一.






  

1284年、
聖ヨハネとパウロの記念日
6月の26日
色とりどりの衣装で
着飾った笛吹き男に
130人のハーメルン生まれの
子供らが誘い出され
コッペンの近くの
処刑の場所でいなくなった









 遠くで、子ども達の歌が聞こえる。

「もういいかーい」

 歌声が止んで、まあだだよ、という声がしたので浩太はもう一度目隠しをする。いち、に、さん……、と再び数を数え終えてから、浩太は問い掛ける。

「もういいかーい」

――……

 返事が途絶えた。あれ、と思いもう一度投げかけてみる。今度は更に大きな声で。

「もういいかあぁーい」

 やはり結果は同じだった。遠くに行くあまり、声が届かなくなったんじゃないか? 浩太は目隠しをそっと解放してみる。霧が一層深くなっていて、視界が悪い――近場に隠れていても探し出すのには混乱しそうなのに、その上遠くへ行ってしまうなんてみんな意地が悪いじゃないか。

 浩太がゆっくりと辺りを見渡す。これはもう探してもいいという事に違いない、浩太は目深に被った帽子を被り直し、足場の悪い道を歩き始めた。

 霧の向こうに、走り去る影が見えた。揺れる二つのお下げ頭はきっと繭ちゃんに違いない。

「繭ちゃん、見っ……」

 霧の中へ飛び込んだがそこには誰も、いなかった。

「あれ?」

 浩太は首を傾げる。おかしいな、と思いながら浩太は向きを変えた。
「おかしいな」

 浩太は、霧が更に深くなるのを感じた。歩けば歩くほど、濃霧の中へと誘われて行くようだった。
「みんなー?」

――クスクスクスクス、とどこかで笑い声がしたような気がした。振り返ったが、勿論誰もいない。浩太はため息をつきながら更に悪くなっていく視界の中を彷徨った。

「浩太くん」

 ふと、名前を呼ばれた。幻聴で無い証拠に、今度はしっかりと人が立っていた。だがしかし、浩太はその人物を知らない。

 男はにこやかな笑顔でこちらを見て手を振っている。

「……?」
「浩太くん。こんなところで遊ぶのは危ないよ。みんな家に帰ったんだ。――君も帰ろう、ね」

――帰った……?

 浩太は男の手を見た。男の手には、斧が握られていた。浩太は思わず唾を一つ飲みこむ。浩太は視線を斧から男へと移す。背広姿の男は目が合うと人懐こそうな笑顔を浮かべるのだった。

「どうしたんだい? 浩太くん……こんな山の中、危ないよ。ねっ。お兄さんの車がそこにあるから一緒に――」

 伸ばした手から逃れるように浩太が身じろぎをする。あ、と何か思い出した様な顔をして男が手の中の斧を見つめた。

「ああ、これかい? これはね、悪いネズミを退治してたんだよ。この辺りにはネズミが沢山出て来るんだ。……ネズミは病気を運ぶから見つけたら退治しないと」
「……」
「そうか。これが怖いんだね。分かった、捨てる。これは捨てるよ……ほら。無くなったよ、これでもう怖くないだろう?」

 そう言って男は両手をかざしながら自分が害の無い存在である事をアピールしているようだった。

「――みんなは?」
「分からない。この霧の中でこの足場じゃ……」

 そんな、と浩太が打ちひしがれた様な声を上げた。

「だからお兄さんと行こう。早く山を降りて、みんなに知らせなきゃ」

 そう言って男は浩太に向かってもう何も握られてはいないその手を差し伸べて来る。差し出された手を怪しむように睨みながらも、ここにいるのも危険な気がして浩太は恐る恐る、その手を掴み返す。

「そう。いい子だ」

 男が満足げにそう言って頷いた。




小説のとこ戻る
次→