拝啓、ミョウジ先輩


返事はいらないと書いてありましたが、僕が書きたいので手紙を出すことにします。
だって自分だけ本音を言って逃げるなんて、そんなの勝手すぎると思いませんか?

ミョウジ先輩、あなたがそんな風に思っていてくれたことを、僕はとても嬉しく感じているんですよ。
あの時ちゃんと気持ちを伝えてくれていたなら、一緒に聖ルドルフへ行こう、とお誘いしていました。

僕にも、あなたに言えなかった言葉があるんです。

手紙だとなんだか、電話やメールよりも素直になれる気がします。正直な気持ちを書きますから、しっかり読んでくださいね。









「明日だね」
「ええ、なんだかあっと言う間だった気がします」
「うん。一緒にここで自主練するのも、最後なんだね」
「…そうですね」

厳しい暑さを迎えた7月中旬、今日が一緒に練習できる最後の日だった。僕は明日、東京へ発つ。


7月の上旬に行われた東北大会は個人戦5位入賞、ミョウジ先輩は団体戦4位・個人戦ベスト8という結果に終わった。
お互い全国大会に駒を進めることは敵わず、その代わりに練習に精を出している。学校も夏休みに入り、練習時間もぐんと増えた。

そして僕はその合間を縫って東京の聖ルドルフ学院へ出向き、強化選手として呼び寄せる選手の選定会議にも加わっていた。コーチや監督に分析力を買われ、是非出席してほしいと乞われた為だ。選手のスカウトにも同行する予定だから、これからは忙しくなるだろう。
しかしその忙しさは充実感に変わり、とても有意義な日々を過ごせていると思う。認められたということは、僕のテニスに対する姿勢が肯定されたということでもあり、

それが堪らなく、嬉しかった。


「ミョウジ先輩、僕がいなくなってもちゃんと自主練してくださいね」
「わ、わかってるよ!来年は高校だし、今のうちに実力つけてまたレギュラー獲るんだから」
「んふっ、その前に受験の心配があるのでは?」
「…………」
「ちょ、ちょっと、ミョウジ先輩?僕の方が心配になるから黙らないでくださいよ!」

からかい半分で受験の話を切り出したところ、先輩は俯いて口を噤んでしまった。
この人が無言になるなんて…まさかそこまで危ないのか!?、そう思って慌ててフォローの言葉を考えていると、彼女は地面に向けていた顔を上げて笑顔を見せた。

「なんてね!びっくりした?もしかして高校浪人か!?とか思った?」
「…やめてくださいよ、心臓に悪い」
「あはは、大丈夫だよ!実はね、スポーツ推薦もらえそうなんだ」

まだ確定じゃないから誰にも内緒なんだけどね、そう言った彼女はとても嬉しそうな顔をしている。

「尊敬してる先輩が進学したとこでね、テニス強いんだよ!」
「へえ、よかったじゃないですか。成績が落ちて推薦取り消し、なんてことにならなければいいのですが」
「ちょっとー、縁起でもないこと言わないでよ」
「んふっ、忠告してあげてるんですよ?感謝して欲しいくらいだ」

剥れた顔で言う先輩に、余裕ぶった表情でそう言い返す。だけど内心は、ちっとも余裕なんてなかった。1週間前に聖ルドルフに出向いた際、監督から言われた台詞が頭の中を駆け巡る。


"観月君の学校は女子部が強いらしいけど、誰か見込みのある選手はいないのかい?"


聖ルドルフ側の調査では目ぼしい選手がいなかったが、近くにいる君から見てどうだ?、ということらしい。そして僕の推薦ならば、それを受け入れてスカウトしてもいい、という話のようだった。

その話をもらって一番に頭に浮かぶのは、勿論ずっと一緒に練習してきたミョウジ先輩に決まってる。

だけど、先輩の気持ちはどうなんだろう。東京行きを打ち明けた時、ここで頑張ると彼女は言った。
それに普段はヘラヘラしているけれど、テニスのことになると人一倍真剣でプライドの高いこの人のことだ。僕が推薦したからスカウトがきたと知った時、どういう反応をするだろうか。きっとこう言うに違いない。


実力で選ばれなければ意味がない、はじめくんのおこぼれなんて嫌だ、と。


それを考えたら言い出せなくて、結局今日までずるずると悩んでしまったわけだ。けれど僕の知らないところで、先輩は次のステージをしっかりと見据えていた。それならばもう、言うべきじゃない。嬉しそうにはしゃいで、進学する予定の高校について話す姿を見てしまったから、尚更だ。
僕と一緒に東京へ行きましょう、これからも一緒に練習しましょう、なんて…そんなこと言えるはずがなかった。


聖ルドルフからの誘いは願ってもない話だ。実力を認めてもらえたし、待遇も設備も申し分ない。これから集める予定のメンバーだって、僕が欲しいと思った選手ばかりだ。今はまで不可能だった、より高度なレベルのチーム戦ができる。それを考えると胸が躍った。

それでもミョウジ先輩と離れることを思うと、心の奥がすぅっと冷えるような、そんな気持ちになってしまう。この感情は一体何なのだろうか。

「はじめくん、黙っちゃってどうしたの?」
「…いえ、別に。あなたの能天気な顔もしばらくは見られないんだな、と思いまして」
「そうだよ、なかなか会えなくなるんだからしっかり見ておいてよね!」

そう言った先輩は、やっぱり能天気な笑顔を浮かべている。この顔も見納めだと思うと、心はより一層冷たくなっていった。


「では心配事も解消されましたし、今日の練習は終わりにしましょうか」
「そうだね、はじめくんも色々と準備があるでしょ?」
「いえ、もう荷物は送ってありますから…明日の荷物はラケットバッグひとつだけです」

そんな会話をしながら、いつものように僕が自転車を漕ぎ、先輩は後ろの荷台に乗って帰り道を走る。普段なら翌日の練習について相談する時間だったが、もうその必要はなくなってしまった。明日からは離れた場所で、別々に練習をするのだから。

「…テニスのこと以外だと、いつもどんな話してたっけ?」
「そうですね…他愛もない話ばかりでしたよ、多分」
「そっか。うん、そうだったよね」

今日が最後なのに、話すことなんていくらでもある気がするのに、それを意識しすぎて上手く会話が続かない。タイヤが地面を滑る音が、妙に大きく聞こえる気がする。何だか気まずい雰囲気の中でお互いに話題を探していると、途中で浴衣を着た子供達とすれ違った。

「そ、そういえばさ!去年の花火大会、一緒に行ったよね」
「…ああ、行きましたね。自主練の後にジャージのままで」
「そうそう、ラケットバッグも背負ったままで」

色とりどりの浴衣の子供達を見た先輩が、さっきまでとは違う明るい声で話を振ってきた。

そうだ、去年の花火大会も今頃の時期だった。

自主練を終えた帰り道、さっきみたいに浴衣を着た子供達をすれ違って、先輩の言うがままに花火大会の会場へ自転車を漕いだ。もちろんそんな場所に学校ジャージで、しかもテニスのラケットを持ってくる人なんて僕ら以外にいる筈もなく…妙に目立ってしまったのだ。
先輩に至ってはチームメイトに、花火大会にまでラケット持参してどうするの、とからかわれたらしい。

そういえば、来年も一緒に来ようって約束していたな。…誘ったら去年と同じように、ジャージのままで花火大会に行けるだろうか。

「あの、先輩。もしよかったら…」
「花火大会には行かないよ」

これから花火を見に行きませんか、そう続けようとした言葉は先輩によって遮られた。てっきり笑顔で、行く!と返事をしてくれると思っていたから、その冷たい言い方は予想外だった。

「そう、ですか」
「…だって楽しい思い出なんて作ったらさ、余計に寂しくなっちゃうでしょ?」

だから行かない、そう言った先輩は、少しだけ鼻にかかった声をしていた。それから僕たちはお互いに言葉を発することもなく、無言で最後の帰り道を過ごすことになった。



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「…着きましたよ」
「…うん、着いちゃった、ね」

そうして会話のない時間を過ごし、気付いたら先輩の家に到着していた。いつの間にか家まで送り届けるのが日課になっていたが、改めて今日が最後なのだと実感してしまう。
荷台から降りて向い合せに立っている先輩も、いつになく神妙な面持ちをしていた。お互いにぽつりと呟くと、またもや気まずい無言の時間が流れ始める。

何も今生の別れというわけではない。山形から東京までは約3時間、行こうと思えば日帰りもできる距離だ。しかしそれは、僕達がもっと大人だったらの話であって…中学生にとって、その3時間という距離はどうしようもなく遠い。

顔を見たい時、声が聞きたい時、テニスがしたい時…そんな時にこの人が手の届く場所にいないというのは、やはり寂しく感じられた。

「あの、さ」
「はい」
「明日、見送りに行くね。何時の電車?」
「いえ、それには及びません。出発は朝10時の予定ですから」

この時間の電車を選んだのは、故意にだった。

聖ルドルフ側には到着はいつでもいいと言われていたけれど、見送りになんて来られたら、最後にうっかり情けない表情を見せてしまうかもしれない。そうしたらこの人はきっと、はじめくんは子供だなあ、と言ってからかうんだ。最後までそんな扱いは御免だから、事前に女子部の練習予定を調べて、わざと来られない時間に出発することにした。
僕に負けず劣らずのテニス馬鹿な先輩のことだ、きっと練習をサボってまで来ることはしないだろう。

「そっか…明日は午前練習だから、残念だけど駅には行けないや」
「そうでしたか。では、これでお別れですね」

出発の時間を告げると、ミョウジ先輩は眉を寄せて残念そうな表情を見せた。予想通り、練習を休んでまで見送りに来るとは言わなかった。
それでいいんだ。僕のことなんていいから、テニスのことだけ見つめて、次に会う時にはもっと強くなっていてくれなきゃ困る。

「先輩、お元気で」
「うん、はじめくんも元気でね。今度はチームメイトと上手くやってね。あと、ご飯ちゃんと食べて、もっと大きくなって…」
「まるで母親みたいなことを言いますね、あなたは」
「…それで、いつかまた一緒に練習する時には、もっと強くなっててね」

いざ別れの段階になって、母が子へ言うような台詞を言う先輩に苦笑してしまう。と、その後に出てきた言葉は僕が思っていたのと同じことだったから、ハッとして息を呑んだ。

「私、はじめくんには負けないから」
「…ええ、僕だってあなたに負けるつもりはこれっぽっちもありませんよ」
「言ったね?次に会う時にはびっくりさせてあげるから、覚悟しててね!」

やっといつもの調子を取り戻して笑う先輩に、僕もつられて笑顔になった。

そうだ、遠く離れていたって僕達の間にはテニスがある。テニスを続けている限りは、繋がりを保っていられる。それに気付いた僕は、背負っていたラケットバッグから1冊のノートを取り出した。

「これをどうぞ、僕からの餞別です」
「えっ、ありがとう。もしかして…何かのデータ?」
「ええ、先輩のデータが細かく書いてあります。それから、苦手克服のための練習法なんかも」
「もらっちゃっていいの?」
「勿論ですよ。あなたの為のものですから」
「…ありがとう。練習、頑張るね」

先輩は渡したノートを大事そうに抱え、強い意志を宿した瞳でこちらを見つめている。初めて会った頃に感じた"もっと強くなりたい"、というあの意志は今も健在のようだ。瞳がそれを物語っている。

「僕も頑張ります。だからあなたも、ずっとテニスをしていてください」

まるで試合の後のように手を差し出して握手を求めると、先輩もすぐに気付いて応じてくれた。手のひらから伝わる温度のせいだろうか、不思議と穏やかな気持ちに包まれてゆく。

どれくらいの時間、お互いの手を握ったままでいただろうか。玄関の電気が点いたかと思うと、ドアの向こうから、ナマエーご飯だから早く上がってきなさーい!、という声が聞こえてきた。

「あっ、お母さんだ!」
「んふっ、元気のいい声ですね。先輩そっくりだ」

まだ手は握ったままで、2人してクスクスと笑みを溢す。さあ、今度こそ別れの時だ。

「それでは先輩、またいつか」
「うん、またね!」

軽く手を振って、まるで明日も会う約束をしているかのような、そんな気安さで別れを告げた。背中を向けて歩き出すと、一歩踏み出すごとに先輩から離れていくんだと感じてしまう。

触れている間はあんなにも温かな気持ちだったのに、今はもう、寂しくて冷たい気持ちが胸の中を覆ってしまった。どうしてあの人が相手だと、こんなにも心を乱されるのか。

その理由が今、やっとわかった。

後ろを振り返ると、先輩はまだ手を振っていた。その姿に、ミョウジ先輩!、とらしくもない大声を張り上げて呼びかける。

「なーにー!?」
「先輩、僕は、あなたのことが…」


あなたのことが、好きだったみたいです。


想い人には絶対に届かないであろう小さな声で、そう呟いた。


「えっ、何ー!?聞こえないよはじめくーん!!」

先輩の声は届いていたが、返事はしないでまた背中を向けた。
すると今度は、ナマエ!いい加減にしなさい近所迷惑でしょう!!、という別の声が聞こえてきた。家の中にまで声が聞こえて、母親に怒られてしまったのだろう。唇を尖らせて言い訳する姿が目に浮かぶようだ。



好きだと、言えばよかったのだろうか。

だけど気持ちを伝えてしまったら、そして万が一にも通じ合ってしまったら、会いたい気持ちが募って余計に心が寒くなるだろう。もし残念な結果に終わったとしても、やはり忘れられずに寂しくなるだろう。だから言わなかった。
どうして傍にいられた間に気付かなかったのだろうか。一緒にいるのが当たり前で、距離が近すぎてわからなかったんだ。どれだけ大切で、かけがえのない人なのか。


好きだ、という言葉はまたいつかの時にとっておこう。その時までにもっと強くなって、例え眼中になくても振り向かせてみせる。


そんな密やかな恋を胸に、僕は東京へと旅立った。









しっかり読んで頂けましたか?

もう分かっているとは思いますが…僕が言えなかったこととは、あなたへの恋心です。
別れの日に気付くなんて、皮肉なものですね。一緒に過ごした時間は長かったのに、その中ではわからなかった。

離れたくないのも、情けない顔を見せたくないのも、子供扱いされたくないのも、繋がりを保っていたいのも、その理由は全てあなたが好きだからなんです。

僕は返事はいらない、なんてことは言いません。ちゃんとまた手紙をくださいね。
あなたがこの気持ちににどう応えてくれるのか、楽しみでもあり、不安でもありますが…返事をお待ちしています。


観月はじめより


追伸、やはり返事は手紙ではなくあなたの声を通して聞きたいですね。この手紙を読んだら電話をください。
かけてこなかったら…わかっていますね?それでは、電話を待っています。





((2014.06.06))
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