S・スクアーロが記憶喪失になった。
 よくわからなかったけど突然私の元にそういう情報が舞い込んできた時には正直もう手の施しようがなかった。私は事務員としての仕事に追われていたし、その情報は隣のデスクに座る雨属性の事務員が青ざめて事務室に入って大声で泣いてしまったからだ。ふうん、へえ、そう。その時抱いた感想はその程度で、だけどどうしてだか何だかヒヤリと体温が下がったように感じたのも確か。この時の私はまだ何も気付いていなかった。そんなこともあるんだなあ、大変だろうなあ。なんて他人事のように考え、まさか自分にまでしわ寄せがくるだなんて一片たりとも思ってはいなかったのだ。
 ただ事務所を出て外を見た時、この地域では珍しい天候にこの時期に任務が来たら面倒だなと思っただけ。窓を激しくたたくような、大雨、大嵐。
 ああ、これはきっと荒れるに違いない、と。


I have youの


 医療に関しての知識もない、治療についてはせいぜい細胞を活性化させる晴匣を開くぐらいという医療に従事している人間が聞いたら激怒間違いなしの回復方法が横行しているヴァリアーだ。当然私も例に漏れず怪我をすれば晴匣任せの治療方法を行ってきたせいで医療関係の知識は一切ない。敢えて言えば不器用なりに止血することとその場限りの怪我に対し自分の腕に包帯を巻くことぐらいはこれまでの経験で培われてきたおかげで何とかやっていける程度。それ以上のことは一人で治療も判断もできるはずもなく、結局一番現場経験の多いルッスーリア隊長に頼りっきりになるという現状で、S・スクアーロがボンゴレ本部の医療チームによって運ばれてきた時は流石のヴァリアー邸にもピリリと緊張が走った。
 過去いろいろとあったせいで本部とここの関係はあまり宜しいと言えない。本部は本部で見るもおぞましいと言わんばかりの表情だしこっちの隊員はこっちの隊員で用が済んだら早く出ていけと言わんばかりに殺気立っている。おかげさまで事務員である私ですらまるで敵を見ているかのような視線を受けているという有様。業務に差し支えが出るので早く帰ってくれないかなと私も苦笑いしつつ彼の部屋が即席の医療室へと様変わりしている様子を遠目で見ながら、いつもの通り手元の書類を片付けていく。
 S・スクアーロの容態はすでに全員に知れ渡っていた。どうやら本部絡みの任務で誰も任務の詳細は聞いていなかったためどこに行っていたかは分かっていない。ただ一命はとりとめている、記憶がない。その2点の情報のみ。まあこれから大変だろうなということは安易に想像がつく。

 S・スクアーロはヴァリアーの作戦隊長だ。ボスであるXANXUSと幹部陣の間に割って入ることのできるというかなり貴重な人材であり、頭も切れる。また人望も厚く、剣士ならば誰でも彼の下に入りその術を学びたいと思うことだろう。そして声が大きいけれど秘密主義で、口は堅い。つまり何というか…彼が記憶を失ったことにより受けた損害は非常に大きいのだ。
 例えば最近受けた任務の内容、前々から受けていた任務の進捗状況、彼が使っていた情報屋ファミリーとの連絡手段――挙げていくとキリがないけど直近で困るだろうなと思ったのはそれぐらい。そもそも一介の事務員でしかない私が彼の業務内容を知っているはずもなく本当はもっと困ることはあるだろう。

「ああ、真尋。お前、こんなところにいたのか」
「…大和」

 事務員一同で花を贈るだとか見舞いに行くだとかそういう提案がある中、声がかかることもないのは知っているし適当に仕事を終わらせて久しぶりに買い出しでも行こうかと思っている最中だった。玄関を出て数分、後ろから声をかけてきたのは大和でその声が普段と違って硬いことに気付き振り向くと珍しくも強張った表情がそこにあった。
 基本的に私へ声をかける人間なんてそういない。
 あったとしてもルッスーリア隊長か大和、或いはS・スクアーロか機嫌がすこぶる悪いベルフェゴール隊長ぐらいか。もっとも大和以外の人間から声をかけられた場合は大概いいことはない。とはいえ今の彼からどうみても良い話を聞けそうにないな…なんてそう考えられた程度に大和は陰鬱な表情だった。

「聞いたか、スクアーロ隊長のこと」
「…いや、詳しくは」
「だよなあ」

 昔からの同僚、元先輩。
 今となってはS・スクアーロの率いる部隊の副隊長を務めている彼と、ただの事務員。本来ならばこうやって気さくに話すことなんてできないはずだけど私たちにはそういったしがらみはない。ハア、と大きく息を吐き出した大和はやがて顔を上げると私の腕をつかんだ。

