拝啓、ミョウジ先輩


先日は手紙をありがとうございました。メールは便利ですが、手紙も温かみがあって良いものですね。

あなたと出会った頃のことは、勿論よく覚えていますよ。他にも色々な場面で、ミョウジ先輩のことを思い出すんです。
テニスをしている時、それ以外の日常の些細な時…あなたの色んな表情を思い出しては懐かしく感じています。

例えば…そうだ。学校やスクールからの帰り道では、二人乗りで帰った通学路をよく思い出しますよ。あんなことをするのは、ミョウジ先輩とがきっと最初で最後でしょうね。

あなたは覚えていますか?








ミョウジ先輩と練習をするようになってから、早いものでそろそろ二ヶ月が経つ。

季節は六月の中旬に移り、梅雨前線真っ只中だ。雨の日が多く、部活では室内での筋トレくらいしかやれることがない。そのため活動は早めに切り上げられるので、僕たちはその分の時間をこの高架下のコートで過ごしていた。
ここならば雨は凌げるから、天気なんて関係なくいつでも練習ができる。部活の後は毎日ここへ立ち寄り、苦手なショットの練習をしたりミニゲームをしてみたり、練習内容は様々だ。

男女の違いはあれど、彼女も流石に女子部のレギュラーと言うべきだろうか。中々に手強い。何より"もっと強くなりたい実力を伸ばしたい"…そんな気持ちがひしひしと感じられる。

のんべんだらりと部活に取り組む先輩たちよりも、彼女と練習する時間の方がずっと有意義だ。そう思うようになっていた。

「暗くなってきたね。そろそろ終わりにしようか?」
「そうですね、もう7時近いですし」

そこかしこへ散らばったボールを片付け、各々のバックへ仕舞い込む。

「よし、じゃあ行こうか。はじめくん、早く乗って乗って!」
「そう急かさないでくださいよ」

途中までは帰り道が一緒だから、徒歩通学の僕は、分かれ道まで先輩の自転車の後ろに乗せてもらっている。最初は校則違反だからと断ったものの、その方が早く帰れるから長く練習できるでしょ?という言葉に妙に納得して、それからは二人乗りで帰るようになっていた。

「じゃあ漕ぐよー!」
「はいはい、転ばないでくださいね。県大会も近いんですから」

荷台に跨って先輩の肩に手を置くと、それを合図に自転車が動き出す。僕が漕ぎましょうか?と提案したことはあったものの、自分よりも小さい子に漕がせるわけにはいかないよ、と断られてしまった。"小さい子"というのは年齢のことではなく、そのままの意味で"自分よりも身長が小さい子"ということだろう。その言葉に不機嫌になった僕に、彼女は苦笑いをしていた。

地区大会で優勝した女子部は、もうすぐ県大会が控えている。そんな大事な大会の前に、レギュラーの身で転んで怪我でもされたら大事なのに…この人はちっともわかっちゃいないんだ。
ちなみに我が男子部は、地区大会3回戦敗退という残念な結果で終わった。女子は強豪、男子は弱小、それがテニス部の長年の伝統だそうだ。

「うん、もうすぐだね。よーし燃えてきた!はじめくんの分も頑張るから見ててね!!」
「んふっ、期待していますよ」
「…にしてもさ、はじめくんはレギュラーでもおかしくなかったと思うよ。本当に」
「1年生をいきなりレギュラーにするわけにもいかないんでしょう、きっと」

この頃には自主練の成果なのか、部活中のミニゲームではレギュラーの座にいる3年生にも難なく勝てるようになっていた。地区大会の序盤で消えるような学校のレギュラーに勝ったところで、さして自慢できることではない。それでも自分を馬鹿にしていた相手を正々堂々とテニスで蹴散らせたのは、やはり気分が良い。苦々しい表情の先輩たちを見た時には、胸がすく思いだった。

