prologue 1



 正直、もうここまでだろうと思った。
こうして、魔界からの追手を逃れ続けることを、一体何日と続けただろうか? 
一週間や二週間なんて甘い単位ではなかったような気がする。
一月? 
もしかすると半年以上なのかもしれない。
 「すず、大丈夫?」
 こうなってしまった最大の理由は僕自身にある。
 彼女はどこにでもいるごく普通の女子高校生だったのだ。身長は平均よりもうんと小さくて、見ただけでは小学生と間違われることもしばしばだと本人談。色素が薄いと思わせる、透明感のある真っ白な肌に、ほんのりとちゃいろかかった髪は、肩までのびていて。ぱっちりとした瞳にぷっくりとした唇とふっくらとした胸。
突然、彼女が僕のことを呼ぶ。
 「うん、なに?」
 「…………もう、良いよ」
 彼女はぽつり、と諦めるように言った。
突然すぎる言葉に僕は最初こそぽかんとしてしまったが、秒針が動くごとに、彼女の言葉の意味が分かった。
彼女の『もう良いよ』が意味するモノに。
 僕はれっきとした悪魔だ。魔界で育ち、ほんの少しの気分転換と興味だけで人間の住む世界、下界に行き、そして彼女、源鈴(みなもとすず)と出会った。
僕が下界に行ったのは本当にくだらない理由だった。
魔王後継者、これが僕に与えられた目には見えない使命だった。魔界ではとある一族の長男が魔王の座に座ることを許されている。
僕はたまたま、魔王後継者として相応しい条件を持つ悪魔だった。
 正直な話、うんざりしていたし、もうかまわないでくれ、僕は僕で好きなことをして暮らしていきたい。こんな気持ちがどこかで爆発してしまいそうで、だけど爆発をさせてはいけなかった。
僕は下界で言う『ひとりっこ』だから、他にやる者がいない。
代々魔王様になられる方は純血を好むものが多いらしく。これは悪魔や天使問わずで。
 だから僕以外の者が魔王様になるということは、つまりは僕の一族以外の者を、僕のお父さんが任命しなければならない。僕が魔王の座に居座ればいいのに、僕はくだらない理由、ただめんどくさいの一言だけで魔王様になんかなりたくなかった。
だけど我が儘は言っていられないから、ほんの少しの散歩と気分転換で下界に行き、鈴と一緒に恋に落ちた。
 禁断の恋。
ときめき小説で見る側としてはとても楽しいだろう。全員から否定されつつも、相手と一緒にいたいと主張し続けるのだから、相当な体力と精神力を必要とするだろう。
今、僕はまさにこの状態で。
魔王後継者としての僕と、ごく普通の女子高校生の鈴は、手を取り合って、魔界からやってきた追手と鬼ごっこ状態。
あともう少しなのだ、満月の夜になれば、魔力封印の印が切れ、あいつらと互角に戦うことができる。
あと一晩、せめてあと一晩と思っていた時に、彼女のもう良いよ。
こんなこと、考えなくても分かる。鈴の言うもう良いよ、は『もう別れよう』に近い言葉を意味する。
 「もう、良いよ……りっちゃん、わたしたち、出会わなければ良かったね」
 ぽつり、ぽつりと紡ぎ出た言葉に、僕は思考が停止した。彼女は、鈴は間違いなく、出会わなければ良かったと口にしたのだ。
 「すず? あと一晩だから、そうすれば、アイツ等を蹴散らすことができるよ? だから、もう少しだけ頑張ろう?」
 数カ月と逃亡生活を繰り返していたら、満月の夜は何度だってやってきたはずだった。
だけど、きっと僕が鈴と一緒になるのがいやで、僕が魔王の座についてほしいと願う連中の仕業なのだろう。何千年と続く魔界の中で、一族以外の者が魔王になるのは、今まで一度たりともありえなかったらしいから、その常識を覆す僕を、彼らはひどく嫌うのだろう。
満月の晩に限って大雨が降っていて、月の光を厚い雲が覆っていたのだ。追手の仕業だと簡単に考えられるけど、彼女は彼らのしたことが嫌でどうしようもなくて、もう、耐えることができないのだろう。
当たり前かもしれないが、僕のことは、僕自身がよくわかっているつもりだ。次の満月が来たら、きっと僕は魔力が回復するだろうし、何よりも彼女と手をつないでどこまでも逃げられるはず。
 「もう良いよ、だってこんなのつらいよ」
 嗚咽をこぼしながら泣き出した鈴。こうなってしまっては、最早頭の悪い僕の浅はかな考えでは、彼女の涙を掬うこともできない。
魔界で決められた大きな常識でもあり、ルールにすら反発を抱いてしまう僕が、たった一人の少女を救うことなんて、出来なかった。こういった時、何か気のきかした言葉を言えたら、どれだけ楽なんだろうか?
 ふと、背後で感じた魔力に、僕ははっと息をのんだ。
この強力な魔力は、かなりの年月をかけ、特別な軍学校に通わなければ体内の奥底から引き出すことは困難とする、非常に大きなもの。
僕はただ単純に大好きな人を守りたかった。
たとえ魔界で『魔王様の一族で、面目つぶしのできそこない』と言われようとも、どれだけ罵られようとも、勉強も運動も料理も何もできない僕だけど。たった一人の彼女を護りたいと思った。考えるよりも行動が早く、僕は近くの大木に彼女を突き飛ばし、僕という存在が消失した。

 「おい、どうすんだよ、これ」
 一人の大柄な男が言った。
 「魔王後継者のリツ様を多少強引にでも魔界に引き戻して来い、ただし嫌がる場合のみ骨の数本を折ることや気絶をさせること、また全治一月から四月の入院程度の怪我を負わせるまでであれば許すって魔王様が仰ってたけど」
 「殺しちゃったもんな」
 「入院レベルじゃないよね」
 「どんなことを言っても次期魔王なんだから、簡単に避けられるとは思ってたんだけどなあ」
 首を唸る彼らは、ふと先程まで息をしていたリツと呼ばれた悪魔を見て、すぐそばで涙をこぼしながら悲しみに浸っている。どこからどう見ても、ほんの少しの魔力の力もない、ごく普通の人間で女の子がいることに気がつく。
すると、青い軍服を着てほっそりとした男は、頭の中でたった一つの案を思いついたのだ。
自分たちは決して魔王様から怒られることのない提案を。彼はすっと静かに彼女の頬に大きな杖を添える。
 「に、ニシ?」
 驚きを隠せない仲間を無視し、先程まで悲しみに浸っていた鈴の瞳の色はいつの間にか恐怖へと変わっていた。
がたがたと小刻みに震える身体が、殺されるかもしれない気持ちを表へと上手く出している。軍服を着てほっそりとした体つきの男からしてみれば、鈴のようなわかりやすい反応をしてくれる人間は、良い獲物でしかなかった。男は小さく口を開きぼそぼそと何かを言った。予想もしなかった言葉に、数秒ほど石のように固まった鈴だが、男が言葉を言い終えると、鈴の瞳の色は狂気へと変化し、深い森には数人分の血と亡骸が横たわっていた。
 「………そうよ、私が殺したのよ、りっちゃんも、魔界から追ってきた連中も………………自分の身を守るためだもの、当たり前でしょう?」
 背後で烏が悲しそうに鳴く中、鈴は自分の喉に盗んだサバイバルナイフを突き刺し、森林にはもう一人分の血と亡骸が悲しそうに居座っていた。














[ 1/13 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]







人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -