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 多少不便な扱いにはなるだろうな、とは予想ができていた。
 『五階の理科室って、どこ?』
 この学校には校舎が二つほどある。古い、日本の昭和と呼ばれる時代を感じさせる木造校舎と、鉄筋で、きれいな校舎。きっと祖国でもこんなにきれいな校舎で勉強ができるのは、党の幹部の連中らボンボンの坊ちゃんだけだろう。なんでこんなにもアンバランスな建物が二つ存在するのだろうかとも思うけど、芸術高校だから感性を磨くんじゃないのかな、などといった余計なことまで考えてしまう。窓辺から見える田園風景は、故郷では決してみられるものではない。いや、見ようと思えば見ることができるのかもしれないけど、ただ移動が大変なだけであって、素敵な景色を見たいという感情よりも、移動がめんどくさいという怠慢な心が勝ってしまうのかもしれない。道路は絶対に込むし、時季とか考えないと列車にも乗れないし。
太陽は真上に上っていて、じりじりと肌に刺激する暑さが本当に六月なんだな、と感じさせる。
母国では滅多に見られなくなってしまったきれいな青空。故郷では「外に出てもいいけど、病気にかかるから絶対にマスクが必要」だと義父が口うるさく言っていたのを思い出す。
 『あそこは異常だ、お前もアメリカに来たらよかったのに。語学力なら何とかなるだろ? 頭もいいんだから』
 出来ないことはなかったけど、だけどやっぱり日本に来たのにはちゃんとした、といえるかどうかはわからないけど理由があったから、日本への留学を決意した。工学や宇宙技術や経済を学ぶのにアメリカに留学はいいかもしれないけど、自分の目的だと、やっぱり聖地の日本なのだ。
 『・・・・・五階の理科室って、どこなんだろうか?』
 先生は確かに五階の理科室とは言っていた。まさか古びた校舎ではないと思うけど。
第一にあそこはどう見ても三階建てにしか見えない。だから新しい校舎にいるわけなんだけど、五階をうろうろすること数分は経過。いまだに目的の理科室が見当たらない。このまま見つからなかったら、どうするんだろうか? 日本でせっかく学びを求めてきたのに、まさか机と椅子を見つけることができなかったから、退学? 日本ってそんなに厳しい国だったっけ? 
 周りを見れば、図書室や視聴覚室と書かれたプレートが掲げられていて、全然違う。こうなったら片っ端から鍵穴にはめ込んで、部屋から机を持っていこうか、なんて野暮な考えはしなかった。
わからないならば聞いてしまえ。これは義父の教えだ。知らないのは一生の恥だけど、聞くときはほんの一瞬の恥だ、と。意を決して、階段を下りる。心の中で「わからないほうがおかしい」と言われたら、どうしようか、と怯えながらも、一応周囲を見渡す。もしかしたら先生は五階だといったけど、本当は五階ではないのかもしれないし。
 「ねえ、どうしたの?」
 突然だった。あたりまえだけど、綺麗な日本語で話しかけられてしまった。真っ黒な髪は結われることがなくて、風で一本一本が丁寧にさらさらと流れている。真っ黒な瞳と真っ白な肌。がりがりではないけれど、程よくついた肉と、スカートからのびる足。今まで散々使ってきたと思われる上靴には「芸術科 雨風」と書かれていた。
 「えっと・・・・五階の理科室がどこにあるかわからなくて」
 日本語がおかしくはないだろうか? きっとここの学校の人なのだろうし、出身も日本国なのだろう。発音や言葉間違いは大丈夫だろうか、などと思っていた。彼女は小さく、あっと言っては、
 「こっちだよ、五階に理科室なんてないし、たぶんそれは旧理科室で、今の視聴覚室だと思う。あそこに使われてないから、机とか椅子とか山積みだし。編入生でしょ?」
