほとんどの役人たちは、私たちをゴミ同然か奴隷同様扱いしていたが、この広場にいる魔王様は決して私たちを生きている者として扱ってくれているのだから、私たちだって驚いてしまう。
 「交換条件といたしましょう? セントラルタウンのとあるマンションは数百以上と空き部屋があるのです。駅やコンビニも近く、学校も近隣にあります。もちろん、国公立、私立の小中高大とあるので、お子さんを持つ親御さんからしてみれば、最適の場所かと思われます。公共交通機関も整備されていますし。将来、貴方方のお子様を魔界のため、他者のため、城のために働かせてくださるのであれば、家賃、学費を含む教育費はすべてチャラにしてさしあげましょう。さらに、貴方方が職に就くまで十分な資金と物資を各家庭に支給する……嫌でしょうか?」
 きっと彼は知っていて、こんなことを言ったんだと思う。
 だけど、こんな条件を「はい」と言えるほどの者じゃない。身分でもない。このことをよくわかっているのは、大人たちだ。
「私たち下々が貴方様からわざわざ手をさしのばしてもらえるほどの、ましてやそのような優遇措置を置かれるほどの者ではありません。どうかお引き取りを」
と言って引き下がるのが一般的なんだと思うけど、魔王様は納得しなかったようで。
 だって、今までゴミ山と一緒に生活していたのに、ある日突然魔王様がこんなことを言ったら、誰だって「そんな条件は受け付けられません」と言うのが常識じゃないの? 
くどいようだけど、私たちこのごみ山で暮らす者たちは、魔界でも最下層の底辺に値する身分の者たちばかり。私たちがこのスラムで生活しなければならない理由は、あくまで自分たちはお金がなくてここで生活しているからであって。何も魔王様からの支給を得られ、さらに魔界の首都機能を持つセントラルタウン、別名高級住宅街を持つ憧れの街に住みたいとは、彼が目の前でこんなことを言うまで、夢物語の中の妄想だけだと思っていた。
 魔王様には悪いけど、私たちからしてみれば今までの生活で十分だし、何より、上級クラスの者が住むと言われているセントラルタウンには、なんだか恐怖があって、と深く考えてしまっているのは私だけのようで。横にいた私よりも幼い子たちは、何故か目をキラキラと輝かせている。数年前まであそこにいた自分が、恐ろしい。
どうして、と思うばかりの光景に、私は不意打ちを食らってしまった。
 「君は、チャンスがあるのであれば、それを掴みたいとは思わないか? 今の生活から脱却し、学校にも行ける生活に、憧れはしないか? 憧れを現実のものとして扱いたくはないか?」
 私と同じ目線で話を進めてくださる魔王様の瞳の色は温かくて、私はつい、「掴みたいです」と言ってしまった。周りで頭を下げていた親たちは当たり前かもしれないが顔を真っ青にし、魔王様は私の頭を撫でて、なぜか笑った。このお方でも笑うことはあるのか、なんて呑気な事を考えていると、
 「これでほぼ決定事項だな、子どもがそうしたいと言っているんだ。多少強引ではあるものの、否定を言いたいものはいるかね? 優遇措置を取ろう?」
 この魔王様の発言に、周りにいた親たちは、流石に「嫌です」とは言えなかったのだろう。おとなしく、「魔王様のご英断、ありがとうございます。我々下々は精を尽くします」と言って、さらに深く頭を下げた。横にいた小さな子たちも純粋な目で、「学校に行けるの?」と言っていて、状況がなんとなく分かったらしい。












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