3


 傷を負った己の体は思ったよりも枷となり思うままに動くことも出来ず苦労した。
 女は二杯目の茶を飲むと傷が癒えるまでゆっくりしていくといいと骸に伝え、そしてまた盆を手に部屋を出た。鍵のかかる音は聞こえない。どうやら本当にどこかの組織の人間というわけでもなさそうだったがあの女はただの人間であるという可能性は捨て去った。
 彼女が自分に何かをしたのかは分からないが、自分の指に嵌められていたはずのリングがすべて抜き去られていた事だけは理解ができなかった。既に意識を失っていたとはいえこの自分が身体に、指に触れられて気が付かないわけがない。

「取り返しに、行きますか」

 こんな薄気味悪いところは早く去りたい。人間等、信頼出来るに足りないのだ。怪我の手当という1つ大きな借りの出来てしまった相手ではあるが知ったことではない。何より自分の技にいまいち効果のない人間なんて生まれてこの方出くわしたことも無い。きっと厄介な人間であるに違いない。
 そう考えると今の傷を負った状態で女と対峙するのは些か不利な気もするが敵意もなさそうなあの様子だと何とか成りそうな気もするのはあの女の害意のない笑みを思い返した所為か。

 気配を殺し、立ち上がる。
 相変わらずドアが一つあるだけので他には何もない真っ白の小さな部屋で、カメラの一つも見当たりはしなかった。セキュリティはゼロに等しい。これでは逃げてくれと言っているようなものだった。ならば望みどおりにしてくれよう。臨戦態勢をとりながら引き戸に手を伸ばすと

「…っ!」

 その、異常性を知る。引き戸に触れる手前で柔らかい何かに触れた。それと同時に心臓に、そして負傷した場所がずきりと痛み膝をつく。昨夜の痛みが蘇ったようだった。

 ――何だこれは。
 瞠目し目の前のその事象を確認するも解析することは不可能であった。自分の知っている術でも何でもない。否、かつてどこぞで監禁された時は檻自体に電流が流れていたが今目の前にあるものは明らかに異質だった。
 視覚では扉と認識しているのに手を伸ばすとそれに触れることはなく押し戻される。弾力性のあるゴムの中に入れられた気分だ。空間が歪められているというのか。それとも目に見えぬ何かがそこにあるというのか。幻術かと思ったが骸ですら感じることは出来ない。一体これは何だというのだ。

「閉じ込められましたか」

 理由も何もわからない上に相手の素性も不明。ついでにどうして良いのかもわからなければ幻術が作用することもない。スキルも試してみたがそれが発動することもない。
 圧倒的に不利だった。
 憮然とした表情を浮かべ骸は布団へと戻る。感情を昂らせてあれの解明に努めるべきだろうがそれも恐らく無駄だろうと直感的に理解してしまい。

「――…牝狐め」

 他ではめったに漏らすことのない他者への愚痴をポツリと一言。


「おはよう、よく眠れたかい?」
「…」
「おや、まだ眠っていたか」

 時計もなければ外の世界も見えないこの部屋において、女の言葉だけで把握しなければならないということは案外苦痛だった。からりと引き戸が開けられ、女は小さな音を立てて前と同じく枕元に盆を置き座る。
 横目で確認するとそこには握り飯とお茶という何ともシンプルなものが置かれており、朝食だと分かる。

 女の温かい指が頬にかかった前髪を移動させ、額に触れた。
 普段なら人に触れられることを極端に厭う骸だが今は眠っている振りを決め込んでいる以上大人しく耐えるしかない。
 「ごめんね」女は小さく呟いた。それの意図するところはわからなかったが何故だかそれが懐かしいものであると思わずにはいられない。それからやや時間を置いてトンッと小さく額に降りる指。

「さ、お前さん起きなさい。私はもう少しで出なきゃならない。その前に昨日のお前さんの質問と、それから現状を教えてやらんと結界ぶち壊されそうで適わんから」
「…気付いていましたか」
「まあねえ。そんな大人しい人とは思っちゃいないさ」

 腹は大して減ってはいなかったが喉は変わらずに乾いていた。
 例の如く湯のみに注がれた茶を女が飲んだことを確認し、口をつける。腹立たしい事だが、昨日の今日でこれは決して毒が入ってはいないと何とも自然な形で教えられていることに気付きまだ女が口を付けていない握り飯も口にした。こちらばかりが敵意むき出しで向こうは何も思ってもいないだなんて何と馬鹿馬鹿しいことか。

 ほぅ、と女の目が嬉しそうに細まったことに多少居心地の悪さを感じたが、その素朴な味は案外悪くはなかった。

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -