学者Cの遺言

「あなた冒険者ね?ナミモリへようこそ!何もない町だけどゆっくりしていってね」
「……ああ、お前、生きていたのか」

 NPCとはまさに死んでいる生き物だ。

 例えばここ、座標69.69から一歩も動くことのないこのNPC。ナミモリと呼ばれた町の一番端に配置された、いつも一人ポツンと離れて立ちっぱなしだった女には名前がない。あくまでも名もつけられることのなかったNPCでしかなく、また町ごとに冒険者を試す役割であるキーマンですらなければこの女の存在を知らぬ町人だってそう多くはないだろう。ただくるりと回って笑顔で冒険者にこの町の名前を告げるだけの役割。近くにモンスターが徘徊しても怯えることはなくただ通りすがる冒険者に反応し声をかけてくるだけの悲しい人形。

「あなた冒険者ね?ナミモリへようこそ!何もない町だけどゆっくりしていってね」

 そもそもそういったNPCが何故いるのか。それはニワトリが先か卵が先か、それに似ているのかもしれない。冒険者が先か、NPCが先かなんてことを調べる為に旅する人間なんざ居なかっただろうし、そもそもそういったことに疑問を持たないよう俺たちはできているのだ。きっとここでこのNPCが何らかの変化を遂げたとしても、例えば居なくなったり消えてしまったとしても誰も疑問は持たないのだろう。まあそんなことは――有り得はしないのだが。

「…お前、いつもここにいたよな」
「あなた冒険者ね?ナミモリへようこそ!何もない町だけどゆっくりしていってね」
「俺はレベルが100になったよ。でもお前は一生ここで、…だけどいつ死ぬんだろうな」
「あなた冒険者ね?ナミモリへようこそ!何もない町だけどゆっくりしていってね」

 俺ももう齢60となった。目を瞑ればこのナミモリから一歩外に出た時のことを思い出すことができる。”冒険者”であろうと認識したのはちょうど成人してからだったが、その時からこのNPCはこの場所に存在した。…そう、俺とお前は会話をすることは一度もなかったが40年前から一緒だったのだ。旅に出てからお前はここでずっと立っていたな。冒険者か町人か、自分の目の前を通る人間が現れる度にインプットされた言葉をただひたすら繰り返し歓迎の言葉を紡ぐだけのNPC、それが彼女だ。NPCより体力ゲージが少なかったレベル1の状態でナミモリを出て、モンスター1匹倒しては体力回復に町に戻ってきた俺をお前はずっと見送ってくれたな。決して会話はなかったし多分何度かは苛ついて蹴ったこともあっただろうが若気の至りだ、許しておくれ。わざわざこの座標を通るようにしていた程度にはお前に愛着があったんだ。多分な。

「あなた冒険者ね?ナミモリへようこそ!何もない町だけどゆっくりしていってね」

 NPCは生きてはいないが不死身でもある。死ぬことはない。老いることもない。
 たまたま紛れてやってきたモンスターに食われてしまったとしても、天変地異が起こったとしてもワールドリセットの0時になれば復活するように彼女達はできている。時に殺され、時に犯され、服を破かれようが八つ当たりに腕を取られようがアクセサリーを引き剥がされようがワールドリセットの時間を迎えればどういうカラクリなのかは知らないが綺麗さっぱり、何事もなかったかのように戻ってしまうのだ。それが幸せなのかと言われれば俺にはよく分からない。俺は町人である妻を愛し、冒険者をやめて彼女と一緒になり、子供もできた。今では孫も居る。俺たちは決して不老不死ではないしそんな薬はこの世に存在してもいないだろうが、それでも俺は十分に生きた。もう、悔いはない。そう思っていたんだ、がなあ…。

「気をつけろ。近くに大型モンスターが発生した」
「あなた冒険者ね?ナミモリへようこそ!何もない町だけどゆっくりしていってね」
「…計50PT(パーティ)が死んだ。敵スキルは厄介で、増殖していく」
「あなた冒険者ね?ナミモリへようこそ!何もない町だけどゆっくりしていってね」

 NPCは不変だが、生きている人間とモンスターはそうじゃない。モンスターは生きる為に他種のモンスターや人間を襲って生きるし、人間も生きるために襲いかかってきたモンスターを殺す。決して相容れない存在なのだ。そして、さらに人間の中でも生まれた町で骨を埋める者もいれば”冒険者”だと自覚しモンスターを狩りながら街々を歩む奴らも居る。
 俺は既に引退した”冒険者”だ。本来ならばもう町から出ることはなかったのだがここ最近異様に大きいモンスターがこのナミモリに現れたと聞き、愛する妻やこれからを生きる子、孫の為に舞い戻ってきた。これから先、未来を担う子どもたちの為に俺のような年寄り組が先陣きって贄となることも仕方があるまいと納得した上で、だ。正直言ってこれまで多数のモンスターを狩ってきた俺たちでも、最高100人を超える人間でPTを組んで巨大ボスに立ち向かってきた俺たちでも敵いはしないと思ってしまった。それほどまでにヤツは強い上に厄介なスキルまで持っていたのだ。…ここまで逃げ帰ってきたのは恐怖からではない。俺は残ったHPが仲間よりも多く、だからこそ伝達役を頼まれ敵に背を向けここまでやって来たのだ。

 ”一刻も早く逃げろ”と伝えるために。

 あいつは誰も敵いやしない。誰でも勝てるわけじゃない。最高で、最強と言われる”勇者”級の能力を持つ冒険者が居れば勝機はあっただろうが現状その域に到達した人間はまだいない。モンスターが飽きるのが先か、我々の戦力が潰えるのが先か…そのレベルにまでなってしまった今、俺はただ避難を訴えるのみ。果たして生まれた町から一歩も出たことのない町人達が俺の言葉を聞くかどうかはそいつらにかかっているが……だが、俺ももう、

「――この町にもやがて来るだろう。殺されるお前を見るのはしのびないが、ガハッ」
「あなた冒険者ね?ナミモリへようこそ!何もない町だけどゆっくりしていってね」
「俺はもう、…、」
「あ、………こそ!何……け…………って……」
「…………………」


 ―――………。
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