これを先輩に言ったら、はじめくんは本当にいい性格してるよね、と言われてしまった。けれど彼女だってニヤリと笑うのを抑えきれない様子だったから、性格の悪さはお互い様だと思う。

「はじめくんのさあ、何だっけ、データテニス?ってすごいよね」
「おや、データの重要性をわかって頂けましたか」
「だって試合展開がはじめくんの言った通りになるんだもん、ビックリだよ。ねえ、私にもできるかなあ」
「それは無理でしょうね」

自転車を漕ぎながら、いいことを思いついた!とでも言わんばかりの弾む声で聞いてきた先輩に、ピシャリと答えた。
だって彼女は僕とは正反対で、直感で動く選手だ。無理に頭で考えようものなら、それこそ調子を崩してボロ負けしてしまうだろう。データテニスには一番向かないタイプだ。それはもう、挑戦しようとする気持ちを持つだけでも拍手を送りたくなる程に相性が悪いだろう。

「即答なの!?少しは悩んでよ」
「んふっ、だって無理ですよ。先輩の頭には、膨大なデータを入れる余裕なんてないでしょう?」
「ないね!」
「即答しないで少しは悩んでください」
「だって暗記苦手なんだもん」
「大丈夫ですよ。データが必要な時は、僕が調べて教えてあげますから」
「えっ」

残念そうな彼女を宥めるつもりで言うと、驚きの声と、動揺が運転にも出たのかタイヤから振動が伝わってきた。

「どうしました?」
「いや、最近のはじめくんは随分優しいんだな、と思って」
「別に…教えろとしつこくされたら敵いませんしね。それだけのことです」
「そうだね、私が本気になったらしつこいからね!教えるって言うまで付きまとうよ」
「そんなことしたらストーカーとして通報しますよ」
「あはは、はじめくんてばこわーい」


最初は、ただひたすら鬱陶しい人だと思っていた。

一緒に練習するだけなのに仲間だなんて大げさだし、随分とおめでたい思考回路を持った人だと。それだけだった。
一人ではできないラリーやゲーム形式の練習もできるし、何より部活で感じるような息苦しさもなくテニスができる。そういった利益があるからこそ、一緒に練習しようと持ちかけた。ただそれだけ…の、はずだった。

だけど誰かと一緒に練習するのは思いのほか楽しくて、仲間がいた方が強くなれる、そう言った彼女の言葉も今なら少しだけ理解できる。

…不本意だけど、この人は同じ高みを目指す"仲間"なんだと思う。

一人は寂しくないと出会った頃に言ったけど、先輩と一緒に練習ができなくなったらきっと寂しい気がするから、僕はこの人を"仲間"だと認めてしまったんだろう。

本当に、不本意だけれど。


「ねえ、はじめくん!明日はどんな練習しよっか」
「そうですねぇ…先輩はヨコの動きはいいんですけど、前後の動きが苦手ですよね」
「うっ…はっきり言うね」
「んふっ。大会も近いことですし、僕が鍛えて差し上げましょうか?」
「…はじめくんてさ、優しくなっても生意気なところは相変わらずなんだね」
「性分なものでね」
「でも苦手なのは確かだしなあ。よし、頑張るから鍛えてください!」
「よろしい。では明日までに練習メニューを組んでおきましょう」

帰り道では毎日、翌日の練習について相談するのが日課となっていた。そしてその相談が終わる頃、ちょうど通学路の分かれ道に差し掛かる。今日もそれは変わらず、練習内容が決まったところで先輩の自転車を漕ぐ足が止まった。このT字路を僕は右へ、先輩は左へと帰っていく。

「では、僕はこれで」
「うん、気を付けてね」
「先輩こそ。転んだり電柱にぶつかったりしないように」
「…はじめくんは私のことバカにしすぎだと思うよ」
「んふっ、気のせいですよ。それではまた明日」

別れ際に交わすやりとりもいつもと変わらない。鼻歌を歌いながら自転車を漕ぎだした先輩を見送ると、僕も自宅を目指して歩き出す。変わらないのはそこまでだった。

道路の端に、昨日まではなかった看板が立てかけてあるのが目に入った所為だ。夜道でも目立つように、黄色い蛍光テープで縁取られたそれには大きな文字でこう書いてあった。


"変質者出没注意!!"