「悪い、来てくれ」
「…え」
「いやそうな顔をしてくれるなよ。頼むから」

 え、だって本当に嫌な予感しかしないんだけど。
 そう思ったのが顔に出てしまったのか大和もまた苦く笑って歩き出す。もちろんここで腕を離されることはない辺り逃げるんじゃないかと思っているらしい。
 つまり行先は知らせられなかったけど大体予想はつく。ああ、その辺りの雑草でも摘んで手渡した方がいいんじゃないか。お見舞いがてらに。そんなことを考えながら私は想像通りS・スクアーロの部屋へ向かって歩く大和の背中に小さくため息をついた。


「やあん、スクアーロ隊長ったら!」
「俺は怪我人だぜえ。少しぐらい構わねえだろ」
「もうっ!」

 はたして、そこは地獄だった。
 私の想像ではS・スクアーロは呼吸もままならぬ状態で、チューブに繋がれた状態で彼を敬ってきた剣士たちが早く目を覚ましますようにと祈っているという状況。
 しかし現実は全くの別物で、男性入室禁止の張り紙を見た瞬間から私の腕をつかむ大和の手から汗が出ていることには気付いていたし私も『まさか、そんな』と思ったわけだけど扉を開けた瞬間に帰りたくなったのは確かだ。私たちが無言でいる中、S・スクアーロとさっきまで事務所で大声で泣き喚いていた事務員が今にも服を脱いでしまうんじゃないかという勢いで密接しあった状態で黄色い声をあげている。ちなみに私たちが唖然としている間にも見舞い品を献上しようとやってきた1人の隊員が部屋の中を覗きショックを受けたのか如何にも高そうな果物の入ったバスケットを落としたまま無言で去っていっている。

 ここは、地獄だ。

 大和が私を呼んだのはこの男性入室を禁止されているからなのだろうか。それともこの状況をどうにかしろという無言の命令なのか。
 どうでもいいけど私にはそんなことができるわけはないし彼とそういう関係でもない。ここ1年で確かに話すようにはなったし好意的な言葉を投げられていたのは否めないけどそこまで止まりだ。体温がさらにヒヤリと下がる。それと同時にお腹の中に重たい石がドスンと乗ったような感覚。怒りなのか呆れなのか、それが何で構成されているのか私には理解ができなかった。また解析するつもりも毛頭ない。大和に腕を握られていなければ剣の柄に手をかけていたかもしれないけれど。

「…あ、お、おい真尋、これはだな」
「う゛お゛ぉい、おまえら何見てんだあ」

 大きな声がこっちにむかって投げかけられたのは大和がむしろ可哀想だと思えるぐらいひきつった笑みで私を見返したときだ。
 頭、腕、足。軽く包帯を巻いた状態のS・スクアーロは至っていつもと同じ。普段と変わりない様子だった。剣は枕元にかけられているし、どうやらそれが壊れている様子もない。いや、研いでないだろうから先がほんの少し欠けているかもしれないけどここからでは確認しようもなく。

 とにかく、S・スクアーロは私が想像していたよりも何倍も元気そうだった。一命をとりとめた? 本当にそんな具合だったのだろうか。それとも異様な回復力でこうなったのか。何にしろ元気そうだったしこれでは生命に直結するような事態、というわけでもなさそうに見えた。…少なくとも、今の状態はかなり元気そうだし。色々と。

「大和じゃねえか。お前なら入ってきても良いに決まってんだろお」
「…はあ」
「ったく、どいつもこいつも心配性ばっかりかあ。見舞い品だって入りきらねえから隣の空き部屋に移動させてある。お前もあとで食え」

 しゃべっている内容は至って普通。自由に動いている右手が女性の服の中をまさぐっていなければ、だけど。残念ながら私はこういうものを見て喜ぶ性癖は持ち合わせていない。できることならばこのまま空気のようにいて、静かに去りたい。できるだけ気配を薄く努めていたけれどS・スクアーロにはそんなことが通用するわけでもなくスッとこちらに視線を遣ったのが分かった。
 ちらり、大和の背中から顔をほんの少し出してS・スクアーロを見返す。冷たい視線だった。仕事の時と同様、何の感情もこもっていない目。射貫かれ、何でも見透かされてしまうのではないかとこちらの不安を煽る目だ。
 だけどまあこの状態ならば治療と称して晴の匣を使う必要もないだろう。心配して損をした。だから適当に言葉を繕ってさっさと帰ってしまおうと思ったその瞬間だった。
 「悪いが、」申し訳なさそうにS・スクアーロは言った。だけどその後、浮かべたのは下卑た表情。私の頭からつま先まで見た後、冷たくあざ笑うように男は口元をゆるりと釣り上げたのだ。

「コッチは間に合ってる。それにそいつはオレの趣味でもねえよ」

 そこから先は覚えていない。
 ただ私の真下にさっき隊員がショックで落としたフルーツバスケットがあった。私はそれをいつの間にか掴んでいて、いつの間にかS・スクアーロの座るベッドに向かって飛んで行った。閉めたドアの向こうでグエッて声がした。それぐらいだ。


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