観月先輩からのメールに気づいたのは、夕飯やお風呂を済ませてあとは寝るだけとなった20時過ぎのこと。友達とのお喋りに夢中で、ちっとも気づかなかった。慌てて『了解です』というお決まりの言葉で返事を返す。

だけど珍しいな、会う約束をする時は大体前日の夜にメールが届くのに。

何かあったのかな、観月先輩。吐き出してしまわないと自分を保っていられないような、そんな出来事が。





「こんばんは、観月先輩」
「こんばんは、ナナシさん」

お誘いに気づいたのがそんな時間だったから、約束の時間まではすぐだった。

指定された場所に向かうとやっぱり先輩はもうそこにいて、勝手口のところにある石段に腰かけていた。直接そこに座るのではなく、丁寧にアイロンがけされたハンカチを敷いているのがとても先輩らしい。

そしてその隣にはもう1枚ハンカチが敷かれていて、暗に「そこへ座ってください」と言われているみたいだ。私だって一応は女の子だしハンカチくらい持っているけど、先輩がいつでも先に待っているから今のところ出番はなかった。

「先輩、いつもありがとうございます」
「んふっ、何のことでしょうか?」

お礼を言ってもはぐらかされてしまうのも毎度のこと。先輩は紳士なひとだなぁ、と思う。

「急にお呼び立てすみません、どうしてもナナシさんに会いたくなったものですから」
「大丈夫です、どうせ暇でしたから。…あの、何かありました?」

どうしても会いたいなんて、やっぱり何かあったのかな。

テニス部で何か問題が起きたとか、それともいきなり転校することになりました、とか。いや、流石にそれはないか。悪い考えばかりを巡らせていると、それを察したのか、観月先輩は小さく苦笑いをして答えてくれた。

「実はね、明日は公式試合があるんですよ。都大会の準々決勝です」
「準々決勝!?ってことは…ベスト4をかけての試合、ですか?」

悪い考えばかりを巡らせていると、それを察したのか、観月先輩は小さく苦笑いをして答えてくれた。準々決勝というと、それに勝ったら決勝戦?やっぱり先輩ってすごい。

「ええ、そうなりますね。まあ僕のシナリオがあれば負けるなんて、そんなこと万が一にも考えられませんが…少しだけ、何というか、不安で」

ぽつりと吐き出されたそれは、いつも自信に満ちている先輩の声とは思えないくらいに小さくて弱々しい。

この人はいつもこんな不安と闘ってきたんだろうか。チームメイトには大丈夫だと、必ず勝てると策を授けて、弱音も吐かずに一人で耐えてきたんだろうか。
その不安を少しでも私が背負えたらいいのに。先輩の胸の痛みを、私が代わってあげられたらいいのに。

そう思ったらいてもたってもいられなくなって、気付けばその手を取っていた。

「あの、ナナシさん?」
「きっと大丈夫!だって先輩、頑張ってたじゃないですか。
ほんの一か月やそこらの付き合いしかない私だってわかります。先輩はいつだってテニスのことをいちばんに考えてた。私にもたくさん話してくれたじゃないですか。
集めたデータをどう活かすのか、どんな練習をすれば強くなれるのか、勝つためにはどうするのが最善の方法なのか。いつも考えて実践して、テニス部のために一番いいものを選んできたんでしょう?そんな風に努力を重ねてきた先輩が負けるだなんて、そんなの私が許さない!
…だから大丈夫です、先輩」

そこまで一息に言うと先輩は目を丸くして一瞬黙り込んで、そして次の瞬間には堰を切ったように笑い出した。

「ふっ…はは、私が許さない、ですか。そうですか、っ、くく…」
「そ、そうです。あとそこ、笑うところじゃないんですけど」
「いや、失礼。予想外すぎる言葉だったもので…つい、ね」
「先輩の予想では、私はどんな言葉を言うはずだったんですか?」
「うーん…大丈夫です、だって頑張ってたじゃないですか、までは予想していたんですが…まさか手まで握られるとはね」

そう言われて、未だに手を握ったままだったのに気づく。慌てて離すと先輩の頬も少し赤くなっていて、それを見たら私まで恥ずかしくなってしまった。

一瞬の気まずい沈黙の後、急に立ち上がる先輩。その背中はいつものようにまっすぐで、もう不安や迷いはないように見える。

「最大級のエールをありがとう、ナナシさん」
「…少しは励ましになりましたか?」
「十分すぎるくらいです。そうだ、明日はお暇ですか?」
「はい。応援に行きますね!」
「んーっ…いや、ナナシさんに来てもらうのはもう少し先にしましょう」
「先、ですか?」
「はい、都大会の決勝戦へご招待しますよ」
「…!!じゃあ明日の試合は必ず勝たなくちゃ、ですね」
「ええ、」


シナリオ通り、必ず勝利を手にしてご覧にいれましょう。


こちらを振り返ってそう言った先輩の顔は、いつもの何かを企んでいそうな、含みのある笑顔だった。それも、んふっ、という口癖のおまけつき。

そんな顔をされると、本当にそうなる気がしちゃうから不思議だ。先輩の言葉はまるで魔法みたい。

どんな無茶なシナリオでも本当にしてしまう、そんな魔法みたいだ。





((2013.3.29 / 2015.01.26修正))

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