…そういえばHRでそんな話があったな、確か注意喚起のプリントも配られたはずだ。
頭のおかしい輩が増える春も過ぎたというのに、なんでも変態が通学路をうろつき、うちの中学の女子生徒を狙って悪戯をしようとするとか。どの生徒も一目散に逃げ出した為、まだ直接的な被害者は出ていないが十分注意するように、とも言っていた。

…大丈夫だろうか。いや、多分大丈夫な気がするけどミョウジ先輩だって一応女性ではある。振り返るとまだ自転車に跨る後ろ姿が確認できた。


「ミョウジ先輩、ちょっと待っていてください!!」
「えっ!?」


精一杯の声を張り上げると彼女は驚いたように肩を揺らし、勢いよく後ろを振り返った。それを確認した僕は、全速力で帰路とは逆方向へ走り出す。いつもしごきだけは人並み以上な先輩たちに揉まれているお蔭なのか、すぐに追いつくことができた。

「ど、どうしたの?何か言い忘れたことでもあった?」
「ち、違っ…ちょ、一息、つかせて、くださっ…!」

ぜえはあ、と息を切らす僕に、先輩は目を白黒させている。そりゃそうだろう、さっき別れた相手が猛ダッシュで追い掛けてきたら、何かあったと思う方が自然だ。

「はじめくん、落ち着いた?」
「…はい、もう大丈夫です」

手に膝をついていた態勢から体を起こすと、ミョウジ先輩は心配そうにこちらを見ていた。心配してるのは僕の方だっていうのに!

「ミョウジ先輩!」
「は、はい!?」
「家まで送ります。…その、ああいうことになっているらしい、ので」

何となく気恥ずかしくて、ここからでもよく見える例の"変質者出没注意!!"の看板を指差した。先輩は看板と僕の顔を交互に見て、とても嬉しそうな笑顔を浮かべている。

「な、何がおかしいんですか?」
「ううん、やっぱりはじめくんって優しいんだなあと思ってね」
「呑気なことを言ってないで、自分でも少しは注意してください!」
「はーい、ごめんなさい。…それからありがとね、はじめくん」
「…別に。男として当然の義務ですから」

本当は心配だったのに、照れ隠しでそんなことを言ってみる。すると先輩は跨っていた自転車から降りて、ハンドルを僕に押し付けた。

「あの、何ですか?」
「はじめくんは可愛いけどやっぱり男子だなあ、って」
「…先輩、茶化してます?」
「違う違う!はじめくんはちゃんと男の子だから、これからは自転車漕いでもらおうかと思ってさ」

僕がハンドルを握ったのを確認すると、彼女は満面の笑みで今度は荷台に跨った。

「ほら、送ってくれるんでしょ?早く早く!」

そしてまだ立ったままの僕を急かすように、サドルをポンポン、と叩いている。

「…仕方のない人ですね、本当に」

そう言いながらも、"可愛い後輩"ではなく男として認識されたのが嬉しかった。どうして嬉しいのは、この時の僕にはまだわからなかったけれど。







この日から僕が自転車を漕いで、先輩が後ろに乗るようになったんでしたね。
先生に見つかって反省文を書かされたこともありましたっけ…あなたが逃げろって言うから逃げたのに、漕いでいた僕ばかり怒られた気がします。

こうして思い出を書き出してみると、随分昔のことのような気がしますね。

次にそちらへ帰った時には、また二人乗りをしてみませんか?今度は誰にも見つからないように気をつけないといけませんね。

それでは、また手紙を書きます。暗くなった帰り道には、くれぐれも気を付けて。
部活で疲れたからと言って、自転車に乗ったまま寝たりしないでくださいね。


観月はじめより



((2014.05.19))
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