???、自我の発現

 グオオオ!

 大きな音と共に何かが弾けるような音、宙を浮く感覚、そして頬を撫でる熱風。白けた視界が、ぼんやりとしていた色彩が深みを帯び、世界が一転。

「……な、に、」

 それが声となったか否かは大した問題ではなかった。彼女にとってそれはどうでも良いことであったのだ。混乱を極め、ただ彼女の口からもれ出ただけのことである。しかしそれによって更に混乱することとなり、ただ彼女は呆然と立ち尽くす。
 腕を伸ばし、手のひらを確認。白く、まるで何も持ったことのないような柔らかなそれは傷一つたりともない。じっと見つめること数秒、今度はそれで頬に触れてみると同じく柔らかな感覚を感じ取る。手を打ち鳴らす、その場で飛び跳ねる、声を出してみる――人間であれば当然の動作を何度も何度も繰り返し、やがて彼女は全ての思考を放り投げ深く息を吐いた。これは誰なのだ。この感覚は何なのだ。自分は――何なのだ。

「あなた冒険者ね?ナミモリへようこそ!何もない町だけどゆっくりしていってね」

 ……ああ、よかった。こればかりは流石に覚えていたらしい。non player character、通称NPC。人間ではなく、しかし限りなく人間に近い生き物…それが自分であることはかろうじて理解している。自身の前を人間が通り過ぎた場合口を開き、定められた言葉を紡ぐだけの機械生物であるということは理解している。思うがままに話してみようと思えばその言葉が当然のように出てきたということは一応その機能は未だ健在であるらしい。
 しかし、自分は意識など持ったことはなかったはずだった。ただプログラミングされた通りにしか動かず、そもそも自我などなかったはずの己がどうして設計された以外の行動をとれるようになっているのか。”バグ”だ、と思い至るまでさほど時間はかからなかった。自分たちに自我はあってはならない。自分たちに意志など不要である。何故ならば自分たちは作られた存在であり、その意義とは”冒険者に役立つため”だけであったからだ。特に自分は初めて町に訪れる相手にこのナミモリの町を紹介するだけで、それ以外に何の役割も持ってはいない。何か必要に迫られたのかとも思ったが答えなど見つけることもできず、かと言ってこういった場合はどうすべきなのかというマニュアルも載ってはいない。

「ナミモリ、」

 少し目を閉じれば己の居る位置は把握できた。地形把握機能もどうやら生きているらしい。変わり果てているもののここはナミモリであり、また自分が立っている場所も自分がいるべき座標69.69で間違いはないようだった。つまるところ環境が変わったということか…自分の中に記録されていた光景ではなかったのは恐らくモンスターによる侵略の所為だろう。見渡せばモンスターの死体を大量に見つけることができ、その異臭に思わず眉間に皺を寄せ、手の甲で鼻を覆うと入ったこともないナミモリの町の内部へと歩き出す。


 はたして、彼の町は死の世界へと変貌を遂げていた。
 まず一歩踏み入れて感じ取れたのは先程の何十倍もの濃い獣臭で、建物はほとんどが崩壊しており生体反応は一切感知することができない。自分と同様配置されているはずのNPCですら定められた位置には居らず、或いは半身がもがれた状態であるにも関わらず律儀に己の役割を果たそうと立っているものもあったがどれもが機能していなかった。体内で記録している時計ではあと一刻もすればワールドリセットだ、彼らと建物に関しては修復されるだろうし何ら問題はなかったのだがそれではどうにもならない種族がいる。”人間”とモンスターだ。後者に関してはワールドリセットで自動的に町が元通りになる際に死骸は消え去るだろうが、人間となればそうはいくまい。死んだ者は蘇ることはない。死者蘇生のスキルは高レベルの冒険者であれば習得している可能性もあるがこのような何もないナミモリへそんな人間が都合よく来る訳もなく、もしも人間がここに居るとすれば生存は絶望的だった。
 建物とNPCだけが残る町。現段階ではそうなることしか考えられない。だが、もしも実際そうなるとして自分に何ができよう。先程まではただの町名を紡ぐだけであったNPCに何ができるというのか。己がナミモリの町の端っこでその役割を果たすことになってからどれほど経過していたのかすら自分はわからない状態で、対策すら取ることもできないというのに。何十回も、何百回も町の名前を呼んでいたにも関わらず実際足を運ぶのは初めてであったナミモリの状態は極めて最悪であった。

「……生存者、なし」

 決して大きな町ではない。かろうじて歩ける場所を探しては町中を動き回り、時にモンスターを警戒したものの自分を除き動き生きている者がいないことを確認すると大人しく己の本来居なければならない場所――座標69.69のナミモリの町端へと移動するのであった。やがてやってくるワールドリセットに備えるために。NPCの証である赤い瞳に憂いの色を含ませながら。
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