これだけのんびりとした生活を送っているのはいつぶりだろうか。
 記憶を失う前の俺、S・スクアーロとしてはこれが普通だったらしいが俺は一年前の記憶が最後になっている。その時の記憶が間違いではないのであれば本来なら多忙を極め、任務が終われば報告する間もなく次の任務へ走り、剣を振るっていたはずだった。そんな日々を送っていたはずだった。が、今はどうだ。邸内に人は疎らなものの俺に仕事はなく、今日は任務なしときた。これはどうやらヴァリアーが請け負う仕事がなくなり暇になったというわけではなく俺が出るまでもない任務は他の精鋭部隊の奴らが主となって行っているから、らしい。いつの間にか成長したモンだなあとも思うがこの体制は俺が押し進めていた人材育成の結果だと言う。任務内容を聞きランクを振り分ける事務員、最適なメンバー構成を考えられる隊員に、単純に戦力強化された隊員。…日本には適材適所、という言葉がある。元々能力が高いヤツらの集まりだが更に得意不得意がある。それを伸ばしてやり、各分野でプロフェッショナルを作る――それが以前から俺の掲げていた理想。幹部が出払っていても、もし何かがあったとしても自分たちで切り開く能力を全員で持つ。それが少しずつ実り始め、今では幹部が暇を持て余すことも割とあるのだと言う。そうなったせいで俺は今日も手持ち無沙汰になったという有り様だった。
 今日もそうだ。珍しくマーモンが俺の様子を見に来て面白そうに笑ったがその程度で、他は何一つ変わりのないまま午前を過ごす。…俺の記憶じゃあいつとそんな仲じゃなかったはずだが俺の交流関係も多少変化があったってことだろうか。大和もやけに馴れ馴れしいがかつての俺がそれを良しとしたのなら今さら否定するつもりはない。ただ記憶がこのまま戻らなかった場合を考え、日課がひとつ増えることになった。元に戻ることが不可能なのであれば過去一年の俺の行動を自分の脳に叩き込む必要がある。誰が生存し、誰がもうここに居ないのか。誰をどのジャンルで、どこまで伸ばすつもりで育成していたのか。日記みてェなものを付けているはずはなく、なら何を見るかとなると結局これまで俺が提出してきた書類や報告書なんかになる。

「……また、あいつかよ」

 任務を請け負う数が緩やかに減少していったとは言えそこそこの量の書類。山積みになったその紙きれを、見落とすことのないようひとつひとつ。任務内容、日付を確認し、参加させた連中の名前を指でなぞり、確認していく。既にこの世を去っちまった奴も載っているが、その最後には常連化しているのであろう名前。それを指でトントンと軽く叩いたあと、バサリと大きな音を立て、デスクの上に書類を放り投げ天井を仰いだ。

 ――真尋。

 この一年間の報告書に名前が最も載っている、大和以外の人間。それがあいつだった。何度見返してもその事実に変わりはない。
 どうやら普段は雨属性を持ついつもの連中や俺への弟子入りを志願する剣士たちを連れまわしていたがある日をきっかけに真尋を任務へと連れて行くようになっているようだった。……俺が。全部俺が主となって動かす隊の時に必ず指名しているようだった。一応回復匣を利用することのできる回復要員という立派な名目はあったようだがどう見てもこいつにその匣を利用させ怪我を負った隊員を回復させたような形跡はない。
 あいつのことが気になるからのこの選任か? 腑抜けちまったのか? とも一瞬疑ったがその辺り俺は誰よりも俺を信頼している。そんな浮ついた感情のせいで他の連中に害になるような選択肢なんざ端から用意しているはずがねえ。つまりやっぱりあいつは任務地でも使える人間だってわけだ。まあトレーニングルームで一度俺の部下と手合わせをしているところを見た時から只者じゃねえとは思っていたが。それ以外はところどころでマリアだのフランベルジュだの訳の分からねえことや、真尋に晴匣の正しい利用法や銃の使い方を教えるようにだの書いてあるのが気にはなるがそれ以上の言及はできねえ。この報告書を書いたやつに文句を言うつもりなら今すぐ鏡を持って来る必要があったし、またそうしたところで何の解決にも繋がらないからだ。