 くるりと振り返りながら言った彼女は、とても美しくて、思わず顔が紅潮してしまった。
 「・・・えっ?」
 うまく言葉が出ない僕に、彼女は目を丸め、首をかしげながらやさしく言った。
 「・・・・・案内ぐらいならするよ? 迷ってるんじゃないの?」
 数歩近寄って行った彼女。遠くで見ても、近くで見ても、まるで天女のような美しさに、言葉が出なかった。じっと見つめる彼女の瞳はいたって真剣で、いつもよりも心臓が壊れてしまいそうなほどうるさかった。
 やがて、すっと伸ばした手は、僕の頬を通り過ぎては髪へと触れた。
 「綺麗な黒髪だね」
 優しく言った彼女は笑いながら「こっちだよ、案内してあげる」と、僕の手を引っ張った。この緊張が、感情が、初めての恋だと気が付いたのは、数秒後のことだった。

 きしきしと音を立てる廊下を歩く。
 「ここは旧校舎って言って、えっと、英語だとなんて言うんだろう?」
 ひらひらとなびく黒髪が、彼女が歩くたびに揺れる。膝上十センチぐらいのスカート。萌え袖、とでも言うべきブレザーとスクールバックをぐるぐると回しながら言う彼女。
 「日本語で大丈夫だよ?」
 たぶん顔が真っ赤なんだろうけど、気にしていたら駄目なような気がして。すると、彼女は笑いながら言った。
 「中国からの留学生なんでしょう? 日本語がわからないなら英語でも良いよ? こう見えて、私英語得意だから」
 リズムよく階段を上っていく彼女。スカートからのびる白い足と、見えそうで見えない下着。下心なんてこれっぽっちもないけど、別の意味でどきどきしてしまいそうになる。くるりとまわっては、スクールバッグをもう一度大きく回して「ここの角の部屋だよ」と指をさして言う。みしみしと音を立てながら言う階段に、落ちないのだろうかとの不安なんてなかったけど、踊り場につけられた窓から覗く太陽の光によって可視化された埃が舞う光景は、感性を刺激される。呆然と立ち止まってしまう。
 頭の中には女の子がここでくるくると舞を踊っている姿が、どうしても消えない。ここで赤い衣に民族舞踊だと似合うな、なんて思っていた。
 「どうしたの?」
 リズムよく階段を降りてくる彼女に、はっとした。こんなことを考えている場合ではない、と。
 「いや・・・・・なんでもない」
 首を傾げる彼女の一つ一つの仕草が可愛くて、これほどまでに心臓が高鳴るのは初めてで。思わず持っていたスクールバッグに余計な力を加えてしまう。くすりと笑った彼女は、踊り場でくるりとまわった。
 「ここ、いろいろと考えちゃうでしょ? 煩悩万歳だよね」
 両手を広げ、賛同を促す彼女。すると、僕の頭の中で思い描いていた踊り子と、彼女の姿が一致した。小さな埃のカスが可視化され、古びた校舎の踊り場で、紅色の衣をまといながらも踊る美しい黒髪の女性。手には扇を持ち、まるで踊ることが自分の生きがいと言わんばかりの表情をした少女が、僕の頭の中のキャンバスに描かれた。可視化された埃は、大方桜の花びらでもいいと思う。服は、できれば和服がいい。ハカマ、が日本の民族衣装の中にあったはず。
 「ぼ、ん・・・・のう?」
 「あれ? 違ったっけ?」
 目を大きく見開いて言う。煩悩という言葉の意味が分からない。呆然とする僕に、彼女ははっきりといった。
 「ここで何を考え付いたか、言ってみようか?」
 にやりと頬を上げていった彼女に、顔が真っ赤になったのを覚えている。
 「無理だって! 初対面なのに、なんでそんなことをっ!」
 「いやらしいこと?」
 「違うよっ!」
 くすくすと笑う彼女はほんの少しだけ頬が赤かった。この子、常習犯なのだろう。人をからかうのが得意と見た。












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