来てしまった水曜日、夜。昼間に行けるような授業を組めてはおらず、またセメントス先生ともタイミングが合わないようなこの1年、細かく言えば私よりもっと都合のつけられる適任者が現れるまでなので1年とは限らないけどとりあえずしばらくは夜になるということまで爆豪くんに自白させられた私に逃げ場などない。バイト中、携帯は昨今流行りの写真流出やら情報漏洩やらを防ぐためあらかじめ預けることを最初の手続きの時に言われているのでとりあえず爆豪くんに今からバイトで寮を訪れることをメールした。見たかどうかは知らない。だけど私はちゃんと言った。その証拠が残れば十分だ。


「よ、よし」

 そびえ立つ寮がこの前より大きく見えるのはセメントス先生が増設したわけではなく気分の問題だ。小説なんかで例えるならば爆豪くんという魔王退治、私は勇者。後ろについてきたのはお供の雑巾、箒、水たっぷりのバケツ。コトンコトンと箒の柄が床を叩く。そうだ、お前が一番強いのだ、任せたぞ最強アタッカー。あと今日はゴミ拾いに特化したトングも連れてきた。爆豪くんがもしもこの前みたいに私の目の前で学生証をヒラヒラと振りかざし返してくれなかった場合お前が後ろからヒュッと抜き出すのだよ。絶対だからね、頑張ってね。
 セメントス先生とこの寮の担当である相澤先生にあらかじめ挨拶をして了承を得てから寮へと入る。夜遅くまでご苦労さんと優しい言葉までもらい少し感動しながら談話室を超えて先に女の子たちの階へ。こっちは安全だからいいよ本当に。一度だけ誰かとこんにちはしたことあるけどいつもありがとうございますってお礼まで言われたぐらい。そうだよね、それが普通の反応なわけさ。掃除してる人に対して誰だお前なんて不遜な態度で近付く人とは大違い。

 コトン、コトン、コトン。サッサッサッ。

 時間が時間だから出来るだけ音をたてないようにして個性を使い、動かしていく。見える範囲にだけ使うことのできる個性なので私がするのはせいぜい全部の掃除用具が私の視界に入るよう自分が移動するだけ。要は現場監督というわけ。普段なら各棟1階15分程度、それを全部の階なので約2時間というのを目安にしている。だけどいつもより丁寧に、男子の棟の5階に時間をかけ明らかに綺麗にしてしまったのは次の4階がすさまじく憂鬱だったからだ。勇者だってレベル1で魔王に向かうわけにはいかないでしょう?ここで精神を落ち着けなければ。埃一つないよう綺麗に仕上げた後、大きく深呼吸。いやもうこれは4階は敢えて飛ばしていいのでは?と悪魔の声が囁いたけどそういうわけにはいかない。こっちはお金をもらっている立場だ。そんなズル、私には到底出来ない。


「……はあ、」

 重い足をひきずり後ろにお供を引き連れてエレベーター前へ。そこまで遅い時間ではないけど相変わらず静か、というか普通科に比べてヒーロー科が起きてこないのはその授業の辛さにあるっていうのを他の棟を担当している先輩方に聞いたことがある。まあ分かるよ。私だって家に帰ったときはいつも瀕死だったし筋肉痛がひどかったし。だけどそれはあくまでもヒーロー科だけの話であり、普通科やサポート科の子たちは割と元気というか普通に消灯時間まで一緒になっって喋ったり、何ならサポート科は掃除も楽になるような機械まで作ってくれてるとか聞いてえ、嘘ずるいと思ったのは内緒の話だ。今更交換なんてしてくれるわけはないんだけどね。


「来たか」
「…」
「逃げんじゃねえ」

 4階へのボタンを押しエレベーターを動かす。ここまではよかった。だけどそれが開いた瞬間魔王が出てくるのはダメです。ルール違反です。聞いてないです。思わず閉ボタンを押したのに何ともお行儀悪く足で妨害され、ガコンッと大きな音を立てドアが強制的に開けられた。それがどれだけ怖かったか、この時間違いなく私は敵に出くわしてしまったと表現しても誰も否定はしないと思う。いや、絶対させない。無表情のままポケットに手を突っ込んだままの爆豪くんがどれだけヤバそうな人に見えたかこれは本当にセメントス先生に泣きついたって何ら不思議じゃないぐらい動揺した。個性で浮かせた箒が代わりに私の前に出たけどそれも手で取っ捕まえられ逃げ場なんてない。びっくりした。びっくりした。…本当に、びっくりした。今でも心臓がドキドキと言っている。心臓が一回り縮んだ可能性だって否めない。あー本当に怖かった。


「……こんばんは、爆豪くん」

 学生証を返してもらわなけれならない手前、必ず会うことは分かっていた。だけどいざ目の前に爆豪くんを見るとヒッとなってしまうのは条件反射のようなものなので仕方ない。

 …しょうがない、やるしかない。

 自分を鼓舞させ本人を目の前に大きく息を吐く。トレーニングは終わったのだろうかこの前会ったときと同じ格好をしていた爆豪くんに軽く挨拶をして前へずずいと出る。消灯時間はとっくに超えているからなのか間接照明はいやに薄暗い。だけどこっちは暗いところでも良く見えるメガネをサポート科から渡されているのでまったく問題はないし、しかも横から音楽が流れてくるなんて何とも優しい設計なことか。それに少しだけ救われながら個性を扱い天井、窓を丁寧に掃除をしていく。


「器用なもんだな」
「そうでしょうそうでしょう、これしか取り柄はないからね」

 うんうん、いい感じ。ちょっと後ろからの爆豪くんの視線が痛すぎてその感情に左右された箒だけが歪に動くけどまだ大丈夫。がんばって私。後ろにいるのはただの置物。般若のお面だけだ。そう言い聞かせ進んでいく。コツン、コツン。暗い廊下に響く足音。掃除用具が踊るように各々の仕事をこなしていくのを見届けながらチリ一つ、特にこの階は喧しい人がいるから落とすわけにはいかず気合が入ってしまう。


「そういや爆豪くん寝なくていいの」
「は?余裕だわ」
「え、そのナリで優等生なの?あ、仮にもヒーロー科だもんね君」
「……」

 倍率も年々えげつぐらい右肩上がりだって聞いていたしきっと私の居た時よりも難しいはず。入試問題、今受けたら落ちる自信だってある。ということはつまりこの人も意外と賢いんだろうな。「転けんなよ」「わかってるよ大丈夫余裕余裕」何だかんだと後ろをついてきては話を強要してくるもののこれはこれで怖くないしありがたい。実は夜の寮ってちょっぴり怖いんだよね。敵なんて出てくる可能性一番低いし安全な場所だとは信じているんだけどお化けとかはまた別物なのだ。そう考えるとお化けより何より怖いものが後ろに居るって便利かも。魔王だけど。

 あっという間に掃除が終わり時計を見るといつもと同じぐらいの時間だった。遅い時間に来たっていうのに爆豪くんと話していたおかげか集中したし効率よく回せたらしい。
 ピピッとタイミング良く時計が鳴ったのを聞いてからくるりと振り返るといつの間にか爆豪くんがエレベーターに乗っている。どうやら送ってくれるらしい。…あれ、優しい。「どうも」と頭を下げ、一緒に乗る。何か会話でもしようかなと思うぐらいには少し絆されたような気もしないでもないけどこれは爆豪くんがこの前会った時や電話の時とちょっと雰囲気が違ったからだ。意外と無口?そうだね、ベラベラしゃべるっていうイメージはたしかにないかも。ちょっとお口が悪いけど。


「じゃあね、爆豪くん。はい」

 1階に到着し、更に寮の出口まで送ってくれた爆豪くんにここまでで大丈夫だということを告げる。確か寮生って深夜帯に外へ出ないよう言われているのをあらかじめ聞かされているし、私を送った所為で怒られたなんて聞くと申し訳なさすぎる。フン、と爆豪くんの返事が爆豪くんらしいなと笑いながら手を出すと意味がわかっていないような顔をされてしまった。


「何だその手」
「……いやいや、そんなご冗談を。返すものあるでしょう」

 そもそもそういうお約束だったはずだ。私の学生証。あなたはそれを返す人、私はそれを受け取る人。はいほら早く。どうせ忘れたフリでもしているんでしょうがそうは問屋が卸しません。私は忘れていないからね。ハイッともう一度、今度は勇気を持ちもっと強く突き出しすと爆豪くんはまたあの時同様、悪どい顔をして笑うのだ。


「部屋に忘れた」
「はあ?!」
「また来週な」
「え、え、有り得ないんだけど!ちょっと今すぐ取りに行ってよ!」
「めんどくせえ」

 嘘だ。絶対嘘だ!
 喚いてみたけど爆豪くんはそのたびもっともっと悪い顔になってご丁寧にポケットを裏返してまで「忘れた」を強調する。ひどい。ひどすぎる。この人はやっぱり悪魔だ。敵なのだ!また来週ですって!?つまりまた来週あの連絡から始めなければならないということで。

 …また1週間、私は勇者となり魔王と会わなければならないのか。

 一緒に部屋まで上がってやろうかと思ったけど残念ながら私は時間に縛られている。何も言い返すこともできずガクリと肩を落とし、一切活躍することがなくなってしまったトングが同調し後ろでがちゃんと力なく落ちた。
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