 とにかく、俺の知らない俺は真尋の実力を確信しているようだった。
 任務の難易度を変えることなく人数を減らしているにも関わらず変わらずあいつを連れていっているところから見ても間違いないだろう。そして、あいつは生きている。死神と呼ばれていたようだが俺と共に向かう任務ではほぼ死人は見当たらない。…ああ、そう言えばいつの間にかそう呼ぶ奴もいなくなっただとか言っていたな。かつての俺もその呼び名が気になり、任務で死亡者どころか負傷者を最小にすべく動いたのかもしれない。
 それにしたって一年間、あいつと俺の間には一体何があったっていうんだ。謎は深まるばかりだ。


『俺はお前と何かあったのか』

「……」

 思い返すのは先日の、あいつとのやりとり。
 本人に自分達の関係性を問うことほど厚かましく、非常に身勝手で、ナンセンスなことはないと重々分かっている。そしてこの質問自体が狡いものだとも思っている。いかにあいつが無愛想で、上司である俺にですら愛想のひとつも寄越さない奴であったとしてもあいつは――女だからだ。もしも実際何らかの関係があったとしてもこう問われてしまえば余程のことがない限り是の言葉を口にすることはないだろう。そう、俺は真尋にその問いをわざわざ投げかけられることにより否定されることを望んだのだ。
 理由なんざ分からねえ。記憶が戻っていない今、特に女関係で誰かを特別扱いしている訳でもなさそうだったし、今の時点でそういう感情を誰かに抱いてすらない。

 なのに、だ。何故かあの時の真尋の表情がこびりついて、離れない。

 元々あいつは感情が乏しい節がある。少なくとも俺が目にした顔ってのは不満そうだったり、眉をぴくりと揺れ動かしたもののそれ以外何も思っちゃいませんと言わんばかりの無表情。笑ったりだとかわざとらしく怒ったりだとか、その他の女がよく見せるような表情などそこにはなく、あの時はただただ――『いいえ』と。『何もありません』と。付け加えられた言葉にもやはり感情が乗っているわけではなく、事実を述べた。そういう風にとれたはずだった。
 俺は真尋に問いかけた。そして真尋はそれに応答した。なら、それでよかったはずだった。俺はそれを受け、それがもし否の言葉を――つまり俺と何も特に関係はなかったのだと、俺と真尋の間には何もなかったのだという言葉を聞いて、満足すべきだった。納得すべきだった。何より俺が望んだ答えだ。俺は頷き、納得し、何もかもをその時点で放棄し、嚥下する。それが互いにとっても最適解で、そしてそれで終わるはずだった。それで良いはずだったのに。なのにこの腹底に巣食ったモヤのような感情は消えてなくならず、むしろ大きくなるばかりだ。

「真尋」

 呼べば震える、この気持ちなんだ。怒りたくなるような、泣きたくなるような、この感情は一体何なんだ。その正体は未だ分からず、結局謎ばかりが残り、俺はただ泥の中のような場所で足掻いているだけ。

 ――S・スクアーロ。

 その後、自分の名前をも紡ぐ。俺は今すぐお前と、真尋を知っているお前と戦いてえ。何も考えることなく斬りあいたい。全てを忘れ去られるぐらい激しく殺りあいてえ。
 恐らくだがお前だってそう思っているだろうよ。俺がどうしてこの一年間のことを、あいつのことを、覚えていないか責めてやりたいようにお前もどうして忘れちまったのかと俺のことを恨んでいるんだろうからなあ。

「……クソが」

 別れ際の真尋の表情。きっと他の連中ならばいつもと同じだと思うだろう。いつもと同じく無表情だったと感じるだろうと断言できる。なのに俺は違うと思ってしまった。違うのだ、と理解ってしまったのだ。
 …泣きそうだった、と。
 表情ひとつ変えることはなかったのにどうしてだかそう理解してしまったのだから仕方ない。全ての感情を飲み込み、俺は笑みを浮かべてみせたのだがそれをあいつはどうとったのか考えることもやめちまった。今頃何をしているだろうか。俺のことなどもう何も考えてやしないだろうか。それとも――思考は止まらない。あの時手を伸ばさなかったのが正解だと思っていたのに、何故今こうも悔いてしまっているのか。泣かせるつもりはなかったのだと、そんな表情をさせるつもりはなかったのだと悔やんでしまっているのか。
 あの時のやりとりを無しにすることなどできやしない。そして投げかけてしまった言葉をひっくり返す権利もない。このままうやむやで、謎だらけのまま終わっちまうような未来を作ったのは俺だからだ。悲しませたのも、傷付けたのもまさに俺だからだ。

 目の前の鏡にはこれ以上なく不機嫌で、それでいてどうしようもなく途方に暮れた俺が映っていた。


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