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「っあああ゛」

 その日、リトは荒れていた。
 目を覚ますと既に彼女は起きていて、いつもの浴衣を着たそのまま隣にある文机に突っ伏して髪をぐしゃぐしゃとかき乱している。そんな彼女の姿を見るのは初めてだったなと骸はゆっくりと身体を起き上がらせる。
 此処へ来てから幾日経過しただろう。随分と経ってしまった気がしたが当時負っていた怪我はようやく完治したといっていい。問題は未だに記憶が曖昧のままで、自分が関わってきていた人間を思い出すことが出来ないことだ。

「どうしました?」
「どうしたもこうしたもないだろう!何故この部屋にお前がいるんだ骸!」
「何故、と言われても」

 彼女の言わんとする事は分かっていた。
 あれから、…初めて彼女と身体を重ねた日から既に何夜か。あれ以来骸は彼女の部屋へと入り浸っていた。何故か彼女の側が非常に心地よい。眠っていると悪寒に襲われてるのが常だったがこの部屋に入り彼女の隣で眠るとそれがとんと無くなるのだ。

 あの部屋からの出方を教えたのがリトのミスだろう。逃げる為にも利用はできるだろうが今となってはそんな気持ちも浮かぶことはない。何しろ帰り方が分からない上に廊下にはいつもの鬼女が見ている。さらに言えばこの建物から出たところで黒と白に会いに行くぐらいしか自分には残されていないのだ。そうであるならば彼女の手荷物一つを持ち結界を出て隣の部屋のリトの横で眠っている方が得策であろう。
 それを実行しようとその白い膝に触れようと腕を伸ばしたがぱちんと柔らかく叩かれる。一度求めた肌はどうにも心地よく相性も悪くないとは思っていたのだがどうにもガードが硬い。「分かってるのか骸」むすくれたその顔も大概にして悪くないと思えるほどに彼女には慣れてしまった。

「何がです」
「君は「違う世界から来たのだ。ですか」……よく分かってるじゃないか」

 このやり取りも何度したことか。随分と強欲に彼女の事を求めていることは自覚しているし、頑なにそれを拒否しようとするリトを見ると何とも嗜虐心が煽られる。
 彼女が行おうとしている線引きは本来最もたるものだった。本来リトと自分は同じ世界の者ではない。こんな事をしたところで自分の求めているような世界に戻る一歩になりはしない。それに身体を重ねたところで情が湧いたとしたら厄介でしかないじゃないか。彼女はそういつも言うのだ。骸が別にそれでもいいじゃないかと言ったとしても、だ。

「毎日言われれば分かりますよ。それに僕は君の懸念したような想い人はいません」
「それは分からないじゃないか」
「いいえ、いませんよ」
「覚えてないんだろう」
「だけどいません」
「強情か」
「君に言われたくない」

 最終的にはそこだった。記憶がないお前にもしも伴侶が居るのであれば。そんな所を心配する辺りは流石女というべきなのか。しかしそれは、今の場面で言うのであれば邪魔で、余計な遠慮である。
 そのままやいのやいのと言いながら逃げようとしているのも昨日と全く同じであることに気付いていないと思ってでもいるのか。残念ながら自分は人間で、学習能力は有る。それこそ、彼女以上には。身体を浮かせ骸の手の範囲から下がろうとしたがそれよりも早くぐいっと腕を掴み布団の上へと引きずり込んだ。
 このままでは不味いと思っているその顔もありありと見て取れる。焦っている。これから何をするつもりかとわかっているだろう。だからこそ逃げ場を、逃げ道を探している。最初の方こそふわりふわりと逃げられてしまったが段々彼女の事も分かってきていた。

「おいこらやめんか」
「いいじゃないですか別に」

 駄目ですか、ともうひと押し。問いながらも首筋へ、肩へと口付ければびくりと震える身体。自分がもしも記憶を全て取り戻せばこれは自分ではないと否定するだろう。自分が決してするような行動ではないだろうと切り捨てるだろう。
 このような甘えた態度を誰かに見せていたこともきっとなかったに違いない。しかし今だけは特別だ。この世界の自分は、骸であって骸ではない。そう思い込むことにより、割り切ることによりそれが可能となっていた。
 そして何より、この態度こそリトの弱点であるということもまた、知っているので。

「ああもう」

 数分にも及ぶやり取りの末、やはりと言うべきか当然というべきか、折れたのはリトの方だった。降参だ降参!どちらにせよ力で及ぶ訳がないことも彼女はもちろん知っている。骸の下で藻掻いて逃げる事も諦めたらしい。くるりと仰向けになり組み敷いた骸の方を見上げるとその顔はほんの僅か赤らめている。
 骸もまた、この表情に弱い。何ともそそる顔をしてくれているがこれが無自覚であるのが恐ろしい。
 
「痛いのは嫌だ」
「……善処します」

 彼女の最大限の譲歩にほくそ笑みながら2人は真昼間から快楽に溺れていくのである。

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