二.




 相変わらず霧は晴れない、さっきまではあんなにやかましく聞こえていた筈の子ども達の声も今は少しも聞こえない。まるっきり無音の世界だった。男と、浩太が歩く足音だけが響き渡るだけだ。

「――寒いな」

 男は独り言のつもりなのかそれだけ言うと、やがて霧がかった雑木林を抜けた。幾分か霧は和らいだようだがそれでもやはり周囲の視界は悪い。

「……ほら、乗って」
「……」

 男の言った通り、白いセダンが山道の中にぽつんと停められていて、男はその助手席の扉を開けた。やがて車がその場から発進する。

「浩太くんたちはあんなところでかくれんぼをやっていたの?」
「――うん」
「危ないね。誰が言い出したんだい、そんな危ない事」
「わかんない……」

 曖昧に答えて浩太は窓から見える景色を見た。

「何か面白い話でもしようか」
「……」
「浩太くんは確か、ふもとのK小学校に通ってるんだよね。知ってるかい? あそこの理科教師はロボットだっていう噂だ」

 そんな話、聞いた事は無い。そもそも、何故この男は自分の通っている学校を知っているんだろう? 疑問には思ったが浩太は黙ったままでいた。

「うん。それでね、そのロボット教師はね……油をさすために秘密の部屋を持ってるんだよ」

 さして興味は無い話題なのだが男は勝手に話を進め始めた。

「その部屋にはね、自分の体の部品やメンテナンスの道具、集めたデータなんかでいっぱいなのさ。だから教師にとって、見つかってはいけない部屋なんだ。だからね」

 そこで一旦置いてから男が低く笑った。

「その部屋に勝手に入ると……背後にそのロボットが立っていて……首を掴まれて、こう」

 この人は何て話すのが下手くそなんだろう、と浩太は中ながらに思った。だが、口には出さなかった。そこから先の話は大体予想がついた。

ドンッ! だ」

 擬音だけ大きな声で叫びながら男が一人で愉快そうに笑う。

「部屋に行った生徒は誰も帰って来ないのさ」
「……」
「あれ? つまらない? おかしいなー、この話するとみんな食いついてくるんだけど」
 
 子どもが皆怖い話になびくと思ったら大間違いだ、と言ってやりたくなったが浩太は何も言わずに俯いた。

「……ちっ、雨か。益々視界が悪くなる。ついてねえーなー」

 ぶつくさと忌々しそうな独り言をこぼしながら男が胸ポケットから煙草を取り出して咥える。

「畜生。おととい、洗車したばっかだって言うのに。ちきしょう……ついてねえ……また汚しちまう」

 舌打ち交じりにそう呟くと男は苛立った調子で煙草に火を点ける。

「面倒くせえなぁ。また洗車行かなきゃ。また……」
「――あの」
「ああっ!?」

 怒鳴り口調で返されてしまった。

「ああ、ごめんね」

 だがすぐに男の顔が和らいだ。

「ちょっと苛々しちゃって。で、何?」
「いつになったらふもとに着くの? 道、反対だと……思う」

 小さな声でそう指摘すると、男の口元がひくんと痙攣した。

「何言ってるんだよ浩太くん。お兄さんよりも浩太くんのほうが道に詳しいとでも言いたいのかな? ん?」
「……」
「そうそう。大人しくしてて。子どもは大人しい方が可愛がってもらえるよ」

 ワイパーがゆっくりと動く。男が再び正面を向いた。

「あ〜……苛々するな。ねえ、浩太くん。ネズミってねえ、病気を運ぶんだよ。知ってるかな。ペスト。あれってねえ、怖ぁあい病気なんだよぉ……皮膚が真っ黒になってねえ……高熱が出て」

 男が遠くを見る様な眼差しのままブツブツと語り始めた。

「だから殺すんだ。一匹残らず」

 それまでもやがかかったようなはっきりしない喋りをしていた男だったがそこだけやけにはっきりと、流暢に聞こえたので浩太も息を一つ呑んだ。その横顔をちらっと見ると、男はハンドルに手を乗せて遠くを見たままで笑っていた。

 口元に、歪んだ笑みが浮かんでいる。

「あいつら、小さくて、非力だけど……追いつめられると中々しぶとくてね。斧で叩き潰すんだけど、これが中々。特に集団になったりしたら手がつけられない。だから一匹一匹、着実に、隅に追いやってから、頭を潰すんだ」

 雷鳴が一つ轟いた。男がヒヒヒッ、と低い笑い声を洩らす。男は妄想の世界にでものめり込んでいるのか笑いが止まらなくなってしまったようだ。愉快で仕方が無さそうにしている